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【短編小説】結婚相談所

 34になった。私が34と言うと、係の女性は含み笑いで、「34ですか」と言った。
「何か」
「いえ、何も」
わかってる。34でくる女が多いのは。またか、と思われたに違いない。
「34じゃダメですか」
「いいえ、とんでもない。お客様くらいの方、よくいらっしゃいます」
「だって笑ってらっしゃいましたよね」
「笑顔で接客するのは、我が社のルールです」
 黙った。でも、そういう笑い方じゃなかった。人を嗤う笑い方だ。私にはわかる。
「お客様、続けてよろしいですか」
完璧な営業スマイル。きっともうボロは出さない。
「はい」
 あらかじめシートに書いた職業と家族構成を確認された。年収も。趣味も。健康状態も。
「備考欄は空欄ですが、何か相手様にお伝えすべきことはございますか」
「ありません」
女はページをめくる。
「では、お相手のご希望に移ります。年齢は37くらいまで」
「はい」
「"くらい"とありますが、多少超えても大丈夫ということでしょうか」
「はい。ええと、できれば30代で。30代が希望です」
言って、恥ずかしくなる。そんな希望ばかり言って、自分は何様だ。行き遅れの年増女じゃないか。
注意深く女の顔を見る。営業スマイルの奥に、あの嗤いは隠れていない。やっぱり私の勘繰りすぎか。
そうだ。向こうは仕事だ。そんな客を馬鹿にするはずはない。
それから、相手の年収。職業。家族構成。趣味。背の高さ。などなどの確認がある。それが終わって、訊かれた。
「お写真はどうなさいますか」
一応、用意はしてきた。
「どう使われてますか」
「向こう様のご希望に合えば、プロフィールと一緒に紹介させていただきます」
「送るという意味ですか」
「はい。お写真の取り扱いについては、十分注意いたします。入会の折に会員の方には誓約書もいただきます」
そうは言っても・・・。
「写真なしで紹介していただけませんか」
「可能ですけど、写真がないと、なかなかご返事がいただけないことが多いですよ。皆さん、先ずはお写真で選ばれますから」
それはそうか。そうだな。私も、実際会う相手を事前に見てみたい。自分だけ顔は見せないとか、それは我儘か。ああ、いったい何様なんだ、私って。
「写真に抵抗がおありなら、イベントに参加という形ではどうでしょうか。簡単に言えば、集団お見合いみたいなものです」
ああ、テレビで時々見るやつ。バラエティで見るやつ。そこに私は加わるのか。
「気乗りしませんか」
「もうちょっと、考えさせてください」
「ええ、よく考えてくださいね」
覚悟して来たんじゃなかったのか。自分で自分を叱る。なんだ、結婚したいんじゃないのか。
「今日はまだ入会しなくてもいいんですよね」
「はい。入会は、よくお考えいただいて、ご納得の上、御連絡ください。もうご存知かと思いますが、入会金は四万円。毎月のご紹介料は一万五千円になります」
「はい」
「うちの会は、ご成婚となられても、成婚報酬などはいただきません。よくお考えの上、お返事くださいね」
「わかりました」
「では、次に移ってよろしいですか」
次? なんだろう。
「今までお付き合いした方はいらっしゃいますか」
「え?」
「恋愛経験もお聞きしているんです。仰りたくなければ、それはそれで結構ですが」
「関係ありますか」
「よろしければ、お聞かせ願えませんか」
「それは、なぜうまくいかなかったかも含めて?」
「はい。よろしかったら、お聞かせください」
動揺した。何の、何の関係がある。なぜ、そこまで言わなくてはならない?
「必要ですか」
「できれば。お客様が、どのような恋愛観をお持ちか知っておきたいので」
「別れた理由も?」
「はい。どちらかと言えば、こちらの方が重要かもしれません。付き合う理由は、きっかけは、ほんの些細なことかもしれません。何故だったか、うまく言えないお客様も多いんです。何故人が人に恋してしまうのか、これは解き明かされない、人間の永遠の秘密です」
女は私をしっかり見て頷く。そうでしょう、と問いかける。その通りだ。その通りかもしれない。
「お客様。でも、別れる理由がわからない人はいないんです。振られてしまった。自分のあそこが悪かったのか。愛想が尽きた。相手のあれが我慢できなかった。すれ違いがあった。どこに。醒めてしまった。何故って、それは。別れる理由はあるんです。お聞かせ願えませんか。お相手を紹介するのに、とても重要なことです」

結婚相談所に登録して、必要事項を記入して提出すれば、男たちから会いたいと返事がくるのだろう。男の写真とプロフィールを見て、その男たちの中から一人を選ぶのだろう。写真はやはり必要だった。なにか、自分が八百屋に並ぶ野菜みたいな気分になった。

「会社の上司でした。仕事の悩みを聞いてくれて、よくある話です、仲良くなって、会う頻度が増えていって・・・馬鹿な話です」
「失礼ですが、独身の方ですか」
「いいえ。妻子がありました。六年続きました。終わりは、私の方から。休日に見てしまったんです。家族でいる姿を。よくある話ですよね。よく聞くでしょ」
「他の人がどうであろうと、それは関係ありません。貴方にとっては、貴方だけが経験した、唯一の恋愛ですもの」
「それが不倫であってもですか」
「関係ありません」
「掃いて捨てるような、よくある話でもですか」
「お客様、いいですか。恋愛は、恋愛している人が主人公なんですよ。自分の物語なんです。よくある話とか、誰と似てるとか、考えてはいけません」
泣く気はなかった。この人は仕事で、商売で言っていると分かっていた。誰がこんな話に真摯に向き合うものか。それは分かっている。分かっているのに、泣いていた。
「終わったのは、いつですか」
「もう二年になります」
「その後、上司の方とは?」
「連絡はありませんし、彼は大阪に転勤になりました。支店長です。栄転です。私とのことは、彼にとっては寧ろ触れられたくないことだと思います」
「では、完全に」
「はい。私も未練はありません」
女は私にハンカチを渡した。いえ、と遮ってハンドバックを開ける。しかし、女は私にハンカチを握らせて、どうぞお使いください、と言う。
私は、それに従う。
これも手かもしれない。このままでは返せない。洗って綺麗にして返すとなれば、この女ともう一度会わなくてはならないから。
「幸せそうでしたか」
「はい。とっても。あの姿を見て、本当にわかったんです。彼はあの幸せを捨てて、私の所には来ないって」

「別れてください」
「どうして。女房とは離婚する。向こうも了解だ。もう少し時間をくれないか」
 いけしゃあしゃあと男が言う。そんな気もないくせに。あんなに笑って歩いてたくせに。
「お嬢さん。可愛いわね」
男の驚く顔。
「ずるいわ。嘘ばっかり。貴方は、奥さんもお嬢さんも捨てられない」
男は何も言わなかった。
「嘘つき」
ホテルで、素っ裸のまんま男は私に土下座した。

「すいません。辛いことを思い出させてしまって」
「いえ」
「最後に、いいですか」
「はい」
「どうして結婚なさりたいんですか」
女を見る。多分大切な質問なんだろう。誰にでも訊く、マニュアル化された質問なんだろう。女は私の答えを待つ。
なんと答えよう。
なんと答えればいいんだろう。
「あたしってブスでしょ」
「いえ、そんな。お綺麗ですよ」
「・・・。平凡でいたいんです。平凡な人生で」
女の顔が、すうっと真顔になった。
           了

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