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【短編小説】町田さん

 駅のトイレで化粧を直して、帰りの電車に乗った。結婚相談所のある駅から四つ目が私の駅だった。
「入会ご希望の際は、いつでもお電話くださいね」
係の女性はニッコリ笑って言った。
私は心が疲れていた。
34で、前の恋愛が不倫で、そんなことを真面目に洗いざらい喋ってしまったからだ。
嘘でもよかったんだ。
適当な嘘を言って、その質問をやり過ごせばよかったんだ。
それさえ思いつかない、自分の融通のなさが、機転の足りなさが情けなかった。
相談所に行く人なんか、大抵そうしてるに違いない。何をわざわざ馬鹿正直に、喋ってしまったんだろう。
そんなことをぼんやりぼんやり考えながら車窓を見ていた。手に相談所のパンフレットを握っていた。こんなもの、人に見られたら恥ずかしいはずなのに、バックにどうしても入れることができなかった。
ひと駅過ぎると、街並みが住宅地になった。
ふた駅過ぎると、景色に畑地が増えてくる。
みっつ目の駅を過ぎて、山田川を渡ると、また宅地になった。ここには大型スーパーも家電量販店もある。
 電車が止まるより早く立ってドアの前に行く。すぐに降りてしまいたかった。自分のしてきたことが、別に後ろめたいわけでも何でもないのに、誰かに知られてるみたいで怖かった。
 電車を降りてホッとする。ホームの前を女子高生の二人連れが歩いていく。楽しそうにお喋りしながらコロコロ笑っている。私にも、きっとあんな時代があったのだ。
いつの間にか、陽は傾いていた。私は影を踏むように改札に向かった。
「あっ! おとしたよ」
前から来た女の子に声をかけられた。
えっ?と下を見る。なんにもない。女の子を見かえすと、私の後ろを指さしている。振り返ると、ホームに結婚相談所のパンフレットが落ちていた。さっきまで、電車で握っていたものだ。
風が吹いた。
パンフレットはパラパラめくれて、風に乗ってホームを滑る。そして、線路とは反対側の柵の隙間にかかって、外に落ちた。
パンフレットは見えなくなった。
「あー、おちちゃった」
気がつくと、女の子は私の前にいる。お母さんが後ろに立っていた。
「おねえちゃん。おちちゃったねえ」
しゃがんで女の子に目線を合わせる。五歳くらいだろうか。
「いいのよ。いらないもんだったから」
「えきのそとにまわったら、まだおちてるよ」
「ありがとう。でも、もういいの」
立ち上がった。お母さんに黙礼して歩き始める。

「よう。姉ちゃん、どこの人?」
二丁目を過ぎて三丁目に入るところで、声をかけられた。
電信柱に寄りかかって、若い男がこっちを見ている。派手な柄シャツに坊主頭。眉毛は、ない。
最近、時々見るようになった。この辺の土地を不動産屋が買いあさっていて、その頃から見るようになった。
話したことなんて勿論ない。
「間違ったらごめんね。もしかして、町田さんとこのお嬢さん?」
ギョッとした。なぜ名字を知っている。いや、それより、とにかく、相手にしない相手にしない。
 黙って通り過ぎると、男は後から付いてきた。少し早足にすれば、向こうも早足になる。怖くなった。この辺りはアパートで、知った人もいない。薄暗くなってきたので、明かりが灯る部屋もある。声をあげようか。迷っているうちに駐車場まで来てしまった。アパートを潰してできた駐車場でまだ新しい。車は数台しか止まっていない。ここから街灯が極端に少なくなる。足がすくんだ。でも、ここを通らなければ、家には帰れない。
「町田さん。暗いから気をつけてよ」
後ろの男が声をかけてくる。振り向けない。
「悪い奴が狙ってるかもしれねぇよ」
男が近づいてくる。走れない。足に力が入らない。
「俺がさ、家まで送ってやろうか。あんたの家、知ってんだぜ」
突然、ボグッと重い音がした。何!と振り返ると、男がうずくまっていた。その後ろに。
ヨッちゃん!
ヨッちゃんは爪楊枝を咥えて、首をコキコキ鳴らしている。いつものように茶色のジャンパーにニッカポッカ。そういえば、ヨッちゃんも最近この辺をウロウロしている。
脇腹を抑えていた男は、何だおめえ、とうめきなが言っている。
「人はヨッちゃんて言うな」
息を整えながら、男が立ち上がる。目がイッている。
この野郎!と飛びかかっていき、苦も無く転がされた。じ、実力が違う。
「てめえ、俺を誰だか知ってんだろうなあ」
男はまだやる気だ。飛び上がって大声を上げる。
「俺はなぁ、○×組の」
まで、言ったところで、右ストレートが飛んだ。萎んだ風船みたいに、男は倒れた。
ものの五分もたっていなかった。
 ヨッちゃんは、ここ10年くらいこの町をフラフラしている。元は川の護岸工事の仕事で来たらしい。そして、工事が終わっても、この町に居着いてしまった。酒好きで喧嘩無双だが、女性には絶対に手を出さない。それが5歳の女の子でも。80歳のお婆さんでも。
「ヨッちゃん。ありがとう」
「お気を、つけ、て帰ん、なさい」
きっと女性が苦手なんだろう。34の私にまで緊張している。それが、何だか、とっても嬉しかった。とっても。
気がつくと、私は声を上げてあんあん泣いていた。
目の前でヨッちゃんが、私を見てオロオロしている。それがおかしくておかしくて、また泣けた。
           了

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