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長期高校留学へ ~留学準備編 Part.3~

事前合宿編

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ワシントン州にあるワシントン州立大学で1ヵ月の事前合宿が行われました。
前回、オクラホマ州の州立大学へ短期留学した時と同じように1ヵ月集中で英語の勉強を行います。
違うことと言えば、大学寮での生活と、アジア圏からの同年代の留学生と英語の実践授業を受けることです。食事は大学内にあるカフェテリアで取ります。

合宿に参加して最初に気づいたことがあります。
皆、語学を学びに来ているのに、その国の生徒たちでグループを作り他の国の生徒とは一切会話しないことでした。
この時の私は前回1ヵ月だけオクラホマ州立大学へ大人の方々と参加した短期留学を思い出していました。
現地の語学留学生用の塔で実際に大学留学している日本人学生の方達とも多くお会いする機会があり、お話することもできました。
そこで聞いたのが、長い方で6年同じ大学に留学しているが、日本人とばかりいるので英語が全く上達せず留年を繰り返している日本人学生が多くいることでした。
留学は果たしたけれど、大学では現地の友達ができないし、日本人で固まっているほうが楽だからと聞きました。
この教訓から、絶対に次に留学するときは英語しか話さないと固く決めていたのです。
ここでまず、引っ込み思案だった私に最初の試練が待っていました。
グループはこうです。
日本人グループ。韓国人グループ。中国人グループ。インドネシア人グループ。ベトナム人グループ。
その中で、インドネシア人グループだけが特に英語のレベルが高かったのを覚えています。

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私も当然日本人グループに最初はいました。しかし、3日経過したところで、1ヵ月しかない合宿なのに、3日間が過ぎ、授業以外ほぼ日本語しか話していない自分に気づきました。これでは駄目だと気づいた私は、グループの皆に「せっかくの合宿だから、他の国のグループに声をかけない?」と提案してみましたが、皆お互いの顔色を伺い、リーダー格の女の子に「行きたければ一人でいけば」と言われました。他の皆も賛同しました。私は空気を読むということができず、それならと日本人グループ脱出を決意しました。これは一匹狼になることを意味していました。日本人グループには日本で仲の良かったAちゃんもSちゃんもいましたが、私は彼女たちと話すのをやめました。心を鬼にしたのです。

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First Try:韓国人グループ

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1人になった私は、まず韓国人グループに話しかけました。思い出せるだけの英語を思い出しながら長文を話す訓練のつもりでグループに果敢に話しかけに行きました。
韓国の女の子たちは素朴なグループでしたが、とてもやさしく情に満ち満ちているグループでした。片言でも韓国語を中断して英語で話そうとしてくれたときは涙が出るほどうれしかったです。
また、韓国語がわからない私のために韓国語を教えてくれたり、韓国からもってきた「辛ラーメン」(当時は珍しかったカップラーメンです)をご馳走してくれたりしました。
もともと韓国語はかわいい言語だと思っていたのもあります。また、歴史問題で揺れている日本と韓国の国家間の複雑な関係は親世代にはありますが、個人間ではとても親日な方が多いのが韓国だと私は思っています。韓国のジャンケンと「あっちむいてホイ」は特に印象に残っています。

Second Try:中国人グループ

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次に私は中国人グループに話しかけてみました。彼らはグループの和にも入れてくれませんでした。とにかく食べ散らかしが汚いのと、授業以外で中国語以外話さない人たちでした。親日ではない方達がたまたま集まっていたのですね。


Third Try:インドネシア人グループ

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次に、インドネシア人グループに話しかけました。
カフェテリアで話しかけ、一緒に食事をするのを許可してくれましたが、私には興味がないらしく、私だけ質問をして返答がない。その一回きりで諦めました。


Forth Try: ベトナム人グループ

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まず、男性しかいないグループだったので、女子の私がなじめるはずもなく。共通の話題もないので、顔見知り程度にはなりました。

全てのグループをまわってみて、いつの間にか最初に話した韓国人グループに落ち着きました。韓流ブームの始まった時期でもあり、ドラマや音楽、食の話題で盛り上がりました。
韓国では仏教が多いと思っていたのですが、クリスチャンの学生が多いグループで、留学にも韓国語と英語で書かれた聖書を持参している学生もいました。私たちは授業以外のほとんどを一緒に過ごしていました。

事前合宿2週間が過ぎようとしたとき、まったく話をしていなかったSちゃんから呼び止められました。なぜ日本人と一緒にいないのかと聞かれましたが、「学習でここに来ているので、このチャンスをものにしたいから」と答えましたが理解されませんでした。
日本人グループからは変な目で終始見られていたのを覚えています。
そんな目を一身に受けていると孤独感にさいなまれましたが、「これでよい」と自分に言い聞かせて、合宿中はユージンという女の子ととても仲良い友達になりました。
授業もどこに行くにも一緒でした。
合宿が終わるころには、いつか韓国に会いに行くよと約束して別れました。

彼女とはその後、5年は連絡していたのですが、残念ながら連絡が途絶えてしまいました。しかし、その合宿で出会ったヒョジュン、英語名をKateという女の子とは13年経った今でも親友です。彼女は今年韓国で韓国人の男性と結婚します。結婚式に招待してくれましたが、コロナ渦なので行けそうにないことが残念です。

韓国人や中国人は英語名を持っていることをこの合宿で知りました。
同じアジア人であるのに、日本人には英語名がないことが不思議でした。今もその謎は解けないままです。私の知り合いの男性は、2人の娘の名前を「クレア」と「ブリタニ―」と名付けた方がいました。もちろん、日本人同士の子供です。和顔で、日本で暮らしている子供に英語名をつけるのもどうかと思います。日本人は一つの名前しか持てないとすると、英語名ではなく日本語の名前の方が自分の名前に誇りをもてる気がするのは古い考えになりつつあるかもしれませんが、私はそれを支持しています。

合宿最終日、皆がそれぞれの留学先へ出発します。
お別れ会、farewell partyのとき、無地のT-shirtに1人1人のサインをしてもらいました。そのT-shirtはもうどこにいったかわかりませんが。良い思い出です。
留学先の選定はホストファミリーが見つかった場所になるらしく、私はなんとテキサス州の州都オースティンに決まりました。
ここからは完全に一人です。

皆に涙の別れをして国内線飛行機に飛び乗りました。

長期高校留学へ ~本編 Part.1~へ続く→

※それぞれの国の人をイラストにしました。このイラストは当時出会った人をモデルに描きました。


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