フトウコウはフコウか#02(社会性編)
お疲れ様です。
この記事では、一時期不登校だった息子、
絶賛不登校ライフ満喫中の娘たちとともに暮らす父親の視点で
今の不登校事情の1片をお伝えできればと思います。
今回は#02、社会性編です。
前回の学業編はこちらからどうぞ。
https://note.com/ttn1983/n/n34198286ebd9
ぼくらがどういう両親なのかはこちらをどうぞ。
https://note.com/ttn1983/n/n890540452f3b
何で学校に行かなくてはいけないの?
前回は学業に遅れが出るだのなんだのという考えに対する僕のスタンスを書きました。
人づきあい、社会性
こういう「学校のベンキョウ不要論」を出すと、
「学校はベンキョウだけじゃなくて社会性を身につけるところやから」
と釘を刺されることがあります。
もちろん一理あります。
人間は一人では生きていけない。
人とのコミュニケーションが上手くとれないと社会に出てから苦労する。
そらそうです。
それはウチでも言って聞かせている。
幸い、ウチは子どもが全部で3人いて、長男は出てるので娘二人が家でなんやかんややってます。
陰キャでめんどくさがりの長女と陽キャで甘えたの次女なので、時々やいのやいのと喧嘩したりはある。
折りに触れ、叱ったり諭したりしてその辺は補ってるつもりです。
長女も次女も、1人ずつ、学校の友だちというひとがいる。
それぞれ、時々会ったり、LINEしたり、オンラインで遊んだりしている。
そもそも9割方学校には行かないものの、イベントや行事によって行きたい時もあるらしく、そういう時はどうぞどうぞと行かせています。
自分の時がどうだったとか、そういうのと比べる必要はありません。
学校に行かないなら行かないなりに、どこかの誰かとコミュニケーションを取る機会を作ってあげればそれが何かの縁になる。
そうやって、一人一人に合わせてわかって行けばいいんじゃないの?と真剣に考えています。
今、不登校それ自体を問題視し、何とかして学校に来させよう、行かせようとする親や教師の世代が子供の頃は、今ほど「学校に行きたくない」という言葉、「不登校」という言葉が拡散していなかったのかもしれません。
僕は1983年生まれですが、同級生に一人か二人、学校に来ない人は居ました。教師連中やその人の親御さんがどう考え接していたか知りませんが、同級生の僕らからしたら、「へぇ、そんな人も居るんだ」程度のもの。
書きながら思い出しましたが、当時は「登校拒否」という言い方をしていたかも知れません。
社会性なんてそんなもの。
話が反れましたが、
学校生活で養われる社会性って、もちろんコミュニケーションの経験値は増えるかもしれませんが、だからどうなの?と思うんです。
大学生が新卒で入った会社で社会人としての振る舞いだったりを覚えていくのって、殆どそれまでの社会性とは別のものを叩き込まれてません?
社会性なんてそんな程度のもんなんだから、都度都度、場面場面で自分自身や回りに向き合ってればどうあるのが良いかなんて身に付くもんだろうよ。
それでもし、本当に何か問題があるんだとしたら、そりゃ親のあなたが向き合ってないだけなんじゃないの?
と思うんです。
いますよ?フツーに学校通ってた人でも、コミュニケーションとか、人付き合い下手な人。
社会人としてのマナーみたいなのを分かってない人。
一緒ですって、学校行こうが行こまいが。
と言うことで、次は
フトウコウはフコウか、#03
「どんな親で在りたいか」です。お楽しみに。
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