フトウコウはフコウか#01(学業編)

お疲れ様です。
この記事では、一時期不登校だった息子、
絶賛不登校ライフ満喫中の娘たちとともに暮らす父親の視点で
今の不登校事情の1片をお伝えできればと思います。
まずは#01、学業編です。


まず、僕の結婚観だったり僕らがどんな父母かはこちらを御覧頂ければ大体つかめるかと思いますのでよろしければ。

https://note.com/ttn1983/n/n890540452f3b

「こんな親にはならないでおこう」などと反面教師にしていただくなり、生き方の参考にしていただくなり、ご自由に扱ってください。
あんまり叩かれると傷つきますけどね。

何で学校に行かなくてはいけないの?

まず、僕の「学校」に対するスタンスですが、
「行きたかったら行けばいい。行かなくても案外なんとかなる」という感じです。
僕自信、昔で言うズル休みもちょいちょいありましたし、遅刻常習犯、行ったら行ったでつまらんと思ったら寝ることもよくありました。
そこで当時にスマホやらSNSやらがあったとすればどうだったろうと考えると、やっぱり想像もつきませんが、ある種、恐ろしくも思います。
(携帯電話とインターネットはありましたがスマホなぞまだまだない時代でした)

学力はただの学力

さて現代に話を戻して、
まあ今子どもが学校行きたくないと言い出したときに
これまでフツーに子育てしてきた殆どの親御さんたちが考えるのは、

「ベンキョウに遅れが出る」ことの不安でしょう。

もちろん、学校に行かず、授業を受けずの生活となれば、学習要項に沿った学習ペースに対しての遅れは発生します。
ただし、それだけの事です。
テストの点は取れません。
そしていわゆる成績や通信簿、推薦などすべての面で不利になるでしょう。
同じ授業を毎日毎日受けている他の児童生徒たちとの話題にもついていけなくなるでしょう。
ただ、それだけのことです。
なのに、親の立場だとなぜか怖いんですよね。
こと、自分が普通に学校に行く生活を送れていた人にとっては。

でもね、それ、
子どもにとっては全く関係ないんです。
親のあなたがどうだったであろうが。

学力が高かろうが低かろうが、
学力で測れる範囲内での優劣でしかない。

そんな学校の授業なんて、受けなくて大丈夫です。
そもそも学校の授業程度のカリキュラム、オンライン上にいくらでも転がってますので学校行きたくなくても勉強はしたいならいっくらでも出来ます。

腹の立った授業参観

学校教育なんてそんなもの、という一例です。
これは、5年生くらいから学校に行かなくなった上の娘がまだギリギリ小学校に行っていた頃の授業参観の一幕。
図工の授業でした。
スニーカーの絵を描くという授業だったんですが、
数分描かせては周りの子と見比べさせ、アドバイスさせたり、先生が主観で上手いと思ったものを前のスクリーンに映し出して、こういうところが上手いと説明したり。
そんなんだから、筆が進まない子は、描いては消し描いては消し、周りと見比べ、散漫になり何も進まない。
周りで見ている親も、スクリーンに映った絵を上手いなーなどと呆けて褒める始末。

奥さんと顔を見合わせて、奥さんは苦笑い。
僕は苦虫を噛み潰しました。
腹が立って「授業、代わりましょか」と出たろかと思うくらいでした。
うちのようなモノづくり大好き一家で育った娘はそこそこ絵がうまいので、アドバイス役に回るんですが、それも見ててイライラする。

何、絞ってんのよと。
クリエイティビティを伸ばして広げるんなら、
こんなのもアリ、こんなのも全然アリと言って、
スニーカーの開きの干物みたいな展開図とかさ、
超拡大した、スニーカーの生地の感じだけ画面一杯に描くとか
点描だったり、極端なハナシ文章でその靴を表現したり、
好きなやり方で目の前のスニーカーを表現するので良くないか?
似たりよったりな絵ばっかり描かせて比べさせて、何がいいのか。

図工だけじゃない、SNSで時々話題になる、
式も答えもあってるのに、習ってない式を使ったってだけでバツになってるやつ。あれも残念至極。

そんな、学校やカリキュラムがよしとすること以外はバツだなんて授業、
受けなくて結構です。

もし子どもたちがフツーにそんな学校に行ってたとしても、
そんな残念な授業を参観で見せられたら、その理不尽さにガンガン突っ込み入れる面倒な親にならざるを得ないです。

と言うことで、次は
フトウコウはフコウか、#02
「人付き合い、社会性編」です。お楽しみに。

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