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Kotonaru sekai

 見慣れた木々の間に、流れる風を感じる。ここは、僕が生まれ育った地。日本の真ん中に位置しているこの街で、僕は育った。また、今日が終わる。

 世界中のどんな人にとっても、時間は平等に与えられていて、この世界に生まれ落ちてこの方、不平等に与えられたものだと実感したことはない。でも、その1秒1秒が、苦しいものだったり、快楽の極みだったり、その感じ方はまさに、千差万別。そして、この1秒の間に、僕はこの文字を綴って、アメリカンコーヒーを手に取る。香りが口の中から抜けて、脳を刺激する。

この同じ1秒に、僕の父は、抗がん剤の影響を呪い、術前に生きる意味を噛みしめて床についている。

この同じ1秒に、爆発の応酬で人がたくさん死んでいる。

この同じ1秒に、愛欲に塗れた色で満たされた部屋から魂の交流が聞こえる。

この同じ1秒に、全く異なる1秒が、共時的に繰り広げられている。


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自分が見ている世界は、本物なのだろうか、なんて思いを巡らしたくなる。この奇跡的なホシの片隅のほんの一部分しか体験できないことに、憤りすら感じる。

大学に入学するとき、第一志望の大学に入学できたにもかかわらず、第二にも第三にも行きたくって、命がもしかして輪廻するのであれば、今度はこの大学に入ってできる限りのことを全てしたいです、と何回心の中で空に祈りを込めたことか。

自分の人生を生きて、後悔はないけれど

その全てにおいて、全ての事象に関わりたい好奇心をいつでも持っている。そして、むしろそうしないと、じぶんが関わる事象に失礼なんじゃないか、とも、思う。

それぞれの時間、それぞれの感じ方、それぞれの生き方、それぞれの味、それぞれの匂い、見栄え、色、形

全て違ってみんな…なんて有名な言葉に片付けてしまいたくなるほど、どれも愛おしいものばかり。そして、そのどれもが、じぶんと分け隔てられている、異なる世界。

でも、共存する、世界。不思議、発見だよね。


共存しているのに、同じ感覚で向き合うことは一生ない、たとえ共感出来たとしても、同感であったとしても、その細部には個性が宿って、また受取手の感性は全て、異なる。同じなのに

Kotonaru sekai


同じ花の中にある花びらの形も、全て違う。同じ母体の底から、全く違うものの生まれる尊さは、計り知れない。

そんなことを、思う。


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今日がまた終わって、明日がまたやってくる

それは奇跡、それは感謝、それは歓喜、それは流転

1つとして同じ世界はなくて、それが時に寂しくなったりもして、

それを時にしっかり受け入れられたりもして、そうやって日々、生きていく自分たちの時間

どれもこれも、異なる世界

どれもこれも、全て、大切で、尊い世界。

あなたの時間を、大切に。全ての人の全ての時間が

安寧でありますように。



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