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[アーティスト田中拓馬インタビュー8] デュシャンの「泉」の価値はどこにある!?(後編)

このページは、画家・アーティストの田中拓馬のインタビューの8回目です。今回は、前回に引き続き、デュシャンの「泉」の話から、そもそもアーティストというはどのような存在なのかということまで話が及びました。
前回の記事はこちらからご覧ください。また、これまでの記事は、記事一覧からご覧ください。

今回の内容
1.デュシャンの「泉」はエピソードの方が面白い!?
2.「泉」のアートとしての価値はもうないのか!?
3.作品よりアーティストの方が面白い!?
4.アート思考は“間違った使い方”!?

 ー 前回から、有名なデュシャンの「泉」について話しているんだけど、なんか作品そのものよりも、作品を巡るエピソードの方が面白く感じちゃったよね。(前回の記事はこちら

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  Image from Wikimedia Commons
  https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Duchamp_Fountaine.jpg
  マルセル・デュシャン「泉」(1917年)

拓馬 うん、エピソードの方が面白いよ。
 ー それってアートとしてどうなの?
拓馬 それは、でも、エピソードも含めて後のコンセプチュアルアートにつながるわけだからね。なにしろ元祖だからね。
 ー 元祖だから意味あるんだろうけど、コンセプチュアルアートにも形とか色とかの良さは必要な気がするんだけどね。
拓馬 うーん。そこは難しいんだよね。人によって感じ方も違うからね。

 ー でも、岡﨑さん(岡﨑乾二郎。造形作家・美術批評家。田中拓馬は四谷アート・ステュディウムにて岡崎の講座に参加。)は、意味的な分析もやっているけど、抽象画についての線のバランスがどうとか形がどうとか、そういうのもやっているじゃない。そっちだと、ある程度普遍的な美というものを岡﨑さんは考えているんだと思うんだよね。
拓馬 うん。
 ー そういうものとして、この便器を見ることもできるんだけど、君の意見だとそういう評価はできないということだよね。
拓馬 うん、形とかは面白くないと思う。つまり、もし形とか色とかの要素を入れるなら、もうちょっと加えるよね。
 ー 加えるっていうのは、例えば形をいじったり、色を塗ってみたりとかってことだね。でも、加えてしまうと、この時代としては、挑発性が少なくなっちゃう。いってみたら、そのへんにある物で、偉そうにしている人たちを馬鹿にしたかっただけの作品だと思うからさ。
拓馬 うん。
 ー だけど、意味とか概念的な価値だけだとしたら、僕はつまらなく感じちゃうんだよね。突破口というか、新しい時代を作った価値は認めるけどね。
拓馬 でも、形はやっぱりきれいじゃないね。
 ー そうか。
拓馬 アートの作品って、こんなにシンメトリーな作品は珍しいんだよね。普通はちょっとずらす。そのあたりもアートっぽい形の感じはしない。あ、でも、デュシャンはシンメトリーは結構好きだけどね。
 ー まあでも、形的な魅力はないか。「泉」に歴史的な価値を認めたとしても、アート作品としての寿命はもうないのだろうか?
拓馬 そうだねえ。ないのかもしれないね。
 ー 前にレンブラントの話をしたじゃない。その時には、レンブラントの作品にはアート作品としての寿命はまだ生きているっていう話だったじゃない。(レンブラントについて話した記事はこちら
拓馬 あれは全然生きてるよ。あれは再現ができないからね。そこが大きいと思う。「泉」だと、再現は簡単だからね。ドラえもんの絵描き歌をだれでも描けるようなものだよね。
 ー なるほどね。

 ー ちょっと話を変えちゃうんだけど、前回に話した「泉」のエピソードとかを聞いても、アーティストはルールを決めるとルールの裏をかこうとする人たちというイメージがあってさ(笑)、最近、そこにアーティストの価値がある感じがしているんだよね。
拓馬 うん。
 ー だからアート作品よりもアーティストの方が面白く見えて来ちゃってるんだよね(笑)
拓馬 そうだよ、作品よりもアーティストの方が面白いよ(笑)
 ー いやでも、それはそれでどうなのかっていう話なんだけど(笑)
拓馬 アーティストとしては、アートを観てそれで感じて欲しいっていうのはあるんだけど、それはけっこう難しいことなんだよね。それよりもアーティストの生き方とか、活動とか、どういう流れの中で作品が出てきたとか、そのストーリーが面白いんですよ。ワインだってワイナリーのストーリーとか聞きながら飲んだ方がおいしく感じるじゃない(笑)
 ー でもそうするとさ、アーティストにはおこづかいだけあげておいて、作品は作らなくてもいいっていう話にならない? 作品には価値が無くてもいいわけだし。もちろん、極論だけどさ。
拓馬 あのね、作品とアーティストはセットだと思うよ。
 ー それはなぜ?
拓馬 例えば、レンブラントは作品にも価値があって、エピソードも面白いよね。
 ー レンブラントはそうだけど、じゃあ、作品に価値が無くてストーリーが面白い場合はどうなの?
拓馬 エピソードだけが面白い場合には、作品は残らないよね。作品に価値がある場合には、作品が残るからエピソードも残る可能性があると思うよ。
 ー なるほど。
拓馬 作品が残らないときには、エピソードも残らないんじゃないかな、多分ね。やっぱり、作品とエピソードはセットだと思うけどな。

 ー その辺りのところが難しいけど面白んだよね。アート作品に価値があるという前提があるから、アーティストも支援をされたり、収入が得られたりしているんだと思うんだ。だけど、そこを厳密に考えていくと、本当にその前提は正しいのかっていう気がしてくるんだよね。まあ、君がさっき言った、アート作品とアーティストはセットという考え方はいい落としどころかもしれない。
拓馬 アート作品ねえ。難しいね。アート作品そのものは、色んな意味で、どんどん価値が得られないようになってきていると思うよ。なんでかっていうと、デジタルな物が出て来たりして、再現が出来やすくなっているからね。レンブラントの作品の完全な再現ができたら、現代アートではなくレンブラントの再現品を買う人も多くいるんじゃないかな。つまり、相対的に現代アートの価値は下がると思う。
 ー じゃあ、もう新しい作品は生まれないかな?
拓馬 いやいや、そんなことはないですよ。新しい作品も作れるんだけど、昔の作品を超えていかなければならないんですよ。その時に、デジタルも含めて、例えばレンブラントの絵を取り込んだりとか、自分の絵をレンブラントに付け加えたりとか、そういうのは当時はできなかったわけだから、そういうことで価値を付けていけばいいんですよ。作家が白旗を上げて、昔の作品には勝てませんっていったら終わりだからね。そうならないようにしていかなきゃいけないよね。

 ー 今の話を聞いていても、新しい技術なり仕組みなりができたら、どんどん利用していくっていうのが重要なんだよね。
拓馬 それは重要。
 ー しかもさ、その利用が、技術を作った人が想定していないやり方の場合が多くあるのがアーティストの特徴のような気がする。
拓馬 それはすごく重要で、みんなと同じような発想でやっているようじゃ、駄目なんですよ。自分でしかできないというか、ここにしかないというか、そういうものを見せられないと、通用しないと思うんだよね。
 ー そこらへんが僕の中でのアート思考だね。
拓馬 でも、それはどのビジネスでも同じだよね。
 ー いや、でも、他のビジネスだと、技術の正しい使い方で成功しようとするのが一般的だよね。アーティストは“正しくない”使い方の方に行きたがる気がする。
拓馬 転用するっていうことだね。例えば、(手元のスマホを見ながら)スマホは電話だから投げる道具としては使わないとか。
 ー そうそう。普通はスマホをキャッチボールの道具には使わない(笑)
拓馬 それは、アートとしては、転用をやらないと表現として弱いからね。
 ー そこが普通のビジネスの考えかたとは違うところじゃないかな。
拓馬 大企業とかだと、どうしても他と同じような使い方になるのかもね。
 ー ただ、その考え方が行き詰っているから、アート思考を導入しようっていう話になるのかもしれないね。
拓馬 なるほどね。

拓馬 でもみんながアート思考になったら、ぐちゃぐちゃになるんじゃないの?
 ー ぐちゃぐちゃになるかもね。
拓馬 例えば、今のユーチューバーとかはそうじゃない。ユーチューバーはスマホを投げる人たちでしょ。
 ー まあそうかもしれないけど、でも、この辺は学校では教えないようなことだし、面白いんじゃないかな。デュシャンの「泉」の話とちゃんとつながったね(笑)
拓馬 でも、その結果、どういうことになるかは、はっきりしない感じがするな。
 ー それはまた今度考えましょうか、そろそろお開きの時間だし、今後をお楽しみにということで(笑)

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今日はここまでです。[アーティスト田中拓馬インタビュー8]を最後まで読んでいただきありがとうございました。次回は田中拓馬がどのような発想で作品を作るのか聞いてみました。ぜひ次回もお楽しみに!

これまでのインタビュー記事はこちらからご覧ください。

田中拓馬略歴
1977年生まれ。埼玉県立浦和高校、早稲田大学卒。四谷アート・ステュディウムで岡﨑乾二郎氏のもとアートを学ぶ。ニューヨーク、上海、台湾、シンガポール、東京のギャラリーで作品が扱われ、世界各都市の展示会、オークションに参加。2018年イギリス国立アルスター博物館に作品が収蔵される。今までに売った絵の枚数は1000点以上。
田中拓馬公式サイトはこちら<http://tanakatakuma.com/>
聞き手:内田淳
1977年生まれ。男性。埼玉県立浦和高校中退。慶應義塾大学大学院修了(修士)。工房ムジカ所属。現代詩、短歌、俳句を中心とした総合文芸誌<大衆文芸ムジカ>の編集に携わる。学生時代は認知科学、人工知能の研究を行う。その後、仕事の傍らにさまざまな市民活動、社会運動に関わることで、社会システムと思想との関係の重要性を認識し、その観点からアートを社会や人々の暮らしの中ににどのように位置づけるべきか、その再定義を試みている。田中拓馬とは高校時代からの友人であり、初期から作品を見続けている。

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今回の見出し画像:「ラウシェンバーグに捧ぐ」(作品の一部のみ)
田中拓馬スタジオに鎮座してるオブジェです。前回とは別角度から。実物が見たい人は田中拓馬スタジオへどうぞ!

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