2020年4月15日深夜2時03分 辛くて今は書けもしない出来事について

私はよく寝るなぁと思った。
今日は昼寝で5時間ほど寝てしまった。

うーん、今日は疲れた。
いつにまして気を遣いながら言葉を選びながら話した。

たがいに傷つけあってしまうひとたちには仲介役が必要だ。
仲介役なしに平和的な解決はない。
仲介役は精神をすり減らす、しかし居ないとどうにも話がうまく進まないから仕方がない。

これまでひっそりとやってきたnoteにさえ書くのが憚られるほど、最近は辛くまた理解に苦しむことが多く私を襲った。
時間が経ち、文章にしても辛くないくらいになったらいつか記事に書こうと思う。

この数日間で起こったことは、間違いなく私の人生の中で一番つらいことであり、トラウマにすらなった。
今年はつらいことが重なった。
昨年の10月くらいから2月まで、そして束の間の安息?とよぶべき2、3月。
そしてトラブル続きの4月。

その中に自分が悪かったことは意外にもなくて、その状況に置かれれば正常な思考力を持っているひとならそうするだろうということをしてきただけだった。
自分が得をするために演技をしたり、口から出まかせを言えば済んだようなこともあった。
しかし私の信条がそれを許さなかった。
だから窮地に追いやられた。

今年私は厄年らしい。
厄年の恐ろしさを思い知る。
今まで見えない力というものを信じたことはなくて、いつも自分だけを信じてきた。
周りがどんなに自分の言葉を信じてくれなくても、自分だけは自分のことを信じてきた。

私の言うことにはいつも根拠なんてない。
しかしわたしの人生において私の選択はそのどれもが必須であり、そういう選択をしてよかったと思えるものであり、自分が大きな選択をなんとなくしたことによって前へ前へと進ませてくれるものだった。

いつだって運命的な行動をするときは「なんとなくワクワクしたから」だ。
なんとなく、というより、
普段揉まれるほどの情報に触れているなかで妙に目につくものがあって、それを目指したくなったりする。

自分の行動のきっかけが「なんとなくワクワクするもの」であるから、人に「それを始めたきっかけはなんですか?」と聞かれても言葉に詰まってしまう。

本当に何となくでやりはじめる。
だが決して浅はかではないと自覚している。
想像力を働かせてあらゆることを想定して、リスクが少ない、今あるものでできることから始める。
衝動的でも決してない。
なんとなくやりたいことにやれる理由を見つけていく、という方が的確だろうか。

人生ってそういうことの連続じゃないかと思う。
もちろん目標から逆算して計画を立てて実行していく人もいる。
でも失敗してその失敗から学び成長し、その失敗があってよかったと思えればいい。
いつかは自分の選択を飲み込める。
自分の選択を飲み込めないほどの失敗や過去は作らない方がいい。
早めに見切りをつけるべきだ。
先延ばしにして良いことなんて本当にない。

過去は現在や未来を形作るのに必要なものだ。
しかし振り返りああだこうだいうものではない。
過去というのは時間の中で最も頑固だ。
どう働きかけてもその態度は変わらないのだから。
もっといってしまえば働きかければ働きかけるほど屈強な態度を示し出す。
それは現在や未来を威嚇さえしだすかもしれない。

過去に囚われるなとはよくいうが、まさにその通りで、過去から学ぶことはいうまでもなくよしとして、過去を振り返り過去にできなかったから今できない、自分のできることだけをやる、過去の失敗を繰り返さないために挑戦をやめるということは勿体無いことだと思う。

ただ単に私がそういう考えをもっているというだけで、これを人に押し付けようともしていないからそれは理解してほしいが、もし過去に囚われたり、過去のせいで可能性を狭めてしまっているひとがいたら「がんばれ」とだけ伝えておきたい。

さて、やっぱり勢いのままに書いた自分の文を見返すと案の定抽象的でわかりにくい。
抽象的に書くと、読み手は「その抽象的な言葉から連想される体験」をしていないと、文を読み進めることができないという現象が起こる。
少なくとも私は自分の体験していないことを抽象的に説明されても理解することができない。
自分のなかで飲み込むということができない。

それなのに自分が文を書くときはそれをやってしまうんだから、困ったものだ。
具体的に起こったこととそこから学んだことをセットで書けばわかりやすいんだろうなぁということもわかってはいるが、今の精神状態的に具体的に現在の状況や精神状態を説明するのは
厳しすぎる、だからしない。

悪しき記憶、思い出したくない記憶はいつのまにか脳内から削除されてしまうから、この涙の記憶は早いところどこかに記述しておきたい。
机上にあるスケッチブックに書こうか。
そうして何ヶ月後か、あるいは何年後かにここに載せることにしよう。

人生で1番つらい1番つらいといっても説得力がなくなる一方だが、間違いなく2020年24歳で起こった2つの出来事は私にとって「人生で1番辛い」が更新されていった出来事だった。
その言葉に偽りはない。

ただどこか、これからは、いやわからない、今年はもうこれ以上辛いことが起きないような気がしている。
こんなに苦しんだんだから、そろそろ幸せが回ってくるだろう。
きっとこの辛さは幸せのための助走だったんだと、そう感じている。





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