電車

たまに乗る電車では色んな人の人生が見える。
人のドラマが詰まっている。
におい、音、ぬくもり、表情、
色んなところからその人の人生を考える。

バラードを聞きながらふかふかの椅子に座り、ぼーっとしていると窓の外の景色が綺麗に見えるし、生きている人が素敵に見えてくる。

大きな声で話す中年の女性も、一生懸命生きているように見えて可愛く見えてくる。
身振り手振りを使って一緒に居る人に「私の話を聞いて」って全身で訴えている。
そうかそうか、旦那さんとそんなことがあって子供に迷惑をかけてこんなはずじゃなかったって思ったんだね、それは辛かっただろうな。

浮かない顔で電車に揺られている初老の男性、えも言われぬ哀愁をたたえていて、でもそのなかにしなやかな芯をもっていそうな様子で背中をしゃんと伸ばしている。
この人はつい最近まで働いていたんじゃなかろうか、今は定年を迎えて第二の人生を歩き始めたところかな。

群れる高校生の男の子たち。
今が楽しくて周りは気にならなくて、というか視界に入っていなくて自分たちの世界に浸っている。
というか自分たちの世界を見て欲しいと思っている。
大人たちは冷ややかな目でそれを見つめるけど、そんな時代は誰にでもあったんだよ。
自分を表に出すことで自分を認識していた頃が。
子供のまま大きくなったらそういう大人になるのかもしれないけれど、そういう人は社会では生きづらい。
この世界は自分を認識して欲しい人で溢れている。
そんな欲求がくすぶっている、気がする。

誰にも認識してもらわなくていい、自分は石ころみたいに生きてればいいと思うひとは多くない。
良い悪いではなく、ただ多くないと思う。

電車にはドラマが詰まっている、電車で聞く歌は透き通って聞こえる。
心が洗われる気がする。
でもたくさん出かけていたらこんなことは思えない、だんだん人のエネルギーに押しつぶされて心が荒んでしまう。

人というのはその存在自体が諸刃の剣だね。

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