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半沢直樹と権力構造についての考察

こんにちは。

ここ数日、秋らしい穏やかな天候が続いていますね。
冬が来る前に、コロナと酷暑の疲れやストレスを癒しておきたいものです。

さて、今回は初めて、テレビコンテンツから得た考察を共有したいと思います。
流行りものを取り上げることに若干の抵抗を感じますが、
あの「半沢直樹」の生き方について、考えてみました。

最終回まで息もつかせぬ展開に、多くの方が毎回の視聴を楽しみにされていたのではないと思います。
私もその一人でした。

ここで、多くのファンがいるであろうことを知りながら、私が主人公に感じ続けた違和感をこれからシェアしたいと思います。

もちろん、これがあくまでテレビドラマであり、フィクションであるということを前提にお話を進めます。

半沢直樹ファンとしての違和感

個人的に、主人公にたいして感じたいくつかの違和感を整理したところ、主に2つの点に絞られるのかなと思いました。

・極端なまでの権力嫌い

・結局今のところ、誰も救っていない

というものです。


では、ひとつずつ考察していきます。

「極端なまでの権力嫌い」

時代は奇しくもコロナ禍。

私たちの身の回りの環境が激変し、不安しか見えない。
権力の象徴である政府は、どこか的外れな政策ばかり打つ。
思うように外にも出られない、
会いたい人にも会えない。

こうして、多くの人たちがこれまでとは異なる種類のストレスを味わっているさなかに、
このドラマは始まりましたね。

深刻なストレスを抱えた私たちの気持ちを、まるで代弁するかのような主人公。
現実的には「そうしたい」と思っていても、まずできないことを、次々とやってのけます。

そんな主人公の姿に、私たちは胸のすくような思いを、いつも以上に味わうことができたのではないでしょうか。
そして、彼の折れない心、ブレない行動に、現状の苦しさのハケを求め、主人公はそれに応え続けてくれました。

つまり、現状からの「反動」をこれほど見事に引き受けたコンテンツは、他にはなかったように思います。
今の社会のストレスの受け皿となった、このドラマやスタッフの存在意義は、ものすごく高いですね。

ただ、
私は個人的に、そのあたりから一つめの違和感を持ってしまいました。

回を追うごとに、主人公の言動が、
組織人として常軌を逸したレベルになっていくからです。

彼は、頭取を信頼し、また尊敬しているという主旨を口にしています。
しかし、彼がやることなすことはことごとく、
自分が尊敬する頭取その人を追い詰めていく結果になっていくではありませんか...

彼の正義感はすごいです。
「銀行を救いたい」
「がんばっている庶民の暮らしに貢献したい」
彼はそう口にします。

それなら、彼の行動はいささか的外れになるのではないでしょうか。
尊敬する頭取を追い詰めて、銀行の機能を不全に陥らせることが、はたして「銀行を救い、庶民の暮らしに貢献する」ことになるでしょうか?

過去の過ちをすべて白日の下にさらし、
銀行にミソギをさせないと、
本当にその目的は果たせなかったのでしょうか?

もちろん、過ちは正すべきだし、あの銀行は自浄作用がもはや機能しなくなっていたのは事実だと思います。

しかし、私は思ってしまいました。
「頭取が辞めちゃったら、元も子もないんじゃ...?」

以前から「行内融和」を唱えている頭取。
なんで、そんなトップを、辞職するほど追い込んでしまうの?

これは、完全に「戦術ミス」だと思ったしだいです。
自身の野性的な勘と、凄まじいまでの行動力、そして、見事なまでに優秀なサポーターを過信していたのでしょう。

残念なのは、そのサポーターの誰もが、「お前、目指してる方向は正しいんだけど、やり方が間違ってるよ」と言ってくれなかったことです。

目的、戦略、戦術の3つのバランスが、どうやら崩れてしまった。
それに誰も気づかなかったのではないか、と。

勝手な考察ですが、おそらく主人公は少年時代に味わった銀行からの仕打ちが骨の髄までしみわたっているのか、
大義を掲げながらも、
「権力」を匂わす存在が現れたとたん、
ほぼ反射的にそれに対抗してしまうのではないか
と思いました。


「結局今のところ、誰も救っていない」

主人公は、今のところ、誰も救えていません。
救われたのは、ドラマを見ている間の、私たちの気持ちだけだったのはないかと...

救ったどころか、じつに多くの人に迷惑をかけてしまったのではないでしょうか。
一例を見ても、

・最大のライバルである、「超一流バンカー」と言われた大和田常務の辞職
・あろうことか、「行内融和」を推し進めるための最大の力を持っていた、中野渡頭取の辞職
・社会に大きな影響力を持っていたであろう白井大臣の離党(幹事長の秘書の辞職もあった)
・彼のサポーターたちを危機的な立場に追い詰めたこと
・愛する妻を、「稼ぎ頭になる」宣言にまで追い詰めたこと

厳しい見方をすれば、
半沢直樹は、彼が思い描く「成功のストーリー」に、誰もかれもを巻き込み、
最後に気持ちが良くなっていたのは、彼一人だけだった...
とも言えなくないかと。

不正を暴くのは、とても気持ちの良いことです。
しかし、「その後どうすんだ?」ということの方が100倍も大事なのです。

その算段が、主人公にあったようには思えません。

実際、さっさと自分も退職願を提出してましたから。
「え?ここまで混乱させておいて、自分はケツまくるの?」
思わず突っ込んでしまいました。


そして、中野渡頭取から託された「行内融和」。

しかし、主人公は今まだ「次長」...
銀行でいえば、まだ「小僧」です。

そんな彼が「頭取を目指す」と言っています。
恐らく順調にいっても、15年くらいかかるのではないでしょうか。

企業内の混乱を収めるのは、当たり前ですがトップの仕事です。

彼は多くの功績を挙げましたが、もっともやってはいけない「禁じ手」をやってしまったように思います。

組織を混乱に陥れて、自分はトップができない。
つまり、権力がないからその責任をとることができない。
ということです。

これが、私がのめり込みながらも、感じてしまった違和感です。

彼は、目的に沿った行動をとる際に、
よくよく「誰がこの状況を救えるのか?」というシンプルな権力構造を、
冷静に分析しておくべきだったのではないでしょうか。

しかしです。
最終回、そんな違和感は、CM前のテロップで、納得に変わっていったのです。

そのテロップには、
「悪徳政治家」「クソ上司」に1000倍返しなるか?
というような言葉が映っていました。

なるほど。と思いました。
これはいわゆる「時代劇」だったんだな、と。

悪代官とそれに取り入る商人を、
刀の代わりに地位を奪うことで、
見る者の胸をスカッとさせる、
現代版時代劇なんだと。

というわけで、こんなところまで考察をさせてくれた「半沢直樹」は
あらためてすごいコンテンツだったんだな、と思います。
それだけ私も夢中で見ていたんです(笑)


今回は、ここまでにしたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

大いなる欠点を持つことは、

偉人たちのみに限られる。


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