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コミュニケーションに”効率”は要らない~”ナラティヴ”を活かそう

こんにちは。
梅雨前の、さわやかな天候が続いていますね。

ところで先日、個人の趣味でupした映画『シン・ウルトラマン』についての考察が、思った以上に読んでもらっているようで、喜んでいます。
あの素晴らしすぎる映画はもう一度、観に行く予定です。

今回のテーマは、前回触れた「ナラティヴ」によって、対話を深めていくやり方についてお伝えします。

「ナラティヴって何なのか?」について、前回のコラムでお伝えしたところ、こちらも思ってた以上に好評をいただいて、
「ああ、うまく伝えられて良かった」と思いました。

■ナラティヴは「一人称の語り」


ナラティヴとは、前回解説したとおり、

一人称の語り

「ナラティブアプローチ」野口裕二著

起承転結、いわゆる筋立てのある「ストーリー」ではなく、
「私」を主語として語られる、主観的な思い・感情・経験です。

ナラティヴは、ひとりひとりが持っています。
人の数だけ、ナラティヴがあるということですね。

こうした「予定調和的でない、主観的な想い」を引き出すことが必要な理由は、私たちが日常で扱う問題が、”質的転換”を起こしているからです。

これまでは、外から与えられた正解によって解決できたケースが多かったのに対して、
今はもはや「過去のやり方では、とうてい解決できない」問題が増えるばかりです。

こうした「初めて遭遇する」「理屈では解決できない」問題に対し、答えは外から与えるのではなく、人それぞれが内に秘めている想いを引き出していく方が、問題の本質にアプローチしやすいのです。

■たとえば美術の問題を、数学で解こうとする人たち

待てない人が多い」。
学びや体験の場をデザインする現場で、よく見てしまう残念なケースです。

まだまだ多くの企業が、「ロジカル信奉」をやめることができません。
つまり、過去の正解や論理的な分析で、会社の売り上げが上がると、心底信じている人が多い。
人の育て方も、ロジカルにやれば成功するだろうと勘違いしている人たち、のことです。

まるでシステムやモノを扱うように、人を扱う人たち。
どこかのボタンを押せば、
自動的にモチベーションが上がったり、
自動的に行動量が多くなったり、
自動的に自分の言うことを聞いてくれるようになったり、

さすがにそこまでハッキリ自覚してなくても、無意識のうちにそう信じている人たちは、少なくないです。

当たり前ですが、人が成長するには、その人に見合った時間が必要です。
しかし、「ロジカル信奉」に生きる人たちには、それが本質的に理解できないのです。
皆、自分がちょっと手間をかけてやれば、一様のスピードで育つ、と思っています。

現場には、そのことを理解する「余裕」すら、どんどんなくなっているのです。

目の前に現れた問題を、よくよく精査もしないで、反射的に誤った方法で解決しようとすることは、
まるで、「美術の問題を、数学の計算式で解く」ようなものです。

■すべてロジカルに生きたいなら、日本には住めない

コミュニケーションについての論議は、民主主義の社会でしか起きないと思います。
たしかに民主主義にはさまざまな欠陥もありますが、
メリデメを含む最大の特徴は、「合意形成に時間がかかる」ということです。

もし、
「合意形成に時間なんかかけたくない」。
「めんどくさい回り道なんかしたくない」。
「結論まで一足飛びに行きたい」。
というなら、ロシアか中国か北朝鮮がピッタリでしょう。
ベラルーシやオマーンあたりも良いかもしれません。

煩わしいコミュニケーションはいっさい不要。
すべてトップダウンで、一瞬でたくさんの人を動かすことができます。

しかし、日本はそのスタイルを取らなったですよね。
ここに、私たちがコミュニケーションに時間をかけるべき理由があるのです。

■「コミュニケーションに”効率”なんて持ち込むなよ」

私たちが日常で扱う問題は、質的転換を起こしています。
だからこそ、トップダウンで動くことは避けるべきなのです。
だって「トップが絶対に判断を間違わない」なんていえませんよね?※ロシアを見れば一目瞭然
トップだって、情緒的な生き物なのですから。

私は常々、「コミュニケーションに”効率”とか”生産性”なんて、持ち込むなよ」と、言います。

民主主義社会に生きる私たちは、
コミュニケーションはそもそもめんどくさいものなんだ」という前提を、理解しておかねばなりません。
言うまでもなく、時間をかけて、一緒に答えを探る必要があるのです。

トップダウンというしくみが、大きな欠陥を抱えていることが明るみになってきた。
だからこそ、ナラティヴが必要なのです。

■ナラティヴを引き出すヒント

ナラティヴは、いわば、ひとりひとりの胸の内に眠る「ひとかけらのピース」のようなものだと思います。

ピースを丁寧に拾うには、時間がかかります。
なぜなら、私たちが相手にしているのは、機械ではなく「人間」という情緒的な生き物なのですから。

しかし、ピースが引き出されたとき、問題の本質に迫ることができます。
ピースを集めるということは、「多様な視点に広げる」ということです。
多角的な視点で、問題を定義しなおすこともできます。

そしてナラティヴを引き出すには、原則があります。
それは、
安心・安全な場を作ること」です。

人が心理的な安心・安全を感じることができるのは、
もちろん、物理的・技術的なものも必要です。
(例えば、場のルールや、傾聴スキルなど)

しかし、それよりももっと大切なことは。
その人の「語り」に、
・「結論」を求めないこと
・聴く人も「素」の状態でいること
・「判断」をしないこと
です。

人は、人の顔色を伺う生き物です。
いくらそれらしい恰好をしていても、
「なんか良いこと言ってやろう」
「間違ってるとこ、突っ込んでやろう」
という思惑は、すぐに相手に伝わります。

というわけで、
この国に生き、「忖度」という能力に優れた私たち日本人は、
今一度、コミュニケーションが持つ可能性を、見直す必要があるのではないでしょうか?

質的転換を起こしている問題は、
解決よりも先に、問題を見直すこと。

だと思います。

心豊かなコミュニケーションライフが、皆様に訪れますように。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

<本日の箴言>
人に退屈だと思われないようにすることを大切だと思っている
人々にかぎって、
きまってわれわれを飽きさせる。

ラ・ロシュフコー


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