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ふつうの人の視点で考えた「変われない理由」

こんにちは!

先週のコラムで、熊本の大雨についてのお見舞いを述べた直後のこと、
私の郷里である飛騨高山にも同レベルの大雨が集中し、各所で被害が出ました。

不幸中の幸いか、私の実家に被害はありませんでしたが、
それにしても「数十年に一度の自然災害」が「毎年」起きていることに、
これは異常ではなく、日常になってしまったんだと思わざるをえませんでした。
去年観た映画『天気の子』の世界と、リアルの世界がどこかリンクしたような思いがしました。

新型コロナウィルスは見事なほどに終息の気配を見せず、そこに来て自然災害の襲来。
「これでもか」というほどの、大自然による主張。。。

ひょっとすると私たちは、まだまだ甘かったのかもしれません。
コロナウィルス拡大にともなって、私たちは行動変容や生活様式の変容の必要性を感じ、
自分たちなりに「これくらいで良いかな」ということをやってみてはいたのですが、

もしかすると、
「そんなレベルでは、まだまだ地球を救えないんだよ」
と言われているのもしれません。

「人間に対して地球が求めている危機感レベルは、そんな軽いものじゃない」
ということなのでしょうか。

私は職業柄、よくこんなセリフを耳にします。
「うちの社員は危機感が足りない」

どんな企業だって、こういった言葉が聞こえてくるのは珍しいことではないでしょう。

しかし、私の本音はちょっと違います。
「たいていの人にとって危機感というのは、
実際にそれが起きてみないと湧かないものですよ」
と。

理解あるわずかなクライアントには、そっと耳打ちをしたことがあるのですが、これが現実だと思っています。

それは例えば、
自分が太ったと気づいてからダイエットを始める、といったような例です。
太る前に危機感を抱く人は、かなりの少数派でしょう。

このように、早い時期から危機感を持つタイプの人というのは、たいへん限られています。

どんなタイプの人たちでしょうか。
・経営責任を負っている社長
(役員はあえて外します。中には信じがたいほどの甘ちゃんもいるので)
・その企業に出資している投資家や株主
・抜群の愛社精神をもつ社員

くらいでしょう。

こうしてみると、危機感をもつタイプの人というのは、ずいぶんと少数派だということがわかりますね。
企業の従業員の割合でいうと、1割もいないのではないでしょうか?

こうしたマイノリティの声というのは、大海に注がれたコップの水のごとく、だいたいの場合、いつの間にかかき消されてしまいます。
そして、不思議なことに、マジョリティというのは、
・悲観的な声はすぐに忘れ
・楽観的な声はすぐに信じる
という特性を持っています。

これは、新型コロナウィルス拡大が始まる直前のことを思い出せば、誰もが「ああ」と納得するはずです。
当時、パンデミックを予測した数少ない有識者は、世間に「馬鹿」だの「狂ってる」だのと言われ、相手にされませんでした。
そして今や世間は、その数が逆転し、「コロナはただの風邪だ」なんて言おうものなら、袋叩きにされかねません。


こうしたこととまったく同じことが、いち企業でも日々起きているのです。


人が、自己変容できない理由。それは、
危機感を持つことが、そもそもできないから
つまり、私たちは、実際に落ちるところまで落ちないと、わかないようにできているから。

そう私は思っています。
コラムでは何度も述べている通り、人は「失敗」からしか学べないと思っています。

ですから、一部の優秀な人たちに申し上げたいのは、
「お前たち、危機感を持て」と言っても、ムダに終わるかもしれない
ということです。

一瞬、「たしかに、マズいな」と思ったとします。
しかし、次の瞬間、隣の同僚から、「今日、ランチなに食べようか?」と声をかけられれば、
イメージの対象は、空腹を満たす蕎麦とかスパゲッティにすり替わってしまうわけです。

前号でも述べたように、現代人は、自分たちは進化した人類だと思っているフシがあるようです。
しかし、私はそれこそが、現代人をアップデートさせていない、とんでもない思い込みだと思っているのです。


ここから、私なりの結論です。

人は相変わらず弱い。
ゆえに、
自己変容は、後追いでも良いから、劇的にやらないと、生き残れない。

と真剣に思っています。


今年に入ってのパンデミック、そして自然災害。
自然は私たちに、「いい加減、ガラリと変わりなさい」と、啓示を与えてくれているように思えて仕方ありません。

ちょっとずつではなく、劇的な自己変容が必要なのかもしれませんね。


被災者、感染者、その関係者の方々にとって、一日も早く平穏が日が訪れることを祈っています。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)

真の苦行とは、まったく人に知られることのない苦行である。

そうでないものは、虚栄心によって楽になる。


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