この「雰囲気」のなか正気を保つには
こんにちは。
今回も、台風は日本の一部に大きな傷跡を残していきましたね。
被害に遭われた地域の一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。
先日、じつに興味深い報告会を視聴していました。
それは、「新型コロナ対応・民間臨時調査会」によるものです。
今回のパンデミックにおける、日本政府の対応を検証した内容でした。
この調査会は、産学が連携したワーキング・グループとのこと。
ということは、「官」(政府)の息がかかっていない、独立した存在であるということです。
つまり、非常にニュートラルに、忖度なく、そして容赦なく、
コロナについての政府の取り組みを分析できた、ということになります。
内容を聞くに、非常に興味深い話が続きました。
特に印象に残った調査会の一言は、
「東日本大震災から、なにも学んでいないように思える」
というニュアンスの言葉でした。。。
これが何を意味していたのか、資料は、書籍でも発売されるということで、さっそく予約をしました。
組織運営とも共通する「日本モデル」について、私なりに学習したいと思います。
こうした調査会のような存在は、現代社会で自分の理性を冷静に保つために、非常に価値あるものだと思った次第です。
さて、かなり前置きは長くなりましたが、今回のトピックは、このお話の延長です。
じわじわと社会を覆いつくす「雰囲気」について、考察します。
■パンデミックで「雰囲気」が生まれた
上記の調査会でも触れられていましたが、このパンデミックで白日の下にさらされたのは、なにも政府の対応ばかりではありませんでした。
「一般市民の典型的な思考・行動パターン」も、恥ずかしくなるくらい明らかになっています。
・フェイク情報の拡散
・トイぺ、マスク、消毒液、果ては食糧にいたるまでの買い占め
・マスク警察
・他県の車両ナンバー警察(そう呼ぶかどうかは知りません)
・東京の締め出し
などといった、多くの一般市民の行動は、今となっては「信じられない」と言えるでしょう。
しかし当時、大半の人たちがこんなことを大真面目にやっていたことは事実です。
それは、調査会でも報告されていましたが、
「大きな力がひとつの方向に動き始めると、否定的な意見が言えない雰囲気を作る」とのことです。
「雰囲気」
これこそがまさに、
細菌のように私たちの脳を侵食し、環境を覆いつくし、思考まで奪う、最大の原因です。
戦時中も、真実を知らない多くの市民は、「雰囲気」によってものごとを判断しました。
戦争は善、戦死は美、ぜいたくは敵、洋物は悪、誰もかれも資源を差し出さなくてはならない。
こうしたことを、ほとんどの市民がみずから進んで加担していたことは、今となれば驚きです。
が、このコロナ禍で、またしても本質的には同じようなことが繰り返されていた気がします。
とはいえ戦時中とコロナ禍では、圧倒的に異なる点が、1つあります。
それは、私たちが手に入れられる「情報量」の差です。
つまり、その気になれば、真実には簡単にたどり着く、ということです。
にもかかわらず、多くの人は、真実を知ろうとしたのかしないのか、
結局は「雰囲気に乗っかる」ばかりだった、ということ。
真実とは何か。
すべては、数字で表されるものです。
コロナウィルスそのものの真実は、「受診者」「陽性者」「重傷者」「死亡者」の数の対比で、ものの数分もあれば把握できます。
ちなみにPCRについての真実も、学術論文をネットで引っ張れます。
恣意的な情報を湯水のように流すニュースを見ている間に、
人の行為を見てヒステリーになっている間に、
数分間だけ落ち着いて、手元のスマホで、真実をたどる。
簡単なことなのですが、
それくらいのことさえ難しくするのが、「雰囲気」の恐ろしさ、とも言えるのでしょう。
ふだんからコラムでも言っていますが、こうしてみると、やはり「人ってさほど進化はしていないのだな」とあらためて確信するにいたりました。
■正気を保てる人、保てない人
私ももちろん、パンデミックとインフォデミックによって、相当な混乱をしたひとりでもあります。
こんななかで私にとって大切だったのは、「正気を保つ」ことでした。
今こうして、コラムなどを書きながら、
あらためて私なりに振り返り、「雰囲気」が生まれたときにどんな行動を取るかによって、
おおまかに分けられるタイプのようなものがあるのではないか、と思いました。
ここからは、少し自分の考えも整理しながら進めますので、もう少しお付き合いください。
「雰囲気」が生まれると、人の行動は、大きく3つに分かれます。
1)雰囲気が生まれると、それに乗っかる/飲み込まれる
マスク警察や買い占めに走った人は、すべてここに属します。
よく調べないで、ただ「怖い、怖い」と言っているタイプの人たちですね。
多くの人がここにいるように思います。
2)雰囲気が生まれると、それに反発する
敢えて人に迷惑をかける行為をする人たちのことです。
1)よりも圧倒的に少数ですが、残念ながらいます。
3)雰囲気が生まれると、それを疑う
バッシングを受けながらも、結局は正論を言っていた人たちのことです。
極めて少数派ですが、確実にいます。
もちろん、結果として間違っていた情報を流した人もいましたが。
どんな態度をとるかは、もちろん自分次第です。
にもかかわらず、態度を選ぶ権利がありながらも、それを選ぼうとしない人が多かった、
ということがわかった気がします。
そして、その雰囲気の中で唯一「正気を保つ」ことができたのは、3)の人たちでした。
■雰囲気は感情を支配する
さらにわかったことがあります。
それは、「雰囲気は感情を支配する」ということです。
感情は多くの場合、理性を凌駕します。
つまり、ある雰囲気が生まれると、大半の人たちは理性を失ってしまう、とも言えます。
これは、考えようによっては恐ろしいことです。
意図的に雰囲気さえ作り出せれば、多くの人を都合の良いようにコントロールもできてしまうからです。
SNSやチャットアプリで押し寄せた、「噂」。
まさにこれらが、じわじわと雰囲気を作り出すためのしかけだったとしたら。。。
■真実を探ろうとする態度が求められる
そしてやはり、雰囲気の中で正気を保つには、「自分で真実を調べる」という、たいへんシンプルな行動が必要となります。
もちろん、たどり着いたものがじつはフェイクだった、ということもあります。
しかし、私たちに必要なのは、
真実を得るかどうかよりも、「真を実探ろうとする態度」なのです。
少なくともその態度が、身近な人たちの安心感を生みます。
ひとりでも多くの人の、正気を取り戻させることになるからです。
私は組織開発の専門家として、この「雰囲気」というものを扱っています。
そして雰囲気というのは、じつはいくつかの要素に分解することできます。
わかればわかるほど、正気が戻るような気がします。
が、これについては、長くなりますので、別の機会にお話したいと思います。
雰囲気にのまれそうになったら、正体(真実)を突き止める態度を選択する。
正体がわかれば、対処の仕方だってわかるはずです。
今は、ひとりでも多くの人が、雰囲気のストレスから解放されることが重要だと思っています。
本日はここまでといたします。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆様が清々しいを味わえていることを祈りつつ。
◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)
最も微妙な賢明は、
最も微妙な愚かさにもなり得る
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