社会人になるときに失ってほしくないもの
こんにちは。
寒さも少しずつ柔らいできましたね。
それとともに花粉の飛散が始まっているのは憂鬱ですが。。。
私は自身の専門分野が、経営者の行動変容です。
ですがなぜか最近、ありがたいことに、若手社員、特に新入社員、ときには学生さんに対して
「なにか話をしてくれないか」と、ご相談いただくことが増えています。
私は5年ほど前、何を間違ったか新入社員研修の講師なるものをさせていただいたことがあります。
しかしやってみて、ホトホトこの分野に自分は強みがないことがわかりました(笑)
それだけに、いつもこうしたご相談に躊躇してしてしまうのですが、
最近はうれしいことに、「清原さんが伝えたいことを好きなように言ってくれたら良い」と言っていただけます。
研修でなく、講和として、ということです。
本日は、そんな若手向けテーマの1つを、取り上げてみます。
「創意工夫」という言葉についてです。
■まずは「天職はない」というところから
このコラムでは何度もしつこいくらい述べているように、
私は若手社員に対して、「天職などは存在しない」と言い続けています。
天職を探して転職を繰り返してきた私が言うだけに、説得力があるようです。
青い鳥は、うちの鳥カゴにいた。
つまり、天職というのは、外に求めていても、ないのです。
今の自分の仕事を天職だと思い込むことが、天職を見つけるための大原則。
こう思っています。
ある意味での、「諦観」です。
私は、自分の仕事を天職だ強く思いこむことで、こんなことが起きました。
まず、不思議なことに、自然と自分の仕事に対して感謝の念が湧いてきます。
うまくいってもいかなくても、この天職を通して自分に起きるさまざまなことが新鮮に感じられ、自分が天職を通して成長させてもらっている、
なにより、
天職に巡り合えているという、えも言われぬ感謝の念が湧くのです。
私にとって、変化はそれだけではありませんでした。
やはり、仕事自体が楽しく感じ始めます。
天職だと思っていると、この仕事の色んな側面に好奇心が湧いたり、ちょっとした課題に気づいたりするようになりました。
つまり、
そこかしこに自分なりに手を施す余地が生まれ、創意工夫の芽が見つかる、という状態です。
さらに良い変化は起きました。
職場での人間関係が、劇的に良くなったのです。
これは今の私にとっても、かけがえのない財産となりました。それまで反目していた上司、いらだちを覚えていた部下、そうした職場仲間と、仕事をもっと楽しむため腹を割って話すことに、抵抗を感じなくなったのです。
と、ここまでがどこかでお話した内容です。
そして、今日はこの続きです。
■感謝のルーティン
天職だと信じ込むことでたどり着く、「創意工夫」とは何か?
ということです。
上記のように、自分の仕事に感謝する「ルーティン」が身についてくると、
物事に対して新鮮な視点と感覚が持てるようになります。
すると、いつもと同じことのはずなのに、
これまで素通りされてきたようなちょっとした課題を発見したり、
違和感を持ったりする瞬間が増えてきます。
そこにこそ、自分らしい工夫を加える余地が生まれてきます。
つまり、
日々新鮮な目で仕事とも向き合うことができれば、
もっとその仕事を楽しめる意欲も生まれ、
結果としてそれが飽きのこない安定した仕事ぶりにつながっていくのです。
■創意工夫とは「自分らしさをトッピングする」こと
創意工夫という言葉ですが、私なりに言い換えてみますと、
「自分らしさをトッピングする」
という表現が個人的にはしっくりきます。
「自分らしさ」というものを、外に向けてわかりやすい形で表出していく必要があります。
しかし、自分らしさを発揮することの大切さは、誰であってもわかっていることでしょう。
わからないのは、その自分らしさとは何か、
そして、
どうやってその自分らしさを発揮すれば良いのか、ということですよね。
まず、自分らしさを発見するための答えを、お伝えします。
それはたったひとつのこと、
みずからの“違和感”に敏感になる、ということです。
■違和感に敏感になろう
ここで問わせてください。
あなたが最近、違和感をもったことは何ですか?
多忙な日常では、次々とやってくる依頼ごとをこなしていたり、
トラブル対応をしていたりすれば、ささいな違和感などにかまっている暇などないかもしれません。
そんなことよりも、目の前の火急の課題を優先しがちになるのは仕方ないことでしょう。
しかし、こうして日々、ささいな違和感を封じ込めるという行為を繰り返していることは、
思わぬ形でみずからを摩耗させてしまいます。
つまり、こうしたことを日常的に続けていくことで、
一定の場面で自分の中に発動するはずの信号のようなものに気づかなくなる。
つまり、「状況を察知する」ためのアンテナが壊れてしまいます。
すると、やがて自分から何かしらの行動や発信を起こせなくなっていくのです。
自分ではない誰かが、何かを起こし、それに反射的に動いていくだけの、
「超・受動型人間」になってしまいます。
もちろん、指示が出てそれに忠実に動いたり、
問題が起きて、それに正確に対処することは、
それはそれで悪くはないとは思います。
しかし、よくあるヒーローもののアニメでは、必ずこんな展開となります。
先に、ヒール役が問題を起こす(例えば、街を壊すとか、なにかしらの陰謀が明るみに出る)。
それが起きた後に、慌てふためいてヒーローがその計画を阻止する。
いかがでしょうか?
何かが起きたあとに、やっと動き出すヒーローたちに、それほどの魅力があるでしょうか?
それよりも、
毎回、計画を練って先制攻撃をしかけてくるヒールの方に、
不器用ながらも魅力を感じてしまうのは、私だけではないでしょう。
■生物学の観点からも、受け身にはけっしなってはいけない
経営側にいる人たちが、「うちの社員は、受け身ばかりだ」と嘆く背景には、
恐らく従業員が自分の中で発動した信号、
つまり内側で生まれる「ちょっとした違和感」を大切にしなかったことが、
遠因しているのではないかと思っています。
少し大きな視点から、話を進めます。
私は、人間は本来それほど鈍い生き物ではないと思っています。
700万年とも言われている人類史は、生き残りをかけた最終局面において、ネアンデルタール人とホモサピエンスが台頭し、結果、ネアンデルタール人は当時の地球環境に馴染むことができず絶滅しました。
こうして20万年前に、私たちの祖先である非現生人類=ホモサピエンスが勝ち残ったと言われています。
そして一説によれば、ホモサピエンスが生きながらえることができたのは、ネアンデルタール人よりも身体能力が弱かったということ。
つまり、その分、命を守るために危険を察知する能力に優れていたからだとも言われています。
この説にはじゅうぶん説得力があると思います。
この説が正しいとすれば、私たちにはもともと生命を維持する本能、つまり命を守るために危険を回避しようとする能力が備わっていることになります。
ここでようやく、結論を述べられます
つまり私たち人類は、例外なく、身近に起きることに対して敏感に反応し、危なければ回避したり戦ったり交渉したりと、何らかの対処ができる力を身につけているのです。
そして、その対処のためのトリガーになるのが、本能的に感じる「違和感」だと言えると思います。
つまり、違和感とは、今何かしらの対処が必要だとアラートを鳴らしてくれるものであると、言えるのではないでしょうか。
あらためて、違和感に目を背けてはいけない理由が、お分かりでしょうか。
人間として本能的に感じるアラートだからです。
そこには、何かしらの行動が紐づけられなければ、私たちは危険に呑み込まれる可能性もあるからです。
違和感に鈍くなる、つまりアラートと反応を遮断するということは、たとえ危険が迫っても自分は何もせず、他人の反応に自分を預けてしまう、ということになります。
■創意工夫とは、自分らしさをトッピングすること
そのための出発点は、この「いつ、何に対して自分は違和感を持つのか」に敏感になることです。
例えば、
今朝会議で上司が提供してくれた情報に、どことは言えないが、なんとなく矛盾を感じる。
メンバーから見せられた営業の提案書の内容は良いが、デザインや色遣いが気になる。
あるいは、チームが合意しようとしているプロジェクトの要件が、どうもしっくりこない、など。
まずは日常レベルで、みずからの心に起きる原初的な反応を、丁寧に扱ってあげてください。
ここに、自分らしさを発動させるきっかけがあるからです。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
◆◇◆ 今週の箴言(しんげん)◆◇◆
(ラ・ロシュフコーより)
善にかけての英雄があるように、
悪にかけての英雄がある。
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