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「ブロークン・ブリテンに聞け」ブレイディみかこさんの時事エッセイ、ずどーーんと重かった。

はい、オオハシでございます。 久々に三週連続投稿が続けられています。誰かが読んでくれると思うと、がんばらなきゃ、と思います。(別にそんなにがんばってもいないか、好きな本を好きなように読んで好きなように書いているだけか…) さて、今回も比較的新し目な2020年10月の本、ブレイディみかこさんの時事エッセイ、読んでみました。 ではいってみましょう!


ブロークン・ブリテンに聞け
ブレイディみかこ
2020年10月の本 

ブレイディみかこさんの時事エッセイです。2018年から2020年の3年間の英国での様子が描かれている。 ずどーーんと重かった。

ブレイディみかこさんは「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」で大変感銘を受け、その後、いくつかの本をオトナ買いしていろいろ読んできている。 地べた地べたとよくおっしゃられているが、緊縮財政に対して明確に批判的なポリシーを持ち、いろいろ活動をなされている。 過激で独特な書きっぷりも僕はとても好意的に受け取っている。


本書は、まさに時事エッセイで、ブレグジットで延々議論していた2018年からコロナ禍となった2020年、なるほど英国はこのような状況になっているんだ、と、勉強になる。
時事ネタを書くことは、どんどん日付が古くなるスナップ写真を残すことに似ていると思う。」と、あとがきに書かれていたが、まさにここ3年間の英国での状況をスナップ写真で届けてくださった本なのだな、とあとがきにたどりついたときになるほど!と思った、というところでした。

まぎれもない、この3年間の英国での事実、が、残されているんだな、と。「労働者階級の反乱」 よりももっと深い。



直接本書のレビュとは関係がないかもしれないが、「どこかに派」「どこでも派」の話、観点に関しては、自分が名古屋という地に帰ってきて、昨今『エリア特性』をよく意識するようになってきて、さらにコロナ禍になってずっと自宅にこもっていると、エリア特性を意識しながらも「どこでも派」なオンラインの世界な観点もあって、なんだかぐるぐるするなぁとも思いながらも、なんとなく心に引っかかったからメモとして残しておく。(2027年にリニアが開通して名古屋はもっとさらに「どこでも派」の中での『エリア特性』を出していくんだな、と思ったり)


さらにP197 の引用においては、コロナ禍でずっと在宅勤務しながら見えている世界と、また、明らかに違う世界、ということなんだなと改めて感じた。(日本は、また改めて異なるような気もするが)


本日の感想はそんなところで、以下、引用抜粋
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P36 ウィル・シャープの日本人キャラの描き方は、「愛憎」と言うほどドロドロしていないが、「愛蔑」とでも呼びたくなるような、対象を愛したい気持ちと蔑みたい気持ちが唐突にボコボコと突出し(たぶん彼の中でも)消化不良なので、見る者は予定調和的に笑うことができない。もしもこれを新種のレイシズム・コメディというのなら、異なる人種の両親から生まれた、複数の民族性を持つ人々が活躍する年代に入っている英国では、このタイプはこれから増えていくのかもしれない。
 このことは、「確立されているように見える定義をやみくもに信じて判断を下すのではなく、自分でじっくり考えてから判断しろ。なぜならあらゆる定義はこれからまだ変化していく未確定の領域だから」と言われているようでもある。そしていまこうしたコメディが英国で生まれているのは、やはりブレグジットという予定調和的でなかった事象と無関係ではないだろう。


P70 離脱派と残留派の分析については、ちょっと前に「Anywheres(どこでも派)」と「Somewheres(どこかに派)」の議論もあった。これは、フィナンシャル・タイムズの元記者で、政治誌プロスペクトの創設者・編集長だったデヴィッド・グッドハートが2017年の著書『The Road to Somewhere: The Populist Revolt and the Future of Politics』で論じた考え方である。
 彼によれば、英国社会には、どこかに定住することを欲し、自分の住むコミュニティに強い愛着を抱く「どこかに派」と、世界のどこでも暮らしていける「どこでも派」がいるという。彼の見立てでは、「どこかに派」は人口の約半数で、「どこでも派」は20%から25%になるという。
(中略)
 客観的に見れば、リベラルには「どこでも派」がクールに「どこかに派」が弱者に映り、保守派には「どこかに派」こそが真正な人間で、「どこでも派」は欠陥を抱えているように映るというのは面白い。が、客観的な面白みは置いておいて、わたし個人のことを言えば、わたしは生まれ育った国を出て生活をしているので「どこでも派」になるのかもしれない。そういえば確かに、祖国にいる親の介護問題を妹に任せっきりにしている点など、まごうことなき人でなしである。人として壊れている。その自覚はある。
 だが他方では、英国からは移住する気が全くないし、田舎者だし、生粋のパブ派なので、「どこかに派」であるとも言えよう。


P197 一般に、医師などの少数の例外を除けば、これらの仕事は英国では「シット・ジョブ」と呼ばれてきた。「ブルシット(=クソのような)」ではなく、本物の「シット(=クソ)」である。なぜかといえば、体を使う大変きつい仕事なのに、最賃ギリギリの低い賃金しかもらえないからだ。最も報われない仕事として、正真正銘のクソ仕事と呼ばれてきたのだ。グレーバーはまた、これらの仕事のほとんどは低賃金なのに「命がけ」の業務だとも指摘する。感染症のおかげでそれは従来にも増して明らかになった。医療関係者は言うまでもなく、介護士も保育士もバス運転手も、他者と触れ合えば感染の危険がある中で仕事を続けなければならない。これらの仕事は、オンライン化することのできない仕事だからだ。
 (一時的なもので終わる可能性もあるが)今回のコロナ禍で、社会において尊敬されるべきなのは、「ブルシット・ジョブ」ではなく、報われない本物のクソ仕事をしてきた「ケア階級」だという価値観の転換が起きた。これまでの、労働者階級が資本家階級に向かって拳を突き上げるという階級闘争でなく、「誰が意味のある仕事をしているのか」という価値観に基づいた階級の逆転である。数か月前まではあり得なかったはずだったこの概念の転換は、ある意味で、すでに革命だ。

「あとがき」より:裏帯にも抜粋あり
 現実も、社会も、歴史も、自分自身も、他者も、人生も、世の中というものはコンピューター上で何かをキャンセルするわけにはいかないもので出来ているのだ。
(中略)だから、ぶつぶつぼやきながらでも続けていくしかない。Keep thinking. Keep writing. Keep talking to each other. この時事エッセイを書いていた数年の間、わたしはそんなことを考えていたように思う。
(中略)暗い時代ほど、書き残しておくべきことはたくさん転がっているのだ。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。 いつものブクログもつけておきます。



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