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星野源の”うちで踊ろう”に、ポップ・ミュージックの眩い可能性を感じた。

【星野源/”うちで踊ろう”】

「家でじっとしていたらこんな曲ができました。」

昨日、2020年4月3日、星野源のインスタグラムに投稿された動画が、SNS上で大きな話題となっている。この新曲”うちで踊ろう”を、僕は、無意識ながらに何度も何度も繰り返し聴いていた。そして気付いたことがある。

《たまに重なり合うよな  僕ら/扉閉じれば  明日が生まれるなら/遊ぼう  一緒に/うちで踊ろう  ひとり踊ろう/変わらぬ鼓動  弾ませろよ/生きて踊ろう/僕らそれぞれの場所で/重なり合うよ/うちで歌おう/悲しみの向こう/全ての歌で  手を繋ごう/生きてまた会おう/僕らそれぞれの場所で/重なり合えそうだ》

この「うちで踊ろう」というメッセージは、今まさに、未曾有の危機に直面する僕たちに外出自粛を促すためのものだろう。それでも僕は、星野源が紡いだ言葉たちに、もっと普遍的な、ポップ・ミュージックが秘める眩い可能性を感じた。

音楽を聴く時は、誰だって独りだ。もちろん、ライブやイベントでは、たくさんの観客と一緒に音楽の力を受け取ることもあるかもしれない。しかし、その音や言葉を自分なりに咀嚼して、他でもない自分自身の感情に反映していく工程は、どうしても孤独なものだ。

そうした前提の上で、それでもなお、僕たち・私たちの心を一つに繋いでしまう。それが、ポップ・ミュージックにしか起こし得ない奇跡なのだと思う。

この曲は、《僕らそれぞれの場所で/重なり合えそうだ》という一節で幕を閉じる。僕はここに、ポップ・ミュージックの使命、そして眩い可能性を感じた。

そして、この曲は、「#うちで踊ろう」というハッシュタグを起点とながら、SNS上で数多くのクリエイターを巻き込み、大きなムーブメントに発展している。

「音楽を通して心が繋がる」なんて、人によっては綺麗事にしか聞こえないかもしれない。それでも、こうしてSNSによって、音楽の力と可能性が可視化され、確かに証明されている。僕たち音楽リスナーは、そんな、とても幸せな時代に生きているのだと思う。

この楽曲、そしてハッシュタグ「#うちで踊ろう」には、ポップ・ミュージックの眩い可能性が満ち満ちている。まだ未見の方は、ぜひ。




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