もう一度、僕たちは宇多田ヒカルに「初恋」をする
【宇多田ヒカル/『初恋』】
宇多田ヒカルの新作タイトルが『初恋』だと知った時、心を強く動かされた人は多いと思う。語弊を恐れずに言えば、それは、彼女の1stアルバムのタイトルが『First Love』だったからだ。
《最後のキスは/タバコのflavorがした/ニガくてせつない香り》("First Love")
1999年、たった16歳の少女が、「初恋」の概念を変えてしまった。
あのデビューアルバムから19年、彼女がもう一度「初恋」を歌う。その事実に、ただならない予感がしたのは、きっと僕だけではないはずだ。
昨年末に発売された歌詞集『宇多田ヒカルの言葉』のまえがきにおいて、彼女は次のように述べている。
「人生において避けられない出来事があるのと同じように、どんな歌を書くかは私には選べない。その時に書くしかないことを詞にして、歌うことで、私の作詞は完了する。」
作品世界に自身の痕跡を残さない作風でありながら、どこまでも私小説的な肌触りを感じさせる数々の名曲たちは、そう、彼女の人生における「必然」のもとに紡がれていたのだ。
16歳の少女が歌った"First Love"は、当時のシーンに大きな衝撃を与えた。しかしそれは、「たった16歳"なのに"あの曲を書いた」からではない。
「16歳"だから"あの曲を書けた」という事実によって、一瞬にして既存の価値観が反転してしまったのだ。"First Love"は「16歳の少女」の「必然」に基づいていたからこそ、圧倒的にリアルなものとして強く支持された。
そして、今の35歳の宇多田ヒカルが歌う"初恋"は、結婚、離婚、出産、そして肉親との死別を経た「35歳の女性」の「必然」に基づいているからこそ、まるで最後の恋のように、尊く壮絶に響くのだと思う。
《狂おしく高鳴る胸が/優しく肩を打つ雨が今/こらえても溢れる涙が/私に知らせる これが初恋と》("初恋")
もしかしたら、あまりにも深い宇多田の想いが、自分を追い越してしまうような畏れを抱くこともあるかもしれない。それでも年を重ねれば、いつか彼女の言葉に追いつく日が来ると思える。
なぜなら、約20年にわたって彼女が紡ぎ続けてきた「必然」の歌は、例えどれだけ「個」の物語に依拠していたとしても、最後には必ず「普遍」に繋がることを、僕たちは知っているからだ。
たった一人の生活者の「必然」が、無数のリスナーの「普遍」と重なる。そんなポップ・ミュージックの奇跡に、日本の音楽シーンは約20年にわたって彩られ、導かれ、救われてきた。そして、それは今作においても同じだ。この作品は、やがて訪れるその時のために、受け止めておくべきアルバムだ。
もちろん、サウンド面も特筆すべきことばかりである。
前作『Fantome』は、恐ろしいほどに深い静けさと緊張感をまとった、はっきりと言ってしまえば「死」と向き合ったアルバムだった。しかし今作は、喜怒哀楽の感情の全てをありのままに反映させたような非常にエモーショナルな作品となっている。
"Play A Love Song"の瑞々しいリズムは、春の陽射しに雪が溶けていくような晴れやかな情景をイメージさせるし、大胆にバンドサウンドを導入した"Good Night"が描く透徹なサウンドスケープには、心を優しく洗われるような気持ちになる。
彼女のトラックメーカー/サウンドプロデューサーとしての手腕も、世界的に見てもトップレベルに達していると言えるだろう。
最後に、改めて。
僕はいつも、宇多田ヒカルの音楽を聴く度に背筋が凍るような思いがする。
世代も性別も生き方も異なる彼女と、同じように驚き、喜び、恐れ、同じだけの涙を流し、同じだけの深さで傷付く、他では決して味わうことのない体験。
彼女の歌と共に生きてきたと思える懐かしさと、彼女の歌と共に生きていくだろうという予感。その二つを内包するという矛盾が、なぜこんなにも美しく、切なく、正しいのか。それは今も理解できないし、もはや感情も言葉も追いつかない。
それでも一つだけ分かるのは、
彼女の「必然」の歌は、魂を共振させる。
そんなことができるポップ・アーティストを、僕は他に知らない。
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