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真下から見える東京タワーに「いつでも行けるか」と告げたあの言葉は別れの合図だった。


先日、京王線橋本駅から新宿方面の電車に乗った。その日は、友人の家に泊まっていたため、スマホの充電をするのをすっかり忘れていた。

幸い、数十分乗るだけだった。窓の外でも眺めながら帰ることにした。ちょうどその日は、進行方向の右側に背を向ける形で乗車していたのが、「あれ?」となった。


「嘘でしょ、こんなにも山見えるの」


八王子に住んで4年。住み始めた頃から「ここって本当に東京か?」なんて疑問を持ちながら生活していたけど、住めば都というのか、田舎かどうかなんてどうでもよくなっていた。

しばしば、八王子市に住む友人が「東京都行ってくるわ!」なんて言いながら都心へ元気に遊びに行くので、「あほか。ここも東京だわ」とツッコむのが恒例になっている。

とまあ、家の付近の様子や友人との会話の中で、八王子が田舎であることはわかっていたが、「山脈?」となるほどの山々を見たことで、改めて八王子が田舎であると再認識した。

と、同時に「なんか、4年も住んでたくせにどこも行ってないなあ」となった。

車窓から見える景色は自宅から数十キロ離れた位置にあり、電車で20分もすれば着く場所なのに降りたことはない。



そういえば、ずっと登りたいと思っていた”東京タワー”にも登っていない。ちょうど、3年前、一緒に上京してきた友人と赤羽に行ったことがある。何の用があって行ったのか覚えていないけど、夕方から夜にかけて数時間だけぶらぶらした。


「東京タワー来たことある?」

「小さい頃に両親と来たらしいけど、覚えてないやー」

幼い頃、東京タワーに訪れたことがあるというのは結構聞く話だが、私は人生初だった。

「どうする、登っとく?」

「また今度でいいよ。東京タワーくらいいつでも行けるよ」

「そだね」

でも、あれ以来、東京タワーはおろか、赤羽にすら行く機会はなかった。”東京タワー”という「東京といえば」で始まる連想ゲームで三番目までにはあがりそうなスポットでさえ「行こう」と強く決めて、計画しないと行かないのだ。東京に住んでいても。


「東京といえば」で三番目までにはあがりそうなスポットだからこそ、「いつでも行けるだろう」と軽々しく思ってしまい、けれど、最終的には「東京といえば」で三番目にあがりそうなスポットなのに「行かない」という結末になる。


「何をしてるんだ・・・」

先延ばしにすることは私の良くない癖だ。昔からそうだ。嫌なことはすぐに後回し。小学校の夏の課題も、嫌いな科目のテスト勉強も。結局は時間がなくなりそうになってから焦ってやり始め、泣くはめになる。


「あれ?でも別に東京タワーに行くことって嫌なことではないよな?」


先日、電車の車窓から長く連なる山々を見ていて思った。

結局人間って、楽なことであろうと、楽しいことであろうと、先延ばしにしたらそれまでなんだ。

先延ばしにしている理由なんて、嫌いだからとか、苦手だからとかじゃなくて、単に「面倒くさい」だけ。面倒くさいから「いつでも行ける」なんて安い言い訳をつけて後々後悔するんだ。


やるべきことは今すぐやる。今できることを「明日もできるし」とか「いつでも行ける」なんて言い訳をつけて先延ばしにしない。


だって、嫌いことや苦手ことではなく、むしろ、「楽しい」ことだって先延ばしにしてしまうのが人間なんだから。


これは、人生の教訓だ。





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