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【避難の備忘録】2019年の江戸川区にて

昨年の今ごろ、いち江戸川区民だった私は、「令和元年東日本台風」に見舞われた。
あの時「台風19号」と呼んでいたあの台風が、こんなにもご大層な名前をつけられていたなんて知らなかった。
「令和元年」と聞くとどうしても「平成ありがとうまんじゅう」とかゴールデンボンバーの「令和」のイメージが強く、平成へのしんみりとした惜別の情や元号が変わった瞬間のおめでたさを思い出してしまう。
あれから一年。「令和おじさん」は「パンケーキおじさん」になり、なんと首相になってしまった。まるで出世魚のようだ。

そんな風に過去を振り返るきっかけをくれたのは、Facebookの「過去を振り返ってみましょう」機能。
昨年2019年の10月11日から13日にわたる三日間、私は台風に翻弄されていた。


2019年10月11日

11日金曜、筆不精な彼氏から昼過ぎに「住所教えて」とLINEが入った。お手紙でも書いてくれるのかしらと呑気に喜び住所を送ると、「おまえんちバリバリのハザード地区やんけ」と速攻で返ってきた。

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夕方には彼から「早めに家に帰れよ」、帰宅後しばらくすると「水は買ったか? 食料あるか?」と心配げなLINEが立て続けに来る。
やだ珍しい。デレてるのかしら。
もう風呂に入り寝巻きになっていた私は「外出るの億劫だし、柿ピーと煮干しとビールがたくさんあるから大丈夫!」と返す。
すると、電話がかかってきてしまった。普段LINEも電話もほとんどしないのに。連絡不精な彼がここまでしつこく連絡をしてくるなんて、そんなに特別な台風なのかしらと、そこでやっと危機感が芽生えた。

おまえみたいな奴が真っ先に死ぬんやぞ。すぐスーパー行け」と語気強く言われて、渋々寝巻きにパーカーを羽織って買い物に出たものの、パンやカロリーメイトのような食料品や飲料の棚はすでにすっからかん。

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終わった………。


つい先日の増税前もみんなスーパーに押しかけてめいいっぱい消費していたくせに、またしても消費し尽くしやがったんかい。
世間の人々はよく金を使うものだなあと人ごとのように感じてしまって、塩せんべいと缶チューハイだけ買ってぶらぶら帰り、布団に入った。

2019年10月12日

翌朝、雨の音に混じっておぼろげな避難勧告が聞こえてきた。
なんて言ってるのかわからないけれど、どうする? 避難、する?」と布団をかぶったまま従姉と話していたら、従姉の母から電話が入った。
今すぐに彼女の家に避難しに来いと言う。
30分以内に支度しろ! という叔母の言葉に慌てて二人で荷造りをする。
ありったけのお菓子と飲みものと一泊分の着替え、タオルとビニール袋。
手ピカジェルに除菌シート。
釜に残っていた米をかき集め、おむすびに。
避難所にいるのは長くても一泊だろうとわかっていても、一泊分に必要な、適切な荷物の量がわからない。
来ることが前々から言われていた台風でさえこんなに慌てふためいているのだから、突然地震に見舞われたらひとたまりもないだろう。

荷物をまとめる一方で、浸水に備えて物を高いところに移し、窓が割れた時のことを考えて部屋の中央に集めた。
床に直置きしていた本箱を卓袱台の上に移そうと、無理やり持ち上げたら案の定箱の底がパカリと開いてバラバラと本が床に広がった。
出発時間が刻一刻と迫っているので大切な本だけを選び上げ、クローゼットの棚に積んでいく。
救いたいものは水が届かないよう、少しでも高く。
私の部屋は、さながらノアの箱舟の様相を呈していた。
普段は平等に私の部屋に収まっている品々が、今は床からの高さという序列をつけられている。
日頃はまったく意識したことのない自分の中の優先順位が目に見える形で表されている光景に、つい準備の手を止めて見入ってしまう。
最上位にはトランペットとトロンボーン、その次に人から借りた本。
その下には毛布やティッシュなどの日用品とお菓子類、手紙やお気に入りの本。
そしてその下に床に置かれているのは、水に浸されてもやむなしと判断されたものたち。
……すまねえ、許せ。

ありったけの荷物をリュックに詰めた我々は暴風に嬲られながら駅を目指した。
途中でカッパを着た軽装の人たちとすれ違う。彼らは避難しているわけではないようだ。
ただ事ではない雨の中、粛々と習慣を全うすべく、散歩している人々。
信念強すぎでしょう。

スーパーも佐川急便も閉まっているなか、コンビニだけ煌々と明かりがついていた。
その商売根性が怖かった。
こんな日くらい休んでもいいのに。
きっとそれで困る人はたくさんいるけど、コンビニの人の安全の方が気になってしまう。
「ガチでご自愛くださいって感じだよね」と、従姉が言う。

もうすぐ駅だ。
駅からのびるアーケード内は焼肉屋と蕎麦屋以外すべて閉まっており、開いている二店舗には旅行者らしき外国人が行列を作り楽しげに語らっている。彼らは「ゴジラ並み」と評される台風が今晩やってくることを知っているのだろうか。
声をかけた方がいいような気もしたが、あいにく私たちにもあまり時間はない。
苦肉の策ではあるが、私たちは彼らの前を通りながら「タイフーン超ストロングだよね!」「タイフーンがベリーデンジャラスだね!」とルー大柴みたいな喋り方をした。
伝われ!!!

幸いにして、駅に着くやいなやバスが来た。
こんな日にも運行してくれていることがありがたい。バスに揺られている間にも何度か携帯のハザード音が鳴って、その度にギクリと身体がこわばる。

私たちの家は江戸川区の、アパートの一階。
避難した叔母の家は二階。
そして、ここも真っ赤なハザード地区、荒川区である。

びしょ濡れで叔母の家に着いた私たちは「もっと早く来ればよかったのに何してたんだよ」と怒られながらカッパを干し、タオルで身体を拭いた。
そしてテレビをつけ、台風情報を見る。

こんなに真剣にテレビを見たのは初めてではないかと思われるほど全神経を集中させても、「命を守る行動を取ってください」「危険を感じている方は速やかに避難してください」以外の情報は一向に得られない。
同じことしか繰り返さないメディアに次第に腹が立ってきた。
「“命を守る行動”ってなんやねん⁉︎ 結局避難した方がいいの? それとも外に出ない方がいいの?」
「“危険を感じている方”って言い方、なんなの? “江戸川区でも3階以上に住んでいる人は大丈夫”とか、“中川付近〇メートルの人は全員避難”とか、もっと具体的に教えてよ! もう箱根がやばいのは十分わかったから!!
地元の神奈川のことも、祖父が住んでいる埼玉県の状況も心配だけれど、真っ赤なハザードマップの恐怖が私たちを自己中にした。
我々はテレビを見放して、Twitterで江戸川区の情報を漁った。

今、中川こんな感じでーす
荒川、けっこうやばいっす」などと果敢に写真や動画をあげている人たちが見つかる。地元の神奈川のことも、祖父が住んでいる埼玉県の状況も心配だけれど、真っ赤なハザードマップの恐怖が私たちを自己中にした。近隣施設に避難するか否かを決めかねている私たちにとって彼らの情報はとても貴重なものだった。近隣施設に避難するか否かを決めかねている私たちにとって彼らの情報はとても貴重なものだった。

やっぱり、避難しよう。
そう話がまとまった時には、16時近くになっていた。
ヨガマットやら冷凍の焼きおにぎり、枝豆、ビール、お茶、大量のお菓子とタオルをリュックに詰めて、上からポンチョをかぶる。
普段は徒歩10分弱の中学校に、二倍近くの時間をかけて到着した。
教室の三階を案内され、黒板下のコンセントを取り囲むように円陣を組んでスマホゲームに興じる中学生男子数人の横に、私たち三人は陣取った。

さすがは学校。
家の中にいたらうるさいほど聞こえていた雨風の暴力的な音がほとんどしない。やはり避難してよかったと安堵する。
安全な状態に慣れるのは早いもので、一時間もすれば飽きてしまった。
いざ大変なことが起きたときに充電が足りなくなるのは怖いので、スマホはあまり開きたくない。
かといって心境としても環境としてもあまり落ち着いてはいないので、本を読む気にもならない。
行儀は悪いものの、ブルーシートに胡座をかいて目を閉じ、そっと周囲の声に耳をそばだてた。

中学生男子たちはゲームに興じながら、部活の愚痴や学校の怪談などをボソボソと話していた。
少年らしき話題だなと微笑ましく思っていたら、やがて一人が最近彼女と別れたのだと神妙に切り出した。ほかの少年たち同様、つい私も身を乗り出してしまう。
今では元カノになってしまったその子に「台風大丈夫?今、どこなの?」と送りたいけどもう自分は元カレに過ぎないから、そんなLINEを送ったらキモいかな、キモいよな。
という寂しげな声に、しんと胸がしめつけられた。
そんなことない、きっと喜ぶから連絡してごらんと言ってあげたかった。
絶句して「う…」とか「まあ…」とか曖昧な言葉しか発せなくなってしまったほかの男の子たちの反応の正直さと口下手さも、情けなくて、愛おしかった。

やー、盗み聞きはやっぱりまずい。気恥ずかしくなってきたので意を決して本を開いた。森まゆみのエッセイ『その日暮らし』は滑り出しから台風のことがさらりと触れられていて、はっとする。
彼女が紡ぐ優しい眼差しと鋭い観察眼の入り混じった文章は、読んでいてとても心地がよかった。

本を読み終えて窓近くのトイレに入ると、教室にいるとわからないバラバラとした雨の音とびゅうびゅう叫ぶ風の声が聞こえてきた。
窓の隙間から鋭く雨と風が入ってきていた。横になっていたら急に床が揺れた。「地震と台風のダブルコンボとか、最強にクソいな。鬼畜かよふざけんなよ」と従姉の呟きが聞こえた。

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19時頃、クラッカーの配給があった。
先ほど「腹減ったー」と騒いでいた中学生たちが歓声をあげる。
教室内は熱帯だった。
従姉と叔母は堪らず、廊下に椅子を出しビールを飲んで涼んでいた。
私は今まで冷暖房なしの部屋で暮らしてきたおかげか、室温に対するストライクゾーンが人よりも広い。そのことをよかったと思う日が来たことを喜ぶべきか恥ずべきか、なんともいえない気持ちで横になったまま、日記を書く。

21時半。校舎が小刻みに震えていた。
雨の勢いも増している。風も強く、窓がビリビリ鳴っている。
海老のように身体を横たえて目を閉じていると、飛行機に乗っているような気分になる。
ビャウとひときわ強い風が吹くたびに、窓近くの家族が「ひゃー」「今のすごかったー」と笑い、手を叩いている。
スナック菓子をボリボリ食べる音もする。まるでスポーツ観戦でもしているかのような楽しみ方だ。
そんな感想を呑気に抱けるのは、学校というおそらく家よりもずっと安全な場所で、家族やほかのたくさんの人と一緒にいるからこそだ。
もし、家で一人でいたら不安で一睡もできなかっただろう。

23時過ぎ。台風のピークは過ぎたらしく、外は静まり返っている。

2019年10月13日

日付が変わる頃には、1組、また1組と帰っていき、8世帯がすし詰めになっていた3年1組の教室は、いまや我々を含め3組に減っていた。
足伸ばして寝てーなー、という従姉の一声により、私たちも荷物をまとめた。

親は自宅に待機いるらしい中学生男子たちは「母親から家に帰って来てもいいよって連絡きたんだけどどうする?」「ここで夜通しゲームしてんの楽しくね? 合宿みてーじゃん」「だな、〇〇も呼ぼーぜ」などと盛り上がっていた。泊まっていくらしい。
たしかに自分が中学生で、友だちが周りにいたら楽しいだろうなあ。少し彼らが羨ましかった。

幸運なことに叔母宅は家を出た時そのままの、きれいな状態だった。
叔母宅でシャワーを浴び、足を伸ばして寝て、日が昇ってからバスで自宅に帰る。
道路は昨夜の暴風雨のことを綺麗さっぱり忘れてしまったかのように乾ききっていて、これなら自宅も大丈夫そうだと希望が持てた。
バスは新川という、中川から分かれてくる川の上を通った。
茶色く濁る普段とは異なるありさまの新川を眺めて、あらためて荒川&中川、新川、旧江戸川に囲まれている江戸川区の危険を思った。
今回私たちが無事だったのは、たまたま川が持ちこたえてくれたからだ。
どこか一河川でも氾濫していたら、おそらく私たちはテレビを見る側ではなく、映される側になっていた。
氾濫した川の付近に住む人のこれからの生活を思うと、他人事とは思えない。
家に着いて部屋をもとに戻し、方々に無事を報告したあと、私と従姉妹はノートを広げた。「“命を守る行動”ってなんやねん!」とブチ切れないためにも、避難の記憶が鮮明なうちに防災グッズを買いに行くのだ。

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2020年10月半ば

あれから約一年。
私はあの台風一過の日に従姉と買った、大きくて丈夫なチャック付きトートバッグを開けた。
トイレットペーパーや着替え、生理用品等の生活用品。
ツナ缶、サバ缶、ビスケット、乾パンにフルグラ、サラダビーンズ……。
非常用食料も大丈夫そうだ。
しかし飲みものは、なぜか大量のビールと、瓶ウイスキーと、2リットル紙パック梅酒しかなかった。
正直ビールの頼もしさは圧倒的で、「ま、ビールがあればいいか」とつい安心してしまいそうになる。
けれど、このままでは江戸川区で得た教訓が浮かばれない。
ノンアル買わなきゃ……。


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