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作務衣を買ったわけ

なにもこんな夜中に洗濯機回さなくても……。
先週の土曜の深夜23時すぎ、コトコトと窓の鳴る音に眉をひそめた。
が、次の瞬間ガタガタガタと音量が上がり、アパート全体が揺れ始めた。
地震だ!

寝る気満々で横たえていた身体を跳ね起こし、とりあえず靴下を履く。
その間も不穏な揺れが続いているので、半纏を羽織って避難カバンを押し入れから引っ張り出した。
そんな段階に至っても収まらない揺れに、本気で避難した方がいいのかもしれないとようやく思い至り、避難カバンのチャックを閉めようとした、その時。

天井から床に突っ張り棒をするタイプのラック(通称タンス)が勢いよく倒れかかってきた。

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↑ 修復後のタンス


咄嗟に手を伸ばしたものの、こちらの手は二本。対する相手は二本のパイプと二枚の格子、そして収納していた靴下やヒートテック、手ぬぐいその他が詰まった編み籠状のバッグ……。
圧倒的、多勢に無勢。

降りかかる敵を避けきれず腕や肩にダメージを食らったが、それを無視してドアを開けようと靴に足を突っ込む。
その時視界に入ったのは、我が足を包む、つんつるてん気味の紺の高校ジャージだった。
途端に、頭が冷えた。

高校ジャージに半纏で外に出る、のか?
もしかしたら避難所とか行くかもしれないのに?
最悪、最期の姿がこれになるってことよね…?

いやいやいやいや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
でも、ひょっとしたらしばらくこの格好ってことだよな…。
胸と腰に自分の名前ががっつり刺繍された格好でウロつくなんて、個人情報的にどうなのよ。
けれど、もし、もしですよ。
このアパートが崩れて私が死んでしまった時には、他ならぬ私自身に記名されていた方が絶対に識別は楽だよね。
…ていうかそもそも今、着替える時間、ある?

着替えて出るべきか、そのまま出るべきか。
高校ジャージを寝巻きにしていたばっかりに、ドアの前で硬直してしまう。
書き出したら長々と悩んでいるように見えるけれど、実際にはたった何秒間かのこと。
けれど、非常時においてはその何秒が命取りになるであろうことを、私たちは知っている。


今からおよそ10年前の、3月11日。
あの時、私は高校一年生で、月末の定期演奏会に向けて教室でトロンボーンを吹いていた。
突然の揺れに慌てつつも教室の引き戸を開け、窓から飛び離れた、そのあと。

私たちトロンボーンパートが悩んだのは、楽器をどうするかだった。
校内で活動している生徒はグラウンドに集まるようにと放送が流れ、別教室の部員がざわざわと移動しているのを見ながら、私たちは楽器を抱きしめて右往左往していた。

楽器を持ってグラウンドに行くべきか、置いていくべきか。
置いておくなら、楽器の上に物が落ちてこないように机を寄せて床に置こう。
ここだと額入りの表彰状が落ちてくるかも。
ていうかこの階、もうほとんど人いなくない?早く私たちも行かないと。

そんな会話をしながら楽器を床に集めて、こういう時に迷わず避難できない時点で終わってるよねと私たちは自嘲し合った。
そして他の部員たちに合流すべく、グラウンドへと早足で向かった。


「非常時にこんなことしてるなんて、終わってる」

10年前から私の意識はあまり変わらないまま……相変わらず、「終わってる」ままだった。
人命を最優先にすべき時に、他のことに気を取られたり、見栄を張ったりしてしまったり。
これで死んだら、死因は「もったいながり」や「見栄っ張り」になるのだろうか。
…シャレにならない。

そんなことを考えながらも半纏だけ上着に着替えてドアを開けたら、お隣さんが立っていた。
「すごい音がしたけど、大丈夫ですか?」と聞いてくれた彼は、ルームウェアらしき上下色違いのさらりとした素材の服にコートを羽織っていた。
「ご心配をおかけしまして」と頭をかきつつ、つい彼の服装をガン見してしまう。

そうか、ルームウェアという手があったか。
今まで寝巻き・パジャマ・ルームウェアの区別がいまひとつわからなかったけれど、ようやくわかった。
というのは嘘で、正直その違いはいまだによくわからない。
けれど、避難所でも浮かなさそうなお隣さんの姿にそれらの呼び分けは掴めたような気がした。

寝巻きとパジャマは、外出不可。
ルームウェアは外出可。

名称のおしゃれさの違いは、きっとここにある。
高校ジャージや着古した服ではなく、毛玉のついていない身綺麗なルームウェアを買おう。いざという時に、迷わず逃げ出せるように。
非常時の選択肢は、極力なくした方がいい。

小刻みに震え続ける雨どいを眺めながら、私は拳を握りしめた。
私がそんな決意を固めているとも知らず、お隣さんは少し興奮して話し続けていた。

こんなアパートに住んでる時点で、俺たちって死に組なんすよね

勝ち組でも、負け組でもなく、「死に組」。
私よりも長くこのアパートに住んでいる彼は、きっと折に触れてそのことを噛みしめていたのだろう。
私自身、「築40年くらいの木造なの。災害があった時はヤバそうだけど、家賃が安くてね…」と友人や家族にこのアパートのことを説明することはあった。
けれど、その意味を真剣には捉えきれていなかったように思う。

こんなアパート」「死に組

始発電車もある、小高い丘の上に立つこのアパートは、激混みの東西線や水害の危険がある江戸川区から越してきた私にとって、ようやく見つけた安息の地だった。
薄々気がついていた地震に対する耐久性のなさには、目をつぶっていた。

自分の収入では安全な場所に住むこと自体かなり難しいだろうという諦めもあったし、そもそもそんな安全な場所なんて日本にあるのだろうかという疑いもあった。
物心ついた頃からずっと、「首都直下地震が来る」「そのうち富士山は噴火する」と言われ続けている。

けれど、まだ、来ていない。
けれど、いつかは、来る。
その時、私は迷わず動けるだろうか。

隣人の言った「死に組」の実感が、じわじわと迫ってくる。
やれることから、やらなくちゃ。

まずはいつでも避難できるように、それなりに外出可能なルームウェアを買おう。
パジャマでも寝巻きでもなく、ルームウェアと呼ばれるものを。
翌朝財布を握りしめ、衣料量販店へ行った。

欲しかったのは、ちょっと外出着風のお洒落なルームウェア。
しかし持ち帰ったのは、585円のデニム素材の作務衣。
安きに流れた感は大いにあるけれど、作務衣なら堂々と外出可能だろう。

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次に買い換えたいのは、タンスだ。
下部が安定しているピラミッド型や起き上がり小法師型がないものかと探しているけれど、まだ見つかっていない。

このアパートに暮らす私たちは「死に組」ではあるし、災害は避けようもないことなのかもしれないけれど。
しかるべき時になるべく迷わないための、心構えはできる。
少しでも死なないための、備えもできる。
隣室の洗濯機の音を聞きながら、作務衣のタグに名前を書いた。

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