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ホラ吹きの父と、スリザリンの娘

本記事には、サンタに関するセンシティブな事柄が含まれております。
大変恐れ入りますがご自宅にサンタが訪れている方はお読みいただかないようお願い申し上げます。

小学校に上がる前だったと思う。
寝る前に父はよく、私を自分の腹の上に乗せて昔話を諳んじてくれた。
その朗読は本に書かれた王道ストーリーをなぞるわけではなく、父の創作をたっぷりと含んだものだった。

開きかけた玉手箱を海に投げ返し、前髪だけ白髪になった浦島太郎
結婚詐欺師として貴公子たちから訴えられたかぐや姫
勢いよく桃に包丁を入れたおばあさんに危うく真っ二つにされかけて「危ねえじゃねぇか!」と怒鳴ったり、冷蔵庫で冷やされて歯をガタガタ震わせる桃太郎

なぜか桃太郎だけやけに多くのバージョンがあって、その一つに『仁義なき桃太郎』があった。
犬・猿・キジに「こないな団子一つで鬼ヶ島についてこいなんて、わしらも見くびられたもんですなぁ」と凄まれて泣きながら帰宅した桃太郎に、じいさんばあさんが「安心しろ、桃太郎。わしらが話をつけてくるけぇ」と言う。
実は彼らはかつて桃口組を束ねていた、村最強の組長と姐さんだったのだ!という話。

ところどころに大好きな『仁義なき戦い』の要素を織り交ぜながら、鬼ヶ島と桃口組との抗争を父は臨場感たっぷりに語りあげた。
私の笑い声や興に乗った父の大声が部屋に響いて、よく母親に叱られた。

そんな父は、もっともらしい嘘をつくのが抜群にうまい。
父がサンタの弟子の「ニジュウサンタ」や「ヒャクヨンジュウサンタ」とマブダチであるという話を、私も弟もなんの疑いもなく信じていた。

だから私は「サンタさんの正体って親なんだよ」と大人ぶって話すクラスメイトのことを「〇〇ちゃんの親御さんはサンタの弟子と友だちじゃないんだ。自分でプレゼントを用意しなきゃいけないなんてかわいそう」と哀れんでいた。
そしてそう口には出さない自分のことを彼女よりずっと、大人だと思っていた。

クリスマスイブ、毎年私と弟は寝室に思いつく限りの罠を仕掛けた。
障子と襖に小さな穴を開けて床上5センチに鈴のついた毛糸を張り巡らせたり、枕元に「どうぞ今すぐ食べてください」と手紙を添えてポテチの小袋を置いておいたり、お菓子欲しさと足止めのためにニーハイソックスをツリーに放射状に広げたり。

けれど、サンタの弟子は一度だって引っかからなかった。
あるいは彼の訪問中、私たちは一度だって目覚めなかった。
父の嘘がうますぎるせいで、私は高三までサンタを信じる羽目になった。

遅まきながら真相を知った当時は、片っ端からクラスメイトの記憶を消して回りたいほどの羞恥に悶えた。
今となっては、よくそこまで信じ通し、よくそこまで騙し抜いたよな、と少し誇らしいような気もする。

そんな父の教育の賜物か、私は夢見がちなぼうっとした人間に育った。

寝ても覚めても『ハリー・ポッター』漬けだった小学校高学年の頃のこと。
11歳の誕生日を迎える前日の晩、「今夜こそホグワーツの入学案内が届くはずだ」と固く信じて、フクロウが入って来られるように窓を開けて寝た。
このまま四隅を田んぼで囲われた中学になんておめおめと進学することは耐えられないと思っていたし、自分もひょっとしたらハリーのように魔法使いになれるかもしれないと望みを抱いてもいた。

翌朝の目覚めは、最悪だった。
初夏だったから、大量の蚊が部屋に押し寄せてきたのだ。

けれど私は、そう簡単には諦められなかった。
「外国の学校は9月入学だから」と往生際悪く希望に縋り、クリスマスには「もうプレゼントはいらないからホグワーツに入学させてください」と両手を祈りしめて寝た。
その年に何をもらったのかは覚えていないが、ホグワーツ魔法魔術学校への入学も叶わなかった。

ちょうどその頃、「将来の自分の姿を紙粘土で作る」という図工の課題が与えられた。
私は本当は真っ黒なローブを羽織り大鍋で魔法薬を煮込んでいる自分を作りたかったが、それをやったら社会的に終わるであろうことを察してもいた。

中途半端に悩んだ挙句、本棚を背にノートに向かっている自分を作り「将来の夢は作家」として提出した。
「あなたなら絶対に叶うわよ」と担任の先生に言われて、いたたまれなかった。

私の前の席の男の子に「拳銃を作ってくれ」と頼まれて作ってあげたら、彼は完成品に「テロリスト」と書いていた。
シューティングゲームが得意だからだという。
ハリーのクラスメイトになりたかったのに、テロリストのクラスメイトになってしまった。

その翌年。
卒業生が5〜6人ずつ校長室に呼ばれ、校長先生と一緒に給食を食べる機会があった。
校長に将来の夢を尋ねられた彼は、いつもの少し緩い滑舌で「俺はテロリストになる〜!」と笑っていた。
その時の校長室の雰囲気は忘れてしまったけれど、そんな彼がひたすらに眩しかったことは鮮明に覚えている。

彼のような人こそがグリフィンドール(ハリーたち勇猛果敢な生徒が所属する寮)に入るんだろうな、と心の底から羨ましかった。
周りのハリー・ポッター好きな友だちには言えなかったが、ガイドブックやウェブサイトに載っている「組分け帽子」の入寮適正診断で、私はほぼ必ずスリザリン(ハリーのライバルであるドラコ・マルフォイなど鼻持ちならない生徒が多い寮)への入寮を勧められていた。

その診断結果は自分の姑息さが見抜かれているようでとても嫌だったが、彼のような裏表のない生き方は自分には不可能だと打ちのめされる経験は、きっとどこかしらで必要だったのかもしれない。


その後私は、四隅を田んぼで囲われた小学校を卒業し、四隅を田んぼで囲われた中学校に進学した。
田んぼ道は建物などの障害物がないので、天気の悪い日は最悪だった。
容赦なく風雨を食らって、9年間のうちに数えきれないほどの傘をダメにした。

部活に勉強と忙しい日々のなかで夢にひと区切りをつけつつも根本的な部分はさして変わらないまま、結局私は、ぼうっとした大人になった。
そして数年ぶりに組分け診断をやったら、やっぱりスリザリン寮だった。
性格は、そうやすやすとは変わらないらしい。

いまの私は、作家でもないし、魔法使いでもない。
グリフィンドールにも入れない。
けれど父のホラと勇敢なテロリスト少年のことは、時々記憶の中から取り出して、そっと撫で回してみたくなる。

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【2021年12月4日追記】
サイコとしておなじみの(?)彼氏にも同じ診断をしてもらったところ、彼の結果もスリザリンでした。
スリザリンカップル……なんだかなぁ……。

お読みいただきありがとうございました😆