王蟲に齧られながらとき子邸へ。【文フリ大阪 前日編】
初の遠征、文学フリマ大阪の二日前。
9月8日の金曜の晩、私は重たいスーツケースを引いて雨で濡れた道路を歩いていた。
バス停に着いてバスを待つ間、見送りに来た夫が「忘れものはないよね」と何度も聞く。
「絶対に忘れちゃいけないものは確実に入れたから、あとは困ったら買えばどうにかなるはず」
私以上に緊張した顔の夫は、そわそわとスーツケースを触ったり私の上着をつまんだりしている。
そんな彼を見ていたら、だんだんと心が落ち着いてきた。
バスが来るまで、あと少し。
時計を見上げて、スーツケースを持ち上げる用意をする。
「じゃあ、また火曜日にね」
夫からもらったお茶とおやつが入ったビニール袋を振ってみせると、彼は寂しそうに顔をゆがめた。
「るるちゃん、行っちゃやだ」
わぁ。
これから夜行バスに乗るってときに体温上げさせないでほしいんだけど。
結婚から約一年、そういえばこんなに離れ離れになる機会はなかったかもしれない。
「絶対に元気で帰ってくるから、あなたも元気で待っていてね」
思わず戦地に向かう兵士のような言葉を返し、背筋を伸ばしてバスへと乗り込んだ。
夜行バスの座席に座ると、頭の部分にじゃばら状の顔隠しが付いていた。なにこれ。
いままでの夜行バスでは見たことない。これがあれば、アイマスクはいらなそう。
すでに準備万端で頭からかぶっている人は、まるでナウシカの王蟲に齧られかけているように見えた。
はやる心を抑えながら私も顔隠しをかぶると、頭から肩あたりまでがすっぽりと、安心感に包まれた。
なんて画期的な発明なんだろう。
王蟲の中はちょうどよい暗さで心なしかあたたかくて、すでに眠い。
走り始めたバスの微振動が心地よくて、目を閉じるだけで意識が遠のく。
「あと10分ほどで〇〇に到着しますー」
突然のアナウンスにびくりと目を開けたら、そこは大阪だった。
過去最高に寝てしまった。
サービスエリア、本当に三か所も止まったのかな?
最初の一か所しか記憶にないんだけど。
強烈な日差しに目を細めながら、丹念に身体を伸ばす。
よく眠れたとはいえ、関節がしびしびと痛い。
スーツケースを転がしながら、とき子さんの待つ駅のロータリーへ向かう。
「きゃー、つるちゃん!ようこそ~!!」
朝っぱらから超元気なとき子さんが、ぶんぶん手を振りながら走ってきた。
再会を喜ぶのもそこそこに、まずはスケジュールを確認する。
最初に、明日の荷物の確認。
それから予約分の『つるる&とき子のぬか床日和』にサインを書いておきましょう。きっと当日はバタバタしちゃうから。
そんな話をしていたら、「ねぇつるちゃん、太陽の塔見たくない?すごく見せたいんだけど!」と勢いよくとき子さんが言う。
ぜひぜひ、準備が終わったら太陽の塔に行きましょう。
鶫さんへの荷物の発送準備もしておきたいよね。
そんでもって18時には、とき子さんイチオシのお店に行くんですよね。ね!
とき子さんイチオシのお店とは、ここで紹介されていたお酒とお料理が絶品のお店。
楽しみですねぇと言うと、娘ちゃんがあっけらかんと笑った。
「今日お父さんは来ないよ、へへへ」
なんで!?おいしいって舌鼓を打ったって書いてあったじゃない。
「飲みすぎるなってネチネチ詰めたら、今日は女子会でいいよって言ってくれたんだよねぇ~!」とニヤニヤするとき子さん。
※ここだけ読むと旦那さんに冷たい妻&娘みたいだけれど、家族仲はとても良好です。
そんなわけでまずはスーツケースを開けて、文学フリマで使うものを並べる。
「私の本は既刊だし、とりあえず15部ずつ持ってきたんですよね。とき子さんは何部持っていくんですか?」
「ちょっと待って!?それを相談したいと思っていたぁー!」
いそいそと立ち上がったとき子さんが、目の前で本を並べ始める。
売り切れそうな数を持っていくか、多少余っても多めに持っていくか。
当日を迎えるまで、どちらがよしと出るのかはわからない。
多少余るくらい持っていった方が安心じゃないですか?
とき子さん、大阪在住だから持って帰るのも東京ほどは大変じゃないし。
そんな相談をして、また荷物確認に戻る。
「そうだ、つるちゃん!見本誌って今回準備する?こんなラベルが入ってたんだけど!」
私が出た前回、前々回の東京では見たことのないラベルが現れた。
ブース名や作品紹介を書いて作品に貼れば、見本誌コーナーに置くことができるらしい。
1ブースにつき3枚しか貼れないらしいので、とき子さんの新刊『にじいろの「はなじ」』と復刊『なけなしのたね』、それから私の『春夏秋冬、ビール日和』を選んで紹介することに。
どう書いたらお客さんが手に取ってくれるかしら。
まだ文フリは始まっていないのに、見ず知らずの人へのアピール合戦はすでに火蓋が切られている。
キャッキャとラベルを埋めてひと安心かと思いきや、今度は「そういえば鶫さんに送るTシャツとピアスを持ってきたんですけど、どこにまとめておきましょうか」。
私たち、集中力が全然続かない……!!!
「一つずつ片づけていこう!じゃないと私たち、太陽の塔にたどり着けない……!!」
そう何度も言いながら、私たちは幾度となく脱線を繰り返し、息も絶え絶えに準備を終えた。
さあー!太陽の塔だぁー!
まるで松岡修造が乗り移ったかのごとく、とき子さんは太陽の塔のよさを熱っぽく語った。
絶対に見てほしい、このよさは言葉では伝えきれない、明日の文フリ成功のお祈りもしたい。
とにかくとっておきの場所であることをビシバシ感じながら、私たちは太陽の塔に降り立った。
初めての大阪、初めての太陽の塔。
私の故郷には鎌倉の大仏や大船の観音像があるので、勝手にそれに近いイメージを抱いていた。
太陽の塔は、そんな私のイメージを粉々に打ち砕いた。
私の知っている木々の中に静かに佇む像とはまったく異なる、圧倒的な存在感。
そこだけ時空がゆがんでいるような、目をそらせないような圧。
息を呑んで太陽の塔を見上げる私に、とき子さんは「ね、いいでしょ?」と声を弾ませた。
「どこから見てもすごくいいのよ」というとき子さんの激推しを受けて、塔を一周することにする。もしも太陽の塔がツアーガイドを募集することがあったら、絶対にとき子さんを雇った方がいい。こんなに太陽の塔に修造力を注ぎ込んでくれる人、なかなかいませんって。
「またぁ~?」と太陽の塔に飽きていることを露わにしぶしぶ歩いていたはずの娘ちゃんも、やはりとき子さんの娘。
「〇〇がここからしゃがんで撮った写真がいい感じだった」と途中でいくつもの写真スポットを教えてくれた。
思いっきり太陽の塔を堪能した私たちはモスバーガーでお昼を食べながらひとしきりnote談義で盛り上がり、とき子邸に戻ってお茶を飲みながらまたしゃべり、そして念願の料理店で魚料理を堪能しながらしゃべり倒した。
とき子さん絶賛の料理店は先付けに始まり、お刺身、サンマの塩焼き、アクアパッツァ、カニクリームコロッケとイカのから揚げ、リゾット、デザートととにかく豪勢かつ美味。ここがおさかな天国ですね?
東京に越して以降、値段は高いわグリルはないわで全然魚を食べる機会がなかったけれど。
いま私は猛烈な勢いで一年分の魚を取り戻している……!
幸せな気持ちで顔を上げたら、向かいのとき子さんと娘ちゃんがうまうまと海老を吸っていた。その顔がまたそっくりで、笑いがこらえきれなかった。
「おいしかったねぇ」とはしゃぎながら夜道を歩くと、とき子さんと娘ちゃんが「ここでお父さんが大声を出した」「ここで走り出して近所迷惑だと思った」と旦那さんの大騒ぎの痕跡を口々に挙げ始めた。
「ここで車に乗ってライトをチカチカさせたりしてさー!」
シラフでも十分すぎるほど愉快な旦那さん。
お酒を飲むとテンションがとどまるところを知らない旦那さん。
「産前・産後の恨みは絶対に忘れないわ!」と女子会で強く言われてしまう旦那さん。
「それでもネタにしてしまえるうちは大丈夫だよねえ!」とカラカラ笑うとき子さん。
そう、笑い飛ばせているうちはきっと大丈夫。
「明日は文フリ本番だから、てっぺん(0時)は越えないようにしようね!」と何度も言い合ったのに、結局この日は0時半すぎに慌てて布団に入った。
夫の呟きにキュンとしたり、夜行バスの進化に驚いたり、騒がしく文フリ準備をしたり、太陽の塔に圧倒されたり、そして一年分のお魚を食べたり、とき子さんのエッセイの聖地を辿ったり。
一日中感情が渦巻いていたからすぐには眠れないかもしれないと思ったのもつかの間、横になっておしりたんていの枕に頭を乗せると、一気に眠気が覆いかぶさってきた。
いかに王蟲が画期的といえども、おしりたんていには勝てなかったのだ。
そしていよいよ翌朝、私たちは文学フリマ大阪を迎えた。
(当日編へ続く)
太陽の塔を熱く語るとき子さんの記事はこちら。
お読みいただきありがとうございました😆