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「あの子がいれば」と言われたい

おそらく、いろいろなタイミングが合っていなかったのだと思う。

彼が少女漫画『ちゃお』のテーマソングにハマってしまったのも。
私が生理前で身体が重く、めちゃくちゃに感情が揺れやすいのも。
近づく台風を理由に、彼の家に泊めてもらったのも。
それから私が、『老人と海』を読んだのも。


まず『ちゃお』に何の罪もないことは急いで書いておきたい。
そう、『ちゃお』には何の罪もないのだ。
しかしながら……陽気すぎるのだ。
特に生理前の気が荒れている時に延々と歌われると、申し訳ないけれど無性に癪に障る。

知らない方のために書いておくと『ちゃお』のテーマソングとは、「ちゃっちゃっちゃっちゃっ ちゃちゃちゃちゃ〜 ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃ〜お!……」という歌詞(歌詞なのか、これは…?)の、アップテンポな曲である。
この歌をバックに「ちゃおガール」と呼ばれる小〜中学生と思ぼしき女の子が「ちゃお!7月号の付録は、shino先生のサイン入り植木鉢だよ♪(唐突な登壇すみません 笑)」などと付録や漫画の見どころを紹介するのが、かつて私が馴染んでいた『ちゃお』のテレビCMだった。

平常時に聴けばこの曲は、聴くだけでわくわくするような、子どもたちの購買意欲をそそる素晴らしい曲なのだろうと思う。
残念ながら私自身は買ったことはないけれど、CMだけはやたら印象に残っているし。
そういう意味で、かなり成功したCMだと思う。
とにかく、歌には罪はないと繰り返しておく。


そんでもって私は今、生理前である。
無性に気が立っているため、ヘンなメールや電話が一本入っただけで「キイ〜〜〜!」となってしまうし、弁当から少し汁が漏れただけで泣きそうになる。
そんな感情がブレブレの時には、なるべく一人静かに時が過ぎるのを待つのが一番なのだけれど。
台風で夜から雨が降ると聞いたら泣きたくなって、どうしても埼玉の自宅に帰るのが億劫になってしまった。

こんな日は、なるべく早く寝よう。そう思って、彼に連絡を入れる。
宿泊了解とともに「夕飯、どうする?」と返事が来た。
私の実家から送られてきた冷凍のおかずが彼宅の冷凍庫に残っているはずなので、好きなものを解凍し、お米を炊いておいてほしいと頼む。
冷凍庫にあるおかず一覧と、特に希望はないと返事が来たのでカツオのたたきを解凍しておいてほしいと返した。

そして数時間後、みそ汁と炒めもの用のシメジとほうれん草を買って彼の家に行った私は、信じられないものを目にした。
カツオのたたきが二本、でんと台所に置かれていたのである。

えっっ???

一人一本食べる気?
私の実家ではこれ五人で二本だったんですけど……?
私がびっくりして「これ、一人一本のつもり?」と聞くと、「いや、特に考えてない」と彼は答えた。

考えろよーう!!!

残念ながらこういうことは、私たちの間ではそこそこの頻度で発生する。
彼は、3つ入りであれ5つ入りであれ、「これでひとパックになっていたから」というだけの理由ですべて解凍してしまう男だ。
今回のカツオも、大袋にまとまってはいるが一本ずつ個包装になっているタイプだった。それを大袋ごとそのまま解凍しているのだ。

これが「一つは明日に回すつもりで」とか「賞味期限が近いから少し量が多くても食べきってしまおうと思って」とか「しっかり食べたい気分だから」といった、何かしらの理由があればいいのだ。
しかし彼は、「特に考えてない」と言う。いつも。

恋人や夫婦の別れ話や友だちとの絶交など、人間関係がほころびる契機となるのは、おそらく他人からすれば「こんな小さなことで?」と鼻で笑われてしまうような、ささやかな価値観の不一致なのではないかと思う。
当人たちにとってはなかなかに切実だが口に出すのはためらってしまうような、そんな不和の芽は日常のそこここに転がっている。それは普段はひょいと避けられたり無視して踏み抜かれたりしているものの視界にはうっすらと入っていて、ふとした拍子に大爆発の原因となるのだ。

これまで私はそんな彼氏の習性が出るたびに「これだと少し多いから、このくらい明日に回そう」と穏やかに提案して、そっと取り分けてきた。
初見のゲームだろうと勉強だろうと、あっという間に法則性を見つけ出し解決してしまう地頭のよさを持っているくせして、どうしてこの人は解凍に関してはこんなにも頭を割いてくれないんだろうと毎回納得できない思いを抱えてはいたけれど、そのモヤつきを声高に表明したことはなかった。

けれど、この日の私は違った。生理前というだけではない、『老人と海』に感化されていたからだ。
そしてぐんにゃりとしたカツオのたたきに包丁を入れている時に、彼が裏声で『ちゃお』のテーマを歌ったことが、着火剤となった。

「マカジキでも釣るつもり?」

あきれるほど、冷たい声が出た。
「えっ? 釣らんけど」
当たり前だ。
けれど釣らないなら、なぜこんな豪勢な食事をする必要があろうか。しかもこの4連休明けの、一番体力のある時に。

『老人と海』の主人公である誇り高き漁師サンチャゴの「あいつを食う値打ちのある人間なんて、ひとりだっているものか」という言葉が蘇る。
「私たちには、一人一本カツオのたたきを食べる値打ちなんてないのよ」と言いそうになって、すんでのところでこらえる。
そもそも私がカツオを所望したのは、サンチャゴが「まかじき」を食べるシーンがあまりにもおいしそうだったからだ。

大魚こと「まかじき」との死闘後、鮫に襲われ食いちぎられたあとを一切れむしりとり口にした彼の感想がすごい。

噛んでみて改めて値打ちがわかる。とても味がいい。肉がしまっていて、しかもこくがある。牛肉のような味だ。しかも紅くはない。筋がぜんぜんない。市場にだせば最高の値段に売れたろう。

『老人と海』より

老人の食事場面はそこそこ登場するわりに、これほどおいしさに描写が割かれるのはここだけである。
彼を慕う少年マノーリンが用意してくれた「黒豆ご飯と、揚げバナナと、シチュー」でさえ「このシチューは素晴らしいな」、この一言だけである。
サンチャゴがほとんど味に言及しないのは、おそらく食に対しての関心が相当に薄いためだろう。

これから遠くへ漁に出る前の食事が、コーヒー1杯。
老人って、そういうものなのだろうか。いまだにかなり食欲旺盛な、まもなく90になる私の祖父母を思い浮かべて、首を傾げた。
母方の祖父は一人暮らしでもマメに自炊してカレーや煮付けをよく作っているし、父方の祖母はお取り寄せグルメに熱心だ。
サンチャゴの食の細さを不安に思いながら読み進めたら、彼は必要とあらばしっかり食べるタイプなのだと知った。

「体に力をつけておきたいからな」
漁に出てから彼は、大魚と闘うために釣り上げた鮪を食べ、鱰を食べ、鱰の胃から出てきた飛魚を食べる。大魚を仕留めた後は、舟底に落ちた小海老を食べる。
飛魚と小海老はサンチャゴの口に合うらしく特に不満は述べられないが、鮪と鱰を食べる時にはしきりに塩かライム、レモンを恋しがる。

ベテランなんだから忘れずに持ってきなさいよ、と言いたいところだけれど彼はもともと水一本で漁に出ていた男だ。
予期せぬ大魚との出会いこそが彼に魚を食べさせているのだと、陸にいた頃とは比べものにならないくらい元気な彼を見て思う。

そして塩やライムと同じくらい、否、おそらくそれ以上に彼が恋しがっていたのは、彼の理解者である少年マノーリンのことだった。
サンチャゴがイケていた時代を忘れないマノーリンは、今も彼に熱い尊敬のまなざしを注いでくれている稀有な存在であるだけでなく、頼もしい相棒でもある。

「あの子がここにいてくれたら」
大魚を釣るまで、彼は何度も繰り返す。
大魚に船ごと引き回され始めた時、見張りなどの手伝いがほしい時、二人で漁に出た思い出に浸った時、大魚が逃げてしまうのではと不安に駆られた時、必要なものに手が届かない時、手を揉みほぐしてほしい時。
彼は何度も少年の不在を嘆き、己の身を鼓舞する。

もし、私がサンチャゴの立場だったら。
私が大魚に船を引っ張られて、海をさまよっていたとして、「あの子がここにいてくれたら」と心から欲するのは、誰だろう。あの子さえいたらうまくいくのにと、強く信じられるのは誰だろう。

何人かの顔が浮かんだけれど、最終的に残ったのは彼氏だった。
私の友だちは、なんだかんだ類友が多い。お金の使い方だったり、悩み方だったり、人との距離感だったり。喜べるポイントも一緒だが、苦しむタイミングも近い気がする。
一方、彼と私の共通点はほとんどない。彼は深く考えることなくカツオのたたきを一本丸々食べるような人ではあるが、それは迷う間もなくサポートしてくれそうと言い換えることもできよう。
その一切迷いのない潔さは、時々とても頼もしい。
もし彼が「そんなに身体が痛いならもうやめようや」と言って釣り糸をちょん切ったとして、私は地団太を踏んで悔しがりながらも「彼の判断だからそれもありかな」と納得するような気がする。
それはサンチャゴがマノーリンに寄せる信頼や愛情とは少し違うけれど、これも一応信頼と愛情ではある、はずだ。

私は、彼のマノーリンになれているのだろうか。
ふいに気になった。本人に聞かずにはいられなくなって、「『老人と海』って読んだことある?」と問いかけた。昔あらすじを読んだきりだと言うので、ざっくりと紹介することにする。

「サンチャゴっていう漁師のおじいちゃんが、84日間1匹の魚も釣れなくってさ」
「それ漁師名乗っていいんか? もはやニートやん」
すかさず彼の辛辣な言葉が飛ぶ。
獲れなくても海には出てるんだから、別にニートではないでしょう。
そうたしなめて、続きを話す。

「遠くに漁に出たら巨大なまかじきがかかって、めっちゃ塩とレモンを欲しがりながら生魚わしわし食べて、最終的に仕留めることに成功するんだけど、帰りに続々と現れた鮫にどんどん食べられちゃう話」
「それ……楽しいんか?」

楽しいのだ。
サンチャゴとマノーリンの相思相愛感も、まかじきに寄せる親しみと尊敬も、手持ちの道具をどんどん犠牲にしながら最後の力を振り絞って鮫を撃退しまくる勇姿も。
「また塩ほしがってるよ!」とか「ろくに水飲んでいないのに、大声で叫びすぎだよ……」等々茶化したくなるシーンは多々あるけれど、それも含めて最高のエンターテイメント小説なのだ。


ここまで語って彼に「あなたがもし一人で海に出たら、私のことを恋しがってくれる?」と聞いた。
かなり誘導尋問に近い尋ね方をしてしまったけれど、彼は素直に「うん」と頷いた。
「あんたは絶対に、塩もライムも忘れないタイプだもんな」
当たり前だ。私なら塩とライムだけではなく、弁当からおやつ、紅茶などありとあらゆる飲食物を持っていく。それから文庫本やラジオなどの娯楽も。
だからきっと、私は大魚を釣ることはできないだろう。私たちがサンチャゴとマノーリンのような絆で結ばれることもないだろう。
でもきっと、それでいいのだ。

でもやっぱり、一人一本カツオのたたきは贅沢すぎる気がするんですけど。どうなんでしょう? ねえ?

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yuri♡さん、ともきちさん主催の『恋愛×読書コンテスト』、読んでいるだけでも十分楽しかったのですが、なんだかたまたま「恋愛×読書」っぽくなってきたので参加させていただくことにしました。ていうか、これ恋愛なのか……?

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そして完全に余談ですが、再度きりえやさんを推しておきたいのです。前回は『ゴーヤいじり』(元ネタ『高野聖』)をご紹介したけれど、なんと『老人と海』も偽本になっているのです。マカジキのなんともいえない目つきが好き。

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