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代筆屋の恋

人生初のアルバイトは、ラブレターの代筆だった。
小学6年生の頃のことだ。
きっかけは、クラスメイトのゆみちゃん(仮名)だった。
自分の代わりに、意中の彼へのラブレターを書いてほしいと頼まれたのだ。
ゆみちゃんの好きな人は学年きってのモテ男、金子くんだった。

ドッヂボールで女子を当てるときは、必ず靴に当てること。
バスケ中に見せる、真剣なまなざしと圧倒的な足の速さ。
林間学校での頼れるリーダーっぷり。

彼女から数々の武勇伝を聞いて、それを便箋に乗せていく。
なるべく彼女の字に似せて、彼女の口調に文体を寄せて。
書き上がったものを彼女に渡すとたいそう喜んで、次の日に家からちょっと高そうなお菓子を持ってきてくれた。

その後しばらく経ったある日。
あの手紙が彼に渡っていないことを、彼女自身から聞いた。彼女はあのラブレターを自分で読み返しては、彼への恋心を燃え上がらせているらしい。
さらには自分の恋敵でもあるクラスの女子にまで読ませて自慢しているという。

……自分だったら、恥ずかしくて絶対にできない。
目を白黒させてそう言ったら、彼女は「ここに書かれている気持ちはウチの気持ちだけど、文章はウチじゃなくてるるるのだもの」とにやりと笑った。
彼女がそう言うなら、別にいいか。
これが自分の気持ちを自分で書いたものだったら、私はクラスメイト全員を張り倒してでもこの手紙を死守すると思う。
でも私たちの間では気持ちと文章とがきっちりと分担されていたから、恋文を読まれることには不思議と羞恥心はなかった。

それから少し経って、同じクラスのみずきちゃん(仮名)に呼び出された。
おとなしくてお上品な彼女は、私たちとは違うグループの子だった。
屋上に続く階段に座って、私は彼女の用件を聞いた。
私もラブレターを書いてほしいの

小さな、しかし毅然とした声で頼まれて、私は頷いた。
いつもどことなく自信なさげな彼女が、好きな男の子にその恋心を伝えようとしている。
それはぜひとも手助けしなくっちゃ。

そんな応援の気持ちももちろんあったが、本音を言えば「誰?みずきちゃんの好きな人って、誰なの?」という野次馬根性の方が大きかった。

「で、誰宛て?」
興味をなるたけ隠そうとしながら、でも隠し切れずに鼻息荒くそう聞くと
金子くん
と返ってきた。
やれやれ。どんだけモテるんだ、金子くんよ……。

先生の説明を聞き逃して困っていたとき、斜め後ろにいた金子くんが「先生、俺わかんない!」と声を挙げてもう一度説明を求めてくれたこと。
赤面していた彼女をからかってきたクラスの男子をたしなめてくれたこと。
筆箱を忘れて泣きそうになっていたら、鉛筆を一本貸してくれたこと。

聞けば聞くほどいい人だなぁと思いながら、彼女の代わりにあたたかな言葉を紡いでいく。
翌日完成した手紙を渡すと、彼女は「ごめんね、うちにはお菓子がなくて……」と300円くれた。

ゆみちゃんのせいでラブレターとお菓子が引き換えみたいな誤解が生まれている。
みずきちゃんの誤解を正そうかとも思ったけれど、私は懐の寒い小学6年生。ありがたく、もらっておくことにした。
みずきちゃんが他の子にしゃべったとは思えないけれど、その後もぽつぽつと私はラブレターの依頼を受けるようになった。
クラスの女の子はもちろん、他のクラスの子まで。
揃いも揃って、宛先は金子くん。

最初は学校で依頼を受けて物々交換を行っていたのだけれど、さすがに先生に見つかるときまり悪いので、通学路の神社のわきの土管の上に事務所を構えた。
ここで依頼主の持ってきたお菓子を食べながら、金子くんへの恋心を自覚した瞬間や彼の格好よさを存分に聞く。
土管の上はハートマークが充満し、呼吸困難なほど濃密なラブで満ちていた。
そうしていつしか、私は金子くんマスターになった。

金子くんは彼女たちが言うように、本当に素敵な男の子だった。
たしかに彼はドッヂボールのとき、男子には容赦なく剛速球をぶん投げるのに女の子を当てるときには必ず靴に向かって、ポンと軽く投げていた。
バスケットボールを持った瞬間、教室で友だちとダベっているときとはまったく違う鋭い顔つきになった。
目立ちたがり屋なわけでも声が大きいわけでもないのに何かとリーダーを任され、またそれをきちんとこなしていた。
そして男女隔てなく、困っている様子の子をさりげなく気遣っていた。

こりゃあモテるわ。
君に届け』の風早くんかよ(←当時は未読)。
女の子たちから聞いた通りの彼の言動を見つけるたびに、私はわくわくと彼を見守った。
「金子くん、きっとあの池に帽子を落とした下級生を助けるわよ…………ほら助けたー!熊手で引き寄せてる~!」
恋心などはみじんもなく、ただただ別世界の住人として楽しんでいた。

そんな彼が、隣の席になった。
図工の時間に自画像を描いていたときのことだ。
自分の顔の色を塗る段になったので、ちょっとだけ茶色の絵の具を出してそこに多めに白を出して混ぜ、ほんの少しだけ赤を垂らして大きく混ぜた。
そしてパレットと鏡に映った自分の顔と見比べて、画用紙に絵筆を滑らせる。
すごい、ほんとの肌色だ
小さな呟きに顔を上げたら、金子くんが目を丸くして私の画用紙を見つめていた。

「俺の肌色の絵の具より、ずっとつるさんの肌の色が出ているよね」
そう言って彼は、自分のパレットを指した。
彼はリッチな子どもだったので、「肌色」の絵の具を持っていたのだ。
私の絵の具は赤青黄色といった基本的な色が12色くらい揃ったセットだったけれど、余裕のある家の子の絵の具セットには基本色プラス金銀、肌色といった珍しい色も入っていた。

「俺の肌の色も、作れる?」
そう尋ねられた途端、急にどっと変な汗が出た。
手渡された彼のパレットに、彼の顔に合った色を置いていく。
少し湿らせた筆で慎重に混ぜては足し、混ぜては薄めを繰り返す。
顔を上げるたびに、彼と目が合う。手が、震える。

いやはや、さすがモテ男だぜ。まあ、ハリーほどじゃないけど。
当時べたぼれだったハリー・ポッターをどうにか脳内に召喚し、平静を保つ。
そんな絵の具事件以降はなるべく教室ではハリーを読むように心がけていたら、「俺はまだ『アズカバンの囚人』までしか読んでいないけど、おもしろいよねこれ」と声をかけられた。
思わず本から目を上げると、彼はにこにこと本を指さした。
せっかく召喚されていたハリーが「ぬおお!目が、目が~!!」と両目を抑えてうずくまる。

やめてよこっちに入ってくるの!
私、あなたのことを好きになりたくないのよ!

こちらの心の叫びなんてお構いなしに、その後も彼はしょっちゅう話しかけてきた。
ただの品行方正少年かと思いきや、わりと皮肉屋めいたところもあってついつい話が弾んでしまう。
でも、私は。
恋と友情なら、だんぜん友情を取ろう。取らねばならぬ。
だって私が好きになるよりもずっと前から、ゆみちゃんもみずきちゃんも他の女の子たちも彼のことが好きだった。
そう私は、あくまで代筆屋。
ゆみちゃんなんて完全に私のことを信用して「今度は彼に渡す用のラブレター書いてー。今お隣同士だし、情報収集もしやすいでしょう」などと言ってくる。

今度の手紙は彼の手に渡るのかぁ。金子くん、ゆみちゃんと付き合っちゃうのかな。
想像するだけで重黒いもやもやが胸の中に溜まっていったが、もはや私は金子くんの素敵さを定期的に紙に書かなければ気持ち悪くなるような体質になっていた。
自分自身の気持ちも気づかれない程度に織り交ぜつつ、彼宛ての手紙を書く。
何度も書き直したせいで、最初に書いたよりもずっと時間がかかってしまった。

休み時間、魂ごと売り渡すような気持ちで手紙を渡すとゆみちゃんは嬉しそうに頬を染めて手紙を読んだ。
そしてさっそく下駄箱に入れに行くからついて来いという。
金子くんたちが外で遊んでいるのを確認して、私たちは下駄箱へ向かった。
が、ゆみちゃんは突然恥ずかしがり、「るるる入れてきて!」と手紙を私に押し付けた。
嫌だ、嫌すぎる。だってこの手紙は、私が自分の気持ちを込めた手紙だ。
私が彼の下駄箱に入れたら、正真正銘の私から彼への手紙になってしまう。

でも私の気持ちなぞ知らない彼女にとっては、こんなことはささいなおつかいだ。
「早く!早く!」と急かしてくる。
もうどうにでもなれ、と泣きそうになりながら手紙を手に彼の下駄箱に踏み込んだとき、「ああ、やっぱり君か」と声がした。
金子くんが、傘立てに腰かけていた。

そこから先はあっという間だった。
ゆみちゃんは脱兎のごとく逃げ出し、残された私に彼は「同じ人のいたずらだと思っていたよ。いろんな子の名前だけど、いつも同じ便箋だから」と言った。
やだ私ったら、なんて馬鹿なの。

書いたのは私だけど、その思いはそれぞれ、その子のものだよ。
そう弁明してみたけれど、彼は気のなさそうな返事をしただけだった。

バレンタイン当日、彼はあからさまにモテていてチョコの入った紙袋のせいで私の机横のカバン掛けが使えないほどだった。
あの日に逃げ出したゆみちゃんまで、「義理だよっ☆」とあからさまな本命チョコを彼に渡し、私にはその三分の一ほどの包みを渡して去っていった。
「君はくれないんだ?」
そう問われて、「私はホワイトデーに返すことにしてるの」と澄まして答える。
嘘だ。本当は昨日、彼へのチョコを作ろうとした。
でも溶かした板チョコは冷えたら分離して白くなってしまって、全然おいしそうには見えなかった。だから、弟たちと全部食べた。

正直なところ、チョコがうまくいかなかったことにホッとしている自分もいた。
これでゆみちゃんとの友情は守れる。金子くんとも、友だちでいられる。
私の隣でチョコを整理していた金子くんが、「おい、またこの封筒出てきたぞ」とにやにやしながら私の便箋をひらひらする。

みずきちゃんのか、ゆかちゃんのか、かえでちゃんのか。
誰の手紙なのかはわからない。
けれどそんなふうに手紙とチョコを渡せるなんて、勇気あるなぁと眩しく思う。
私には、そんな勇気はないから。勇者の応援に、全力を注ごう。

そうして恋心を隠したまま、私たちは中学生になった。
そのまま一度も口を利くことなく卒業して、それぞれ別の高校に行った。

この気持ちは誰にも話したことはないし、今ようやく書きながら整理しているような状態である。
大好きだったハリーが負けたとき、それまで他人事として安全地帯から眺めていたはずの恋がぎゅんと自分の身から湧き出してきた戸惑い。
チョコを渡せなくてよかったのか、それとも渡したかったのか自分でもはっきりできない、友情と恋にがんじがらめになった居心地の悪さ。
代筆屋として恋心に線を引いていなかったら、何かが起きたのか、それとも何も起こらなかったのか。

そんな、どちらかというと苦しい思い出ではあるけれど。
人生初のラブレターが彼宛てだったことは、きっと、とても幸運だった。

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