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ルサンチマンとヘクソカズラ

「るるっぺ、俺のこと嫌いやろう」

真顔で彼氏に問われて、バレたか、と内心舌を出した。
胸の奥底で感じていた思いをスパッと言い当てた彼の一言に、快感すら覚えた。

これは数週間前のことであり、すでに解決済みの話でもある。
とりあえず別れ話ではないということだけ頭の片隅に置いたうえで、続きをお読みいただければと思う。

私は彼の周囲の人間の中で、自分以上に彼のことを憎らしく思っている人はいないと自負している。
とはいえ、「嫌い」というのとは少し違う。
私は彼を見ていると、出し抜きたくてうずうずしてくるのだ。

私から見た彼は、コミュ障のわりに異様にソツがなく、生来的な頭の回転の速さでもって私が努力で積み上げてきたものをやすやすと超えちゃうような人間である。
こういってはなんだけれど、シンプルにムカつきません?

例えば、彼は。
大学時代にできた友だちは私以外にいないと明言している。実際在学中にサークルの仲間以外の人間と彼が言葉を交わしているのを見たことは、ほとんどない。
そう考えると、なぜ私は彼の唯一の友人になれたのかが不思議でしょうがない。
その徹底した一匹狼っぷりは社会人になっても健在で、余程のことがない限りは会社の飲み会に参加することはない。
コロナが流行る前であれば、会社の人間からドン引きされても仕方のないことなのではないかと私は思う。

私の会社であれば根掘り葉掘り理由を尋ねられたうえに、当日になっても「本当に出ないつもりか」などとしつこく絡まれたりするだろう。
しかし彼の会社の人たちはよほどサッパリした性質なのか、「◯◯くんは行かない人だもんね」と受け入れているという。
しかも、彼以外の人たちはちゃんと出席しているらしい。
意図的か故意かは知らないが、結果的にそんな会社で働けていることを大変羨ましく思う。

職場における彼の話は、まだある。
彼は今年、研修期間として一年間講習を受けている。その授業の中には座学のほかに、テレワークでグループワークをするものもあるらしい。

進捗はどうかと尋ねたら、彼はグループワークの打ち合わせ中にはzoomの画面を端に寄せ、野球実況を見ていると朗らかに言った。
それだけでも驚きなのに、そのワークにおいて彼はリーダーをしているという。
こんな奴にリーダーを任せるなんて!
大丈夫かチームメイトよと思うけれど、彼は「仕事できそうオーラ」だけは、ふんだんに持ち合わせている。

みんなに指示を出すだけ出しておいて、自分は適当に切り上げてジムや買い物に行ったりスタバを飲んだりしていると、得意げに彼は笑った。
そしてみんなが一生懸命集めてきた資料に発表前日にサラリと目を通して、当日は巧みにプレゼンをするらしい。

私はプレゼンする彼を見てはいないのだけれど。学生時代の彼や普段の理路整然とした話ぶりから、彼がそれを涼しい顔でやり遂げるであろうことは容易に想像がつく。

彼いわく義理人情に流されがちで要領が悪い私としては、それが悔しくて羨ましくて仕方がない。
たぶん彼は会社で、「得体は知れないけど仕事はできるやつ」だと思われているのだろう。そして「仕事ができるなら別にいいか」と受容されているのだ。
ぐぬぬぬ、ジェラシ〜〜〜!!

自分が怪人ルサンチマンになっていることは重々承知だけれど、あっ、「怪人ルサンチマン」ってぇのは、きりえや高木亮さんの『きりえや偽本大全』の82ページ「ツァラトゥストラはとうがたった」に出てくる敵の名前なんですけど(無理やり宣伝)、なかなか嫉妬することってやめられないんですよね。

でもこれは、私だけに限った話ではない。
数年前、酒の席でバイト先の後輩に「もし生まれ変わるなら、るるるさんになりたいっす。ティッシュ配るの異様にうまいし、いつも楽しそうに酒飲んでて羨ましい」と言われて、赤面したことがある。
ティッシュ配りなんて、別にそのバイト以外で誇れるものでもないのに。

大学時代からの友人から割と最近、「出会ったばかりの頃はつるさんに嫉妬していたよ」と呟かれて仰天したこともある。
幅広い関心と知識を持ったその子に私は羨望を抱いていたので、かなり意外だった。
……きっとみんな、誰かのルサンチマンなのだ。たぶん。

ま、それはそれ、これはこれです。
隣の芝生は青く見えるとは言うけれど、私から見た彼氏の芝生はあまりにも青々としていて。
つい「うまいことやってやがらぁ!」と憤りの火を放ちたくなってしまうのだ。
そして一度意識してしまうと、思い出し笑いならぬ思い出しイラつきを止めることはもはや不可能である。

例えば、「俺ペーパードライバーなんだ〜」と言いながら一発で華麗に駐車したこと(私はいつも、少なくとも二回はしくじる)。
あるいは「これはいつかネタにしてやろう」と彼の奇行をほくそ笑んで見守っていたら「どうせ後でnoteに書くんやろう」とニヤリと振り向かれたこと(先手を取られた悔しさに記事にできていないネタがまだまだある)。
その他、諸々。

そんなことを包み隠さず告げたうえで、「でも本当に嫌いだったら、こんな何年も一緒にいないでしょう」と言った。
「それもそうか」
「そりゃそうだよ!もう出会って6年も経つんだよ」
「「えへへへへへ」」

結局オードリーのコントのような流れで、すっかり和解してしまった。
しかしながら、その和解とは別で、彼の鼻をあかしてやりたいという欲求は依然として燃えている。


線路沿いの坂道を自転車で上っていた金曜の夕方、見覚えのある花を見かけた。
ヘクソカズラだ。
お花とエッセイ」コンテストの審査員をしているためか、最近妙に花が目につく(またしても宣伝。10月15日まで募集中です。よろしければぜひ♪)。

なぜヘクソカズラの名前が瞬時に出てきたかというと、有川浩の小説『植物図鑑』の口絵に写真が載っていたからである。

中心が上品なえんじでふわりと染まった、フリルのようなカッティングの入ったベル形の小花。それがつるの至るところに咲きこぼれている。

描写そのままの光景に、ほうと見惚れた。
こんなに綺麗なのに、命名の由来は「屁糞のような悪臭を放つからヘクソカズラ」。不憫すぎる。

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そんなヘクソカズラの咲き誇るフェンスに沿って自転車を漕ぎながら、ふと、これを摘んで彼氏に嗅がせて驚かせてやろうと思いついた。

「見て見て!綺麗でしょう」
「わぁ、ほんとだねぇ。どれどれ……くっっっさ!!!
「ふはははは、まいったか!」

……これが理想である。
そのためには彼が鼻を寄せる直前まで臭いは隠しておき、ここぞという瞬間にカメハメ波を出すかのごとく一気に放つ必要がある。
最大限の効果を引き出すための臭いを秘めておく工夫として、ビニール手袋を買うことにした。『植物図鑑』の主人公、さやかが「手がすごく臭くなる」と言っていたからだ。

ビニール手袋とヘクソカズラを入れる用の袋を持って日曜の朝、再び駅近くのフェンスのもとへ。
ひっそりとした曇天の下でビニール手袋をはめ、さも草むしりのボランティアをしているような顔を作ってヘクソカズラの蔓を掴んで、引く。

が、ヘクソカズラの蔓はビクともしなかった。彼らにはフェンスから剥がれる気は一切ないらしい。複雑に絡み合った蔓は一瞬ぎぃと軋んだものの、すぐに元に戻った。

もう一度強く引いてみるも、少したわむだけでその蔓は相変わらずガッチリとフェンスにしがみついている。
くそ、運のいい野郎め。
お門違いの憎しみを彼氏に向けて悔しさ任せに葉を一枚だけ千切り、マスク越しに鼻を近づけた。

……臭く、ない?
それは期待していた屁糞の臭いではなく、強く青々とした草の臭いだった。
えっ?昔の人の屁糞って、こんな臭いだったん?
なんていうか、昔うっかり齧ってしまったモンシロチョウの幼虫みたいな風味が臭いに転化されたような香りだ。
Wikipediaによれば『万葉集』(奈良時代末期に成立)の段階ですでに「ヘクソカズラ」という名称は使われていたらしい。
その時代の人たちは、何を食べていたのだろう。キャベツ?
……そんな、カトーじゃないんだから(共和政ローマの政治家。キャベツ信奉者として知られる)。

昔の人のおならやうんちは私たちのものよりも臭くなかったのかも
そうあたかも大発見のごとく彼に報告し「どう?ジェラシー感じる?」と聞いたのだが、「いや別に」とあっさり返されてしまった。
私は少し、羨ましいけどなぁ。

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