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リトルインディアな東京暮らし


駅前にはインド系食材ショップやカレー屋が林立し、リサイクルショップにはサリーやクルタが並び、そして時には地下鉄の乗客の過半数をインド人が占めることがある町、西葛西
そんな町で2年あまり、私は東京にいながらにしてインドのように暮らす、そんなインド人たちを見つめてきた。

言わずとしれた、東西線の満員電車。人を人とも思わないような暴力的な圧迫感に喘いでいたある日、自分のスペースを確保しようと必死に肩肘を張り牽制しあっているおっさんどもの背中に2人のインド人が頬杖をつき、和気あいあいとしゃべっているのを見た。
おっさんたちが不満げに背を揺するたびに、彼らは「満員電車だからしょうがないも〜ん♪」とでも言いたげな顔で平然と無視を決め込んでいた。その光景に胸がすっとして、私の腰に肘をぐいぐい押し付けてくる中年男性に憐れみの笑顔を向ける余裕ができた。

越してきたときから気になっていたインド食材ショップへは、インド旅行を機に足しげく通うようになり、週に1~2度は顔を出すようになっていた。今では入店するやいなや店長が「チャイ飲んでくでしょ〜?」と椅子を出してくれる間柄に。

激アツ激甘スパイシーなチャイを飲みながら世間話をし、ちょっとしたお菓子や豆類を買って帰るのが日課となった。
そんなある日のこと。「おいしいカレーを家で作るから、金曜の9時にお店に来たら?」と店長が言ってくれた。

その言葉に惹かれてのこのこと時間通りにお店に入った瞬間、ものすごく自然に

これお願い!棚に入れて!」とダンボールを手渡された。ダンボールを棚に入れたら「自転車ある?このくらい、積める?」とさも当然のようにカゴいっぱいに、さらには両ハンドルにぎっしり商品が詰まったビニール袋をかけられ、

さあ、行きまっしょ〜」と店長に先導されるままによろよろとインド人密集住宅へ自転車を漕いだ。違和感を覚えるまもなく、閉店作業への強制参加だ。
自転車を漕ぐこと5分少々。
インド人がたくさん住んでいるという集合住宅に到着した。
店長がさも当然のようにお釣りと部屋番号の書かれたレシートを渡すものだから、「店長のヘルプで来ました。バスマティライスとムング豆とギーで1280円です」なんていいながら各部屋に配達と集金をおこなう。のっぺりした顔の日本人の突然の訪問に住民たちは明らかに戸惑っていたが、私の拙い英語をなんとか聞き取り、去り際にニコニコと手を振ってくれた。

「あいやー、今日も働いた! 急に配達増えて大変で遅くなったから、そこで焼き鳥食べましょう」との店長の掛け声に従ってどやどやと焼き鳥屋になだれ込み、恋バナやお子さんとのたわいない電話の話や友だちだと思っていたインド人たちから金を無心されて苦々しい思いをしている話などめいいっぱい盛り上がり、お腹いっぱいになってふと時計を見上げたとき、初めてその日の目的を思い出した。おいしいカレーとやらは、いったいどうなったんだろう。
これが私の日常になるとは、その時は思ってもいなかった。

その数週間後の日曜日の昼、再度店長から誘いを受けて本当にカレーをごちそうになった。甥っ子さんと店番を交代した店長に連れられて、夜の配達で何度も足を運んだアパートに着く。店長は現在、娘さんと甥っ子さんと3人でアパートの一室を借りているらしい。
店長がにんにくを大きな石ですり潰し、スパイスと玉ねぎを炒め、冷凍の羊の肉を圧力鍋で熱している間、私は最近日本の高校に通い始めたという娘さんと英語で喋っていた。

「お父さんは私に日本の大学を出ていい企業に勤めてほしいと思っているようだけれど、本当は歌やダンスが好きなの」と彼女はいたずらっぽく笑った。私が半分趣味でちんどん屋をしていると写真を見せたら着物を着てみたいと目を輝かせていたので、自宅へひとっ走りして浴衣を持ってきた。

初めて浴衣をまとったという彼女は「着物の着方はサリーと少し似ている気がする。それにどちらも伝統衣装で、色も鮮やか」と袖を広げて回った。
私たちが盛り上がっているうちに店長お手製のカレーは完成していた。
店長は3人分の銀のお盆に、バスマティライスと羊肉のカレー、ヨーグルトのサラダが盛ってくれた。彼が気を使って大きなスプーンを私の皿に置こうとしてくれたが、私は彼らの食べ方に倣いたかったのでやんわりと断る。

「えー? 手で食べる? ニッポン人にはけっこう難しいですよう」と店長は笑った。彼の言うとおりだった。彼らの所作を見ていると、なんとなくできそうな気がしていたのだが、実際に自分が食べようとするとどうしても見苦しくなってしまう。
流れるように自然に指にご飯とカレーを乗せ口に運ぶ彼らを真似したいのに、利き手ではない手を無理やり使っていることもあってか、指からどんどんカレーが漏れていく。手首までカレーが伝ってきて慌てている私の醜態を、彼らは腹を抱えて笑っていた。

そんな楽しい日々も、唐突に終焉を迎えることとなった。私が従姉妹との同居を解消し、引っ越さなくてはならなくなったのだ。別れを告げるために店に行くのは気が重かった。が、よくしてくれた店長とその家族には絶対に挨拶はしておきたかった。
引っ越しが2週間後に迫ったある日、重い足を引きずるように私はインドショップに入った。店長に引っ越す旨を伝えるとしばらくびっくりした様子で固まっていたが、「どこに行ってもカレーは作ってください」とスパイスの瓶とサモサとを手渡してくれ、近いうちに必ずカレーパーティーをしようと約束してくれた。

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握手をしようと伸ばしかけた手を「今はみんなコロナ怖いだからやっぱりやめた方が健康ですね」とそっと引っ込めてしまったのが切なかった。

時節柄、仕方のないことではあるけれど。

結局、娘さんには会えなかった。最後に会ったのは私が痴漢に遭った翌日どうしても電車に乗ることができずホームの椅子でグズグズと泣いていたら声をかけてくれた時だった。彼女は何本か電車を見送ってくれ、少し落ち着いた私と一緒に電車に乗ってくれた。
彼女がいなかったら、私は今でも会社に行けていたかどうかわからない。本当に、感謝してもしきれない。

この町を出て、本当に生きていけるのだろうか。彼らと離れて、大丈夫だろうか。そんな不安を抱くほどに、いつの間にか私の生活にはインドの人たちが寄り添ってくれていた。慣れない東京での生活を、リトルインドが支えてくれた。ここは東京にして、インドなのだ。彼らの気さくさや、やや混沌として見えるライフスタイルに、私はどれほど助けられてきただろう。
台所にはスパイスを、そして、心にはインドを。
これからも持ち続けていこう。

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