30代でようやく気づけることを10代に伝えるというドーピング
部活の思い出に限らず、勉強も、ビジネスも一つ言いたいのが、
努力する時間を一生懸命費やしても無駄
だったということです。
兄弟、姉妹のいる方で、真ん中に位置する人はおよそ負けず嫌いに育つそうです。
負けず嫌いは承認欲求につながる
次男次女は負けず嫌いで承認欲求の塊
思い当たる節ありませんか?
僕自身が承認欲求の塊だった
努力は人一倍したほうかもしれない
勉強は参考書を机に積み上げて片っ端から「読んで、書き写す」
部活に話を戻すと、休みの日や部活の後は「公園で一人自主練」
それでも、結局、勉強に関しては、学生時代は中の下
スポーツに関しては、下の下だったと思います。
ある程度、成功したのは役者として大きな舞台に立てたことと、バンドマンとしてそこそこ有名なライヴハウスの週末レギュラーで歌い続けていたこと。
勉強とスポーツで負け続けたことへの反動の承認欲求から少しだけ飛べたのだと思います。
ただ、それにしても世の中からすればどこの誰とも知らない人の小さな羽音にすぎなかった。
これで家族を養うには心もとない。当時は仕事として芸能を選ぶことはできませんでした。(今は芸能の講師的なお仕事してますが)
そんな学生時代、そして20代と過ごしてきて、あの時、なぜ、自分が有名国立大学に行くことができなかったのか?
あの時、なぜ、自分が部活でレギュラーになれなかったのか?
30代でようやく気づけたのは、読書という習慣がついたからです。
その、なぜ、もう一つ上のステージに登れなかったのか?の理由の一つは
運
これが大きいと思います。生まれ持った適正。更にその分野に適応できる性格形成や肉体が自分のライフスタイルになかったことも運になりますよね。
息子がサッカーを習っていますが、子どものうちのサッカーのうまさは、才能、生まれ持ったものが半分以上だと残酷にも認めざるを得ない。
ただ、これを言っても始まらない
はっきり言って運ですべてが決まってたまるかと思う。
僕はそういう立場です。
運だけに左右されないために必要なもの
決定的に10代で知っておかなければならなかったことは、これです。
時間的努力は無駄
無駄なだけで済めば良いけど、時間的努力は、努力をした本人に満足感を与え、自尊心を高めるから余計に厄介だということ。
やっても無駄な努力がある
参考書を積み上げて、参考書の大事な部分をノートに書き写すことに何の意味があるのか?多少の記憶定着になるかもしれないけど、せいぜい次の日には忘れている。
一人で公園で球技の練習してどれだけうまくなるのか?相手ありきのスポーツで大した上達にはならない。せいぜい夕飯が多少美味しくなるくらいの話だ。
やってるんだからいつかむくわれる!
いや、むくわれない!
むくわれなかったんだ!10代の自分よ!
努力には2種類ある
大事なことは
質的努力
これが最も重要だったのです。
科学が実証している記憶術や上達法
食事や生活習慣。必要であればコーチ。
スポ根マンガでも時間的努力が美談のように描写されるから注意。
時間をかければよいというものでもなく、集中と緩和。
一気に集中して、休憩時間にゲームをやって、しっかり睡眠を取る
各スポーツにはプロや最先端の選手がいて、練習法も今や公開されている。情報もたくさんある。動画もたくさんある。当然、取捨選択能力も必須だけどそれは大人の嗅覚を頼ればなんとかなる。
企業や個人が儲けるために新たな情報が入り乱れてどれが本当か情報が錯綜して真実がわからなくなっているのは「ダイエット」くらいだ。
質を見極めた上で、それを習慣とし、継続していくことが圧倒的な差になる。
もしかしたら、それは一日5分で済むことかもしれない。
親になった今、子どもたちには常に伝えています。
30代で気づき、今、40代
会社を起こして、少ないながらもクライアントさんに信頼されながら、業界の中では、僕のことを知っているという他人がいる。
ようやく一目置かれるところまできたのは、時間をかけたからではなかった。
周りを見ると、忙しい忙しいと言って時間的努力をしている人ほど、鳴かず飛ばずだったりする(傾向がある)。
質的努力をしていると、無駄な時間が省かれて、今日も帰って息子とポケモンカードバトルができるのです。
サッカー選手を志す息子には、申し訳ないが、僕のDNAはスポーツ選手には向かない。向かないけど、質的努力でその運を凌駕することを目指して、僕自身もサッカーを研究しています。
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