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食文化と手工芸

美味しくない!?モン族のごはん

先日のこと、
「そういえば、モン族のごはんってどんな感じなんだろう?」
と思い、モン族の友人夫婦それぞれに聞いてみました。

二人の意見は大まかに一致していて、
それは驚いたことに

「とくに美味しくはない。」
とか、
「食文化はない。」
とか、
「揚げる、煮る、グリルなどの調理方法があるけれど、どれも火が通っていさえすれば食べられるという程度。」

というのです。
え!?そんなことってある?
誰かは料理が得意で、これが美味しい!とかあるんじゃないの?
モン族の村にはモン族のご飯屋さんなどないの?
何か一つくらい、これは美味しい!とかないの?

と何度も質問の仕方を変えて聞いてみました。

ないんですって。

二人ともそれぞれ笑い話のように楽しく語ってくれますが、
私もその笑いにつられつつ、不思議でなりません。

そんな二人の語るモン族の食文化の流れをまとめてみました。

刺繍に注ぐ女性の情熱

モン族の女性は昔から基本的にひとりで家庭内の家事全般をこなさなければいけません。そして外でお金を稼ぐことも期待されます。
そして更には、昔から現代にかけて女性たちは常に日々刺繍仕事に忙しいのです。

その刺繍とは、民族衣装に散りばめられる何百何千もの手刺繍の模様。
モン族には毎年お正月に着る衣装、しかも一年に一度(お正月の2−3日のみ)しか着ない衣装の文化があります。女性一人がその家族分の衣装を刺繍から始まり、服を仕立てて、一年をかけて作ります。
その衣装はその年に着られ、次の年にはまた新しく作ります。つまり、一生に一度しか着ないんです。

藍で臈纈染をしてからパッチワーク刺繍をする模様もあります。
稀に、この刺繍を仕事としている女性につながれば、モン族以外の私でもこの臈纈染&パッチワークの注文をして購入することができることもあります。この針仕事も大分根気のいるものですが、手刺繍のみの模様よりは早くできるのがこの臈纈染(模様のスタンプ化した作業)&パッチワークです。

一年に一度お正月に着るその衣装は、モン族にとってとても大切な意味があります。各地のモン族が、毎年場所を変えて数百人単位で集まり、お正月のお祭りが開催されます。それは、お披露目の機会であり、適齢期(十〜二十代)の男女であれば、結婚相手を探す場でもあります。

一年に一度のお正月祭りとなれば、もちろん写真を撮りまくります。気に入った写真は引き延ばして額に入れて家の中に飾ったりもします。そのため、その年の衣装が”証拠”として残るので、再びその衣装を別の年に着回すことは恥ずかしいこととなるらしいのです。

とにかく細かい作業のため、若いうち(10代)からこの伝統の手仕事を受け継ぎ、
高齢(40~50代)になると目が悪くなるため、刺繍をやらなくなってしまいます。

昔も今も、とにかく働き詰めのモン族の成人女性たち。現代には女性にとっても外でお金を稼ぐことも重視されてきているので、刺繍自体の手仕事はなくなりつつありますが、民族衣装を仕立てることは、いまだに各家庭で行われています。(※近年では、仕立てをすることもしなくなった女性のために、工業生産の刺繍プリントをあしらった衣装セットも販売されています)多くのモン族の女性は、家庭で工業用ミシンを使った縫製の仕事を受けているので、結局は針仕事で忙しいのです。

そんな彼女たちに料理を”美味しく”作ることは今も昔も期待もされず、とにかく日々の仕事をこなすことに重きを置かれます。
モン族の女性にとって、そして男性にとっても、このモン族の刺繍、衣装の手仕事は自慢の文化です。

ふと、彼らの「美味しい」ってどういうことだろうと思いました。

食べられればいい、家族が健康であればいい

料理をすること、それは彼女たちにとってそのほかの掃除・洗濯・子供の世話、義父母の世話、義兄妹の世話と同じ”日々の仕事”の一つです。

料理に時間をかけることはできず、
モン族の家庭料理とは、お腹をある程度満たして、次の仕事を円滑にこなすためのエネルギー補給の役割なんです。

では普段のモン族の”家庭料理”とはどういったメニューなのでしょう。

例えば、
キャベツ、かぼちゃ、豆など、それぞれの土地で取れるもの、季節のものを茹でる。

魚は油で揚げる。

ゆで卵。

特別な時には、庭で飼っている鶏を捌いで焼く・煮る(スープまたは焼き鳥)、お餅をついて砂糖をつけて食べる。

普段の味付けは、塩、唐辛子、味の素(化学旨味調味料)とハーブ。

(現在40代以上のモン族の方達が子供の頃山の中の村で生活していた時は、塩は海のものだったのでとても高い貴重なものだったそう。甘さといえば蜂蜜だけれども、蜂蜜調達するのは難しいので今でも高価なもの。つまり、基本的には唐辛子やその他のハーブしか調味料はなかったと言うのが現実。科学調味料である白い粉の”Ajinomoto/味の素”がタイに入ってきてからは、その安さから塩や砂糖よりも簡単に手に入れられる調味料となりました)

それぞれに料理名は無いそうです。至極、シンプルな調理法です。

山の中のモン族の村には食堂もありますが、食堂では一般的なタイ料理を作って販売しています。モン族料理=家庭内料理、外でお金を出して食べるものではないという認識ようです。

彼ら曰く、モン族の料理は特には美味しくない。きちんとしたお店のタイ料理は美味しい。だから日々は生きるため、疲れを癒すための食事をし、時には”美味しいもの”を楽しむために、美味しい料理を提供するお店に行くんだそうです。

彼らの話を聞いていて、「美味しくはない」は決して”まずい”ではないことはわかってきました。

以前教えてもらったモン族の女性が作る一品があります。

それは畑で取れた野菜(一種類のみ)を水で煮るものです。
調味料は一切使いません。水と野菜だけ。
野菜を一口大に切って、水を入れて、柔らかくなるまで煮る。

それを茹でた水ごとスープとして食べます。

味は、その茹でた野菜の味がしました。

その野菜の味..はその野菜の育った土の味。太陽の味。水の味。

純粋な野菜の味を久しぶりに味わった気がしました。

野菜や果物は、その育った土地で味が変わります。
その年の天候でも味が変わります。

良い土と適度な水で育った野菜の味は、
本当に濃くて味わい深いものがあり、余計な味付けは必要ないくらい美味しく感じます。

タイ料理は、
特に現代は糖質、脂質(ココナッツミルクや油)を多く使い、いろいろな種類の塩味、酸味、酸味、辛味といった強めの味のバリエーションがあります。脳がそれを「美味しい」と感じてしまうのでしょう。

土井善晴さんの料理学

ちょうどこのインタビューをしていた数日、日本から買ってきた土井善晴さんの本を読んでいました。

今回読んだのはこちらの2冊。
『くらしのための料理学』と『味つけはせんでええんです』です。

この2冊の本を読んでモン族の方にモン族の料理についてインタビューをするのとしないのとでは、印象がだいぶ変わったと思うので、とてもいいタイミングでした。

料理にも「日常」と「非日常」とがあること。

大自然とともに生きてきた民族の世界観として、「ケ・ハレ」という自然界の道理に従っておのずから生まれた循環する概念が食事の形としてもあるということ。

土井さんの本では和食を基本にもちろん日本人の食文化について書かれていますが、私が一緒に時間を過ごしてきたモン族(きっと他の山岳民族も)も米や野菜を育て、鶏、水牛を育てて生活する農耕民族です。少し共通するところがあるのではないかと思えました。

高度経済成長期以降も、経済を優先する乱暴な時代は続き、忙しさに追われたあげく私たちが失ったものは、暮らしを支えてきた日常の普通の料理です。

私たちは次第に、ハレの日の本来の意味を忘れて、清らかな料理ではない、油脂を多く含む、ステーキ、焼き肉、大トロの握りなどの単なるご馳走で本能的快楽を満たすようになりました。

豊かな精神文化を育んでいたのは、「普通の家庭料理」のある暮らしです。お天道様が作る大自然のもとには、はからずとも、おのずから美しいものが生まれる仕組み(普遍性)があるのです。

『くらしのための料理学』土井善晴

たしかに、「おいしい」がなければ、食事に魅力がなくなり、生きるモチベーションがさがってしまうかもしれません。しかし、おいしいを求めるモチベーションは強靭で、自滅に向かわせる負の力ともなるのです。
料理して食べることは、人間が協力しあって、助け合って生きていく原初の行為です。おいしさは、料理する人間へのご褒美、それぐらいがちょうどよいのだと思います。

『味つけせんでええんです』土井善晴

以前読んだ土井さんの『一汁一菜でよいという提案』に引き続き、さらに人間にとっての食事のありかた、自然とのつながり、ハレとケの本当の意味についてを考えさせられました。

個人的に『味つけせんでええんです』の
”味つけは、食べる人が好きにしていた”
の項が興味深く、今現在私がこちらで学んでいるタイの昔ながらの家族の食卓(食事)の作り方に似ているなぁと思いました。

本日のnoteの投稿にはだいぶ時間をかけてしまい、そして長文となってしまいました。タイの家庭料理の勉強をしながら、山岳民族の方の率直な声をいただき、大好きな日本の料理研究家の方の知恵をいただきながら、得られた今回の体験に、少しですが実体験から理解できたと思えました。

読んでくださってありがとうございます。

日々の料理にプレッシャーを感じている方、疑問を抱いている方、お料理が好きな方に土井善晴さんの本の一読をおすすめいたします。
レシピ本ではなく、お料理を中心に地球と人についてお話しされています。

見栄えのする、斬新さなど、エンターテイメント的要素のある料理を提供するレストランやカフェが巷やSNSで溢れている中、私はこの本を読んでなんだかホッとしました。


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