山に暮らして生と死に触れて、感じて、考える。 お盆だから、こんな話

お盆なのでこんな話を。

山で暮らしていた時、一番ご近所のおばあちゃんが亡くなった時の話。

私たちが引っ越してきて、一番ご近所(隣と言っても段違いで距離がある。けれど叫んだら聞こえるし、手振りが識別できる距離感のお隣さん)には、一人暮らしのおばあちゃんが住んでおられました。

80後半-90前半... だったと思う、多分

おばあちゃんは“山のおばあちゃん”といった感じで、よく畑で育てたお野菜をいっぱい分けていただきました

散歩で家の前を通ると、縁側に黄色いベンチが置いてあって、そこでみんな座り、お茶やお菓子を頂いたり、立ち話したり、物々交換したり、ご近所同士でのやりとりが毎日繰り広げられていた

みんなおばあちゃんが一人で暮らしている(娘さんは同じ集落に暮らしているけれど、お嫁に行ったので別々の家に住んでいて、行き来している。)ことを知っているので、朝の散歩の時にお話ししたりしながら、様子を見たりしていた。それが自然なことで、朝カーテンを開けるように、生活の一部としてある習慣の一つだった。


私も娘を連れてよく外へ散歩に出ていたので、おばあちゃんの家の前を通ると挨拶をしたりして、一緒に焚き火に当たったり(その時はそこでお湯を沸かしていたかな... 焼き芋いただいた気がする)山なので冬は大根を干したりするのですが、干し方を聞いたらやり方を教えてくれて、穴を開ける道具を貸してくれました(凍み大根って言ったかな。凍み豆腐のように大根を干すのです)

秋は入り口の切り株に腰を下ろして柿をいただいたり、とにかくいろんなものを分けていただいた

当時赤ちゃんだった娘を可愛がり、肌寒い日に娘を裸足で抱っこしていたら、「寒い、あったかくせな」と叱られました

おばあちゃんは畑の名人で、同じように作っても他の人は敵わない
今年は不作だったものがおばあちゃんの畑では取れたりもする。他のご近所さんが教えてくれました

おばあちゃんの畑の罠に猪がかかった時、男手が着く前に一人で捌いていた。そんな逞しい山の女性。子どもも孫も、何人もいる

おばあちゃんは高齢だったけれどしっかり・はっきりしているし(私もお説教されるくらいにw)腰は曲がっていたけれど、毎日畑に出て、急な斜面もゆっくり・しっかりした足取りで上り下りしていました(多分私が歩くより早い)


そんなおばあちゃんが亡くなった日

いつものように散歩していると、運転する娘さんとすれ違った

いつもは笑顔で挨拶してくれるのだけれど、その日は何か焦ったような表情だったので、「そうしたのかな?」と不思議だった

おばあちゃんが病院へ運ばれて亡くなったのを知ったのは次の日だったかな...

家の廊下で倒れて救急車で運ばれた
その時既に意識はなかったと聞いた気がするけれど、正直、記憶が曖昧になっている


お別れの時間は家で設けられた

お葬式の前に、集落の(ご近所の)みんながおばあちゃんの家へ集まってお別れをする。みんな知った顔

死装束一式を大きな風呂敷に包んで置いてあったそうで、自分が死ぬ準備も揃えられていた。確か大きな紫の風呂敷包みが一つ、そこにあった気がする

おばあちゃんは目を閉じて手を組み、一人一人話しかけながら最後のお別れをした

私は、もう動かなくなったおばあちゃんに「ありがとう」を言って、
「もっとお話しに行けばよかったですね、ごめんね」と言って、

ご家族の方やご近所のみなさんに挨拶したり、おばあちゃんの話をしたりしながら、出棺のお見送りをしました

ご家族の方が、「家へ戻ってきた時には車がたくさん止まっていて、ご近所の人たちが心配して見に来てくれていてね」って話をされた時に涙ぐんで、私は「あぁ、きっとみんなに愛されていたことが嬉しかったんだな」と思った

外をつなぐ大きな窓からみんなでおばあちゃんの棺を運ぶ



山を降りた町で葬儀は行われた

私は行かなかった

赤ちゃんを連れて参列することも不安があったし、そこでお別れできたから
たくさんの人が参列する場に行くのはなんとなくいい気がした


しばらくおばあちゃんの家には明かりが灯っていた

その後は、静かになった


おばあちゃんがいた時は、もし留守の時でも何か気配があったように思う

でも、もうずっとぽっかり静かになった

「ある」が「あった」になって「無い」になる
物干し竿の洗濯物も、焚き火の煙も、畑の音も

おばあちゃんは花の名前を教えてくれ、畑の野菜を分けてくれたり、娘を可愛がってくれ、いつもいつもお世話になって、私はとうとう何もお返しすることができなかった。もっと娘を見せに行っておけば、せめてものお返しになったのにな、もっと遠くからでも大きな声で挨拶しておけばよかったかなと、静かな「無の気配」を持つ家を見ると思った


一人いなくなると、その家がぽっかり穴が空いたように静かになって、しんとする

人の気配は一人だけでもわかる程大きく影響するもので、今までいつもそこにあったものが消えてしまうことは寂しい

今はどうなっているのだろう。跡取りのご子息が家に戻って賑やかになっているかな?お盆はきっと戻っているよね


山に住む前は、身内以外の人の死を身近に感じるようなことはなかったと思う

同年代の友達もまだ若いし、みんな元気
隣に住む人でさえ、何回か挨拶をしたことはあっても、どんな人かはよく知らない。友達や親しい人たち以外の、近くに住んでいる人との接点が無かったし、特段必要ということでもなかった

しかし、山では近所の人が何の野菜を育てているかを知っているし、家族がどこに住んでいるのかも知っている。確かに“狭い”側面もあるのだろうけれど、お互いがお互いを知っているのが普通。


娘はまだ小さかったけれど、そうやって同じ村のおばあちゃんが亡くなったり、鹿や猪の解体を見たりすることを通して「死」に触れる

体が器になって、ただそこにあるだけの動かない姿。体験的に、死が身近にあることを知る

生きる者はいつかは死に、死ぬ前に生きる。人も動物も、みんな産まれて死んでいく。死は特別なことではなく、ただそこにある

人はいつの世も不老不死に憧れて、死なないことを望むけれど、死ななければ生きられない。産まれて、死ぬまでを「生きている」のだから

怖れたり憧れたり、
拒んだり受け入れたり、

美化も意味付けも、それはキャンバスの上に静物画を描くか風景画を描くか、絵の具が赤だったり青だったりするようなこと。人が意識を後から上乗せしただけで、「死」そのものは何も変わらず、ただそこにある

私はそんなふうに思います


今はなかなか身内以外に人の「死」に触れる機会は少ないのではないだろうか。そうやって誰かが産まれて誰かが死んでいく。そういったことを身近に知り、そこに居合わせ、みんなと一緒に感じる、そうやっていろんなことを学んでいけることは、きっと良いことだと思った。娘にとっても、私にとっても。


おばあちゃん、あなたはすごい女性でしたよ、ありがとう



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Tsuritako

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都会・田舎・秘境の限界集落(山暮らし)の経験から、
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