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条件のいらない幸せと自己肯定感/お世話になった人への恩の返し方

とある方との話をシェアします。

あるところにAさんという女性がおりました。Bさんと一緒に仕事をしています。(この話はAさんから聞いたお話)

一緒に仕事を進める中で、AさんはBさんに冷たい態度をとってしまった時期があったそうな。そんな日々が続き、ある時お互い話す機会があった

そこで、AさんはBさんが自分のことを大切に思ってくれていることがわかり、「あ、自分はなんてことをしてしまったんだ!悪かったな...」と反省したそうな。

こんなに自分の事を大事に思ってくれている人に、私はなんてことを...みたいな。自分はBさんだけでなく、お世話になっている周りの人たちに何も返せていない。いつになったら返せるのだろうか。できないことも多くてなかなか自己肯定感を上げるのも難しい。コップで例えると半分で、なかなか満杯にならない... みたいなね。

よくあることだな、と思う(あーあるよね、わかるわかるって人も多いのでは?)

私自身、今年のテーマは「自己肯定感を上げる」。これについては経緯を以前ブログに書いたので、興味があれば読んでもらえると嬉しいです→ コチラへ

今年は自己肯定感について、自分に向き合ってきた
その経緯から今私が思うことを話します


自分は何かをできているか、自分は幸せか

それって自分への前提や設定だけだと思うのです

例えば先のコップの話、自分は「コップが半分である」とするのか「満杯である」とするかは自分次第。自分のことは自分しか決められない。だって、自分が何をどう感じるかは自分しか体感できないことだから

例えば「幸せ」についても、何があれば幸せとか、どんな状態にあれば幸せかは条件付けできない。お金があれば幸せかというと、そうとも限らない。お金があることで不幸になった大金持ちもいるだろうし、人によってその額も違う。100万円もらって幸せ!と感じる人もいれば、100万じゃ足りない!と感じる人もいる。様々である。そこで気づく、「〇〇をしたら」というような条件付けはできない。それは万人に当てはまらない

では、何をすれば幸せなのか、どうすれば自分は幸せになれる?自分に満足できる?そんな自分も許して受け入れることができるのか。
でもそこで立ち止まって考えてみると、そこには「今自分は幸せではない」という前提がないだろうか。「今そうでない」から「そうするにはどうしたらいい」になる。もし「今そうである(幸せである)」なら、「そうするにはどうしたらいい(幸せになるにはどうしたらいい)」は出てこない。順番があることに気づく

前提が違う。前提次第で今が変わる。
そしてその前提に条件はいらない。何かをしたらとか(例えば月100万稼ぐとか。でも100万稼いだところで自分が満足するかというと、その時点で背負っているものも違うはずだし、もっと先を目指さなきゃ!となっているかもしれない。具体的だが実は曖昧。)

つまりは何も必要なく、ただ「自分がそう思うかどうか」に尽きる。自分の前提を設定する。例えば「幸せ」で言うなら、「幸せになる」に条件はいらない。条件をつけるとしたら、その条件をクリアすることによって「自分が自分を幸せと思うことを許す」ためのものだから、それも飛ばしてしまえばいい。

意外とシンプル。

なので、私の場合は前提として幸せです。別に、今生きているし、家族もいるし、動物もいるしw。いろいろ悩むこともあるけれど、ベースは常に「幸せ」である。もし今の状況が変わっても、それは変わらない。もしそこに誰かが「あなたはお金持ちじゃないから苦労してるでしょ」、とか「可哀想ね」とか言われたとしても、「あ、あなたはそう思うんですね」で終わりw 「あなたはお金がないと苦労して可哀想なんですね。ふーん。」で終了w
あなたはあなたであり、私は私である。あなたがどう思うかはあなたの中のこと、あなたがどう思おうと私がどう思うかは私のこと。それぞれの価値観があって、それぞれの感じ方は各自のものであるから、自由。ただそれだけ

だから、自分のことを決めるのに、その他の人のことは参考にするかもしれないけれど、決定権は自分にある。むしろ、自分で持っているべき。相手に左右されるなら、それは自分の決定権を相手に渡してしまっていることになるから、他人軸ではなく自分を中心にした自分軸で、自分の前提を設定すればいい。まず、自分は今現在「幸せで満たされている」でないと、他の人のことにまで気を配る余裕もないよね


自分のことを大切に思ってくれる人のことを、大切にしなければいけないわけではない

自分のことを大切にしてくれるからといって、その人のことを同じく大切にしなければならないわけではない

例えばこれが片思いなら、自分のことをどんなに好きで大切に想ってくれる人がいたとしても、好きでもない人とは付き合わないでしょう?(付き合う人もいるかw それで良ければそれでもいいよねw)

私は「〇〇でなければいけない」「〇〇であるべき」を断捨離した

だから、相手がそうであることと、自分がどうするかは別の話だと思っている。相手がそうである → それに対して自分が何かを感じる → 自分はどうするかを「自分はどうしたいか」で決める。「自分はどうしたいか」。そこから自分のあり方を決める。相手がどうであるかは、順番としてはその前の要素の話。

だから、Aさんの話もBさんがAさんのことを大切に思ってくれているからといって、AさんもBさんを大切にしなければいけないわけじゃない。
むしろ私は、その時は忙しさや自分に余裕がなくて冷たい態度をとってしまったのではないかと思うから、その環境をなんとかよくしていけばそれでいいと思ったし、逆に自分は冷たい態度をとってしまう程余裕のない状態であったけれど、それを頑張って蓋をして自分に仮面をつけることをせず、素のまま出せた自分も認めてあげていいと思う。(我慢して取り繕うのもしんどいよね。)

そうやって表に出した結果、それについて話す機会も得たし、その一連のことが学びにつながってもいるじゃない。だから、それでよかったんだよ。

そう思います。全部正解でいいじゃない。

さて、そしてどうしよう。と進んで行けたらいいよね


お世話になっている人への返し方

お世話になっている人に直接何かをお返しするのもいい。けれど、他の形でもいい

学生の頃、とあるアルバイト先で先輩がよくご飯を奢ってくれた。その先輩曰く、自分もそうしてもらったから、そうしている。お前も後輩にそうしてくれたらそれでいい。それがお返しになるから

何かをしてもらうことは有り難い。感動することもある。もらったから、自分も何か返したいと思う。でも、その方向は必ずしも与えられた方向でなくとも、廻り巡って返っていく。それがどんな形かはわからないけれど、いい循環の中に自分も貢献できたら嬉しい

世界はつながっているから、海流のように気持ちいい流れを作っている中にありたいと思っている

私も山にいた時には野菜や娘の衣類もたくさんいただいて、でも何か返せたかと聞かれたらわからない。そこにモヤモヤとしていて、何かできないかと思って始めたのがブログや配信。私ができることを私なりにやっていく。微力なからいずれ大きな流れを作って行けるように、誰かの何かがポジティブに作用する、流れの要素になれたら嬉しい


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Tsuritako

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都会・田舎・秘境の限界集落(山暮らし)の経験から、
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