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子育てに必要なこと

実は昨年、
森のようちえん指導者研修会へ
行ってきました

以前本名でnoteを書いていて、
その時のアカウントは消したので、
当時の記事をここに載せます。

約1年前なのでタイムラグはありますが、
内容は変わらないので備忘録も兼ねて

はじめに言っておかなければならないのは、

超絶長いです😂

ご興味のある方には骨太の内容となっているので、気になる方だけ見てもらえれば幸いです🙌

森のようちえんについて、お話しします

===


「森のようちえん指導者者研修会」へ
行ってきました

先日の連休、関西で行われた「森のようちえん指導者者研修会」へ、個人で参加しました。

そこで、
・なぜ参加したのか、
・参加してどうだったのか、
・で、どうするのか 
について、
まとめておこうと思います

私は「幼児の保護者」という立場での参加。

会場には、
・実際に森のようちえんを運営している方、
・立ち上げて間もない方、
・これから立ち上げようとしている方、
・興味があって参加した個人の方、
様々な方がいらっしゃいました。

そのほとんどが、実際「森のようちえん」に関わる活動をされている方々で、保護者(親)の立場から参加したのは私ぐらい

では、本来研修で参加する場に
どうして行ったのか、

そこからお話したいと思います


きっかけとなった娘の変化

きっかけは娘だった

娘は生まれてから3年間、
山の中の秘境とも言われるような土地で、
限界集落暮らしをしていました

保育園は無いので、毎日自宅です

昨年家族の事情があり、
程よい田舎へ引っ越しました

数ヶ月の待機児童期を経て、
今年の4月から近くのこども園へ
年少さんから入園

初めは好きなバスに乗れることもあって、
毎日ノリノリで登園

他の子が「行くのイヤー」と言っても、
娘は変わらず毎日登園する日々が続く


「こども園楽しい?」と聞くと、
「楽しい!」と返ってくる

しかし、
私としては気がかりなことがあった


「いいよ」って言ってない

園で同い年の子どもたちと関わる中で、
娘の語彙力も格段に上がった

市の検診では、
“言葉がゆっくり”のレッテルを貼られて
何かと疑われる面があった娘も

園に通うようになって、
言葉が増えるスピードが上がった

スラスラと理解できるほどではないものの、
具体的な言葉が増えるようになった


園で指導があったらしく、
何かあったら「ごめんね」と言い、
言われた方は「いいよ」と返す

この一連の流れが我が家にも浸透しました

何かした時は「ごめんね」と言う、
言われた側は「いいよ」と返す


娘の場合は「いいよ」を
すぐ言わないといけないと思っているようで、
(間髪入れないぐらいすぐ、
「作麼生!説破!」のごとく)

例えば夫が「ごめんなさいは!?」と言って、
娘が「ごめんなさい」と言う

夫が何も言わないと、
娘は「トト『いいよ』って言ってない」と
私に言いにくる

こんなことが何回かあるうちに、
しっくりこない感じがあって...


どうやら娘は、
「ごめんなさい」と「いいよ」を
言わなければならないと思っているんじゃないか
と思うようになった


「ごめんね」は、
「ごめんね」じゃないといけない

「悪かったね」や「ごめんよ」ではダメで、
「ごめんね」じゃないといけない。

同じように「いいよ」も
「いいよ」じゃないといけない

「うん、わかった」でも、
「そうだね」でも、ダメ


なんとなく、
この子は中身を理解しているのではなくて、
やらなければいけないこと(決まりごと)
だからやっている
のではないかと感じていました


それはちょっと… まずい

理解してやっているのではなく、
言われたから、やっている。
言葉が記号になっている。

それは空洞で、自分の力になっていない
だから、応用ができない

強いられて従っているのは、
型にはめられる訓練をしているだけだ
そんなことが続いたら、
何も考えられなくなってしまうのではないか

現に今の若者の中には
「自分で何がやりたいかわからない」とか
「言われたことしかできない」とか、
「自分探し」「自分がわからない」
様々なことが言われています
(もちろんそうでない人もたくさんいます。
その時代も移行していてるとも感じる)

それは本人の問題でおさまる範囲ではなく、
その成長過程の教育や環境が、
そうさせるような働きかけの強いものだったから
そうなってしまった

それは、私自身の実体験でもそう思う


同じ格好で、
同じタイミングで、
同じことをする。

それが当たり前とされる。

『個』ではなく『集団』であり、
集団行動ができることが良しとされる。
そこに疑問があったとしても、
楽しくなくても、
「そういうものだから」で片付けられて
相手にされない。
「向き合う」価値観がない


あったとしても、
それは違う先入観があったもので、
ズレがあることに、大人たちは気づいていない。

従来の教育はそういうものだったと思うし、
それは今でも続いていると感じています。

しかし時代も変わっている
新しい動きも広まっている
(それについては他で綴りたい)

少しずれましたが、
娘の変化は他にもありました

山では毎日散歩に出かけ、
外遊びが大好きだった

でも最近は、
「お外行かない」と言って
テレビ(アンパンマンの録画)を
ずっと見たがる

以前は、坂道しかない道を
ずんずん歩いていたのに、
すぐ「疲れたー」と言って歩かない

私が草抜きをしたり花を摘むと
「触っちゃダメだよ!」と制止する


どうも、
街の暮らしに浸ってしまったような
気配がする


どうなんだろうと思いつつ、
もっと伸び伸びした保育のアプローチは
ないものかと調べるうちに、
「森のようちえん」というのもがあるらしい
と知りました。

しかし、
いくつかの理由で
うちでは通わせるとこができません


森のようちえんに通えない

うちが通わせることができない理由は以下です

・家から通える範囲に森のようちえんがない
・森のようちえんに代わる自主保育もない
・預ける時間が短い(仕事に出られる程預かってはくれない)
・森のようちえんの概要を見ると月3万以上、うちでは払えない

月3万という数字は、
人件費やかかる内容によって
妥当な数字だと思います

しかし、
うちの家計では捻出できない額なのです

補足:
現在、森のようちえんの中にも認可園が出てきて、条件が合えば無償で登園できる場合もある。
今はまだ数軒のレベルだが、今後増えるかも

預けるお金を確保するために
私がその間外に出て働こうにも、
それができる程の時間を
預かってもらえるわけでもない。

実質不可能であるということです。

では何もできないのか?
通わせられないなら、何もできないのか

「森のようちえん」は、
特定の、条件の合った、
限られた子どもたちだけが受けることのできる、特別なものなのか、

それ以外の子どもたちには、
親は何もできないのか、

そんな疑問がありました。

しかし、
そうやっていても仕方がないので、
私にできることはないのか
更に調べる

「森のようちえん」に関する本を
図書館で借りらえるものは、
写真集や読み物など、
片っ端から借りて読みました。


指導者養成講座があるらしい

森のようちえんのHPには
定期的に指導者養成講座の情報が
上げられていました

通わせることが無理ならば、
私が講座を受けて、
自分ですればいいのではないか

そう思って、
養成講座を受けることにしたのです。

でも、今年の情報はまだ上がっていない。

その前には全国フォーラムがある
まずはそこに参加しようと思うも、
夫の理解が得られないまま時間が過ぎ、
枠が埋まってしまいました

あまりの埋まる早さに危機感を覚え、
この分では指導者養成講座も
参加できないんじゃないか…
予約はできるのだろうか?

そう思って、
問い合わせをしたのがきっかけです

そこから、
「今度関西でこんな研修があります」と
お知らせをいただき、
まずは、そこに参加することにしました。


夫の協力は得られなかったものの
夫のお母さんは協力してくれたので、
娘を預け、参加が叶う

後に、結果的にこちらに参加して
よかったと思います


研修会は何をしたのか

「森のようちえん指導者研修会」は、
1泊2日で行われました。

1日目は主に座学、
2日目はグループに分かれてワークショップ

研修の前後に、
安全講習と実際の見学がオプションである

私は研修会+見学でお世話になりました
実際の現場を見たかったからです

はじめに言っておきますが、
ここで研修会の内容を項目ごとに
書き出すことはしません

理由は、情報量が違うからです。


研修会が100として、
私がここに80書けたとしても、
私というフィルターを通した80の情報は、
あなたがそのまま受講して得られるものとは
違う質のものになるから

80以外の20は本来の20ではなく
80から想像された違う20や、
勘違いされた20になると感じるからです。

だからもし、
あなたが研修会に興味があって
受けることを検討しているのなら、
そのまま受けた方が良いです。

怪しいし、大丈夫かな…と
心配して思うのであれば、
受けた身としては、大丈夫

ただし、私が受けたのは
「森のようちえん全国ネットワーク連盟」の
ネイチャーマジック主催の研修会だったので、
他が企画するものについてはわかりません。

しかし、書かないと言っても
「私が」の視点で書けることはあるので、
参考になれば幸いです


森のようちえんとは

「森のようちえん」とは、総称です。

基準があって、
それを満たすものが名乗れるものではなく、
基準が細かに設けられているものではありません

しかし、NPO法人
森のようちえん全国ネットワーク連盟では
『森のようちえん団体安全認証制度』という
制度もあります。

私が受講して思ったのは、
日本においての「森のようちえん」は、
団体としての活動もまだ進展途中の段階で、
試行錯誤の渦中にあり、
進んでいる最中。

例えばデンマークでは
「森のようちえん」は市民権を得た存在で、
デフォルトの選択であるようですが、
日本ではまだまだ少数派。
しかし着実に増えているという点で
その思想を持った人が、
指導側にも、一般側にも増えている
ということでもあり、
私もその一人でもあります


森のようちえんの主軸

森のようちえんの考え方にある主軸は、
子どもたちです


彼らの主体性を尊重し、
大人は何かを彼らに教え押し付けることはせず、
彼らが自分で気づく・自分で行動する

ゆったりと安心した空間と時間の中で、
自然に触れることで自分との関係性を理解し、
自分自身の力を伸ばし育てていく、

大人は「させる」のではなく
「そうなる仕掛けをつくる」
「見守る」

時に「受け皿」になっては
また子どもたちの中へ返す

これを繰り返しながら、
子どもたちの変化や成長を一番近くで理解する。

そのための
高度な「振る舞い」が求められる。


言葉にするとすごく難しい。
それが本当に正確か、
もしかするとここは違うと
言われるかもしれませんが、
私の解釈で書き進めていきます。


ここに書いていることは
あくまで「私というフィルターを通って」
出たものということをご理解ください


森のようちえんは
野外体験活動と何が違うのか

この問いに対して、
森のようちえんは「毎日通う(継続・習慣)」
野外体験は「一過性のものである」
違いがある


野外体験は自然に触れるものの
自然に触れることを目的としたり、
自然の中で何かをするイベント的なものが多い


イベントは大人が企画したものであり、
そこには大人の意図があって、
それを子どもたちに与え、
子どもたちはそれを受けます。

また野外体験という特別な時間であり、
非日常的な時間でもあります

森のようちえんは
毎日自然に触れ、
日常生活の一部としてその時間があり、
確保された自由の中で、
各自が選択し、
行動できる自由がある

子ども同士が遊んだり、
遊ばなかったり、
一人で何かをしたり


決まった時間は3つ
「朝の会」「お昼ごはん」「帰りの会」
お昼も各自のタイミングに任す園もありますが、基本的にはこの3つが「決まった時間」

あとは大人に見守られながら
それぞれに過ごします。

移動の際も、
並んで手を繋いでといった指示はありません
(道にもよる)

気になったものを摘んだり
掴んでみたり様々ですが、
一人逸れたりといったことはありません。

他の子どもたちが気づいて声がけをしたり、
手を引いたり、
子ども同士での集団意識があり、
そこに大人の指示の声が響くということは
ありません。


野外体験は特別なもの、
森のようちえんは日常のもの、

そんな違いがあります


保護者が、ただ外で遊ばせるのと
何が違うのか

保護者と外で遊ぶことと、
何が違うのか

ここが私にとって、大きな疑問だった

夫から
「そんなんそこらへんで遊ばせとけばいいんや」
と言われた時、
モヤモヤとしながらも
答えられませんでした。

まず、
年の近い(同い年ばかりでもない)子ども同士の
関わり合いから学ぶことが多い。

2歳から6歳、

この頃の1年や数ヶ月は大きく違います。

できることも、遊び方も、
月齢によって大きく違う。

2歳児はまったりとした遊びをしますが、
大きくなるとアクティブな遊びへ、
複雑な遊びへと、遊び方も変化する

上の子がやっていることを見て
下の子は真似をしたり、
上の子はそれを手伝ったり、
同じ場で多様な遊びが存在しながら、
それぞれが関わり合って
関係性が築かれ、それぞれが学びます。


例えば、
見学の時にスズメバチが
木の根元にウロウロしていました。

そこはよくスズメバチが出る場所で、
森林公園の管理の注意書きがありましたが、
特段ロープが張られていたり、
隔離はされていません。


でも、子どもたちはそれを知っていて、
近づくことはありません。

ある時、一人の女の子が近くに行きました。

すると他の子どもたちが、
「スズメバチ!」
「スズメバチ注意!」と
口々に言い、
女の子はその場を去りました。

そこに大人の声はありません。

しかし、
大人は放置しているわけではありません。

「行ったな」とわかっているし、
他の子が来ることもわかっている、

絶妙な位置にいて、見守っているわけです。

野外には危険な場所や、
動植物がありますが、
それを全て排除して回っているわけでは
ありません。

かといって、
闇雲に自由に森に分け入っているわけでも
ありません。

ルートは、
幼児にとって安全な場所を選んで設定し、
起こるリスクも想定しながら、
そうならないような工夫をする。

アウトドアの知識も必要だし、
天候を読んだり、準備もしり
動植物の知識も必要です。


単なる外遊びとの違いは、
大人の目があるかどうかもありますが、
森のようちえんは
既存の幼稚園より、
保育者の数が多いことが特徴です。

一人の保育者で多くの園児を見るには
言うことを聞かせる為の規則を置くことが
必要になりますが、
森のようちえんでは子どもが主体なので、
子どもの人数によって
保育者が数人つきます

それは、
リスクや子どもたちの行動に対応できる数です。

見ているけれど、
一緒に遊ぶことは基本的にない。
大人は見守る人であって、
遊ぶ人ではない

それは、
大人が遊ぶと一緒に遊んでいる子を
その他の子どもから
囲ってしまうことでも
あるから。

しかし、時には受け皿となって、
また子どもの中に返してやる。

大人は控えでメインではないのです。


だから実際の見学の時には、
私たち見慣れない大人がそこに入っても
積極的に寄ってくことはありませんでした。

遊ぶ対象でないことがわかっているからです。

でも時に挨拶をしたり、
大人を無視しているわけではありません。

大人がそこにいることは
しっかりと認識しています


娘が通うこども園の教室に行けば、
園児たちは次々に話しかけて来る姿と
重なる

それは、
大人が構ってくれる対象であるからなのだと、
こどもたちはそう認識しているのだな、
と感じた

もう一つ、
保護者が外で遊ばせることとの違いは、
親であるか第三者であるかということです

親と子は繋がっているので、
預けて第三者の大人と接する空間とは
やはり違いがある。

そこも大きな違いです。

どうしても「親と子」であって、
そこは家庭で森のようちえんのような
アプローチを取り入れる際、
また違った難しさがある


森のようちえんと保育

森のようちえんの保育者は
必ずしも保育士の免許を持っているとは
限りません。

今は混在している状態です。

そこが、
私にとってもよくわからないところでした。

既存の園とは違い、
保育の学校を出たり資格を有している人たちが
こどもたちを見るわけではない。

では、それはどういう場なのか、
預けて大丈夫なのか、
ということが、
保護者側の目線として不安な面でもありました。


各HPには園の紹介がされているも、
どこか不透明な面もあり、
「実際どうなのか」というところが
知りたかったのです。


森のようちえんは、
・自主保育から始まったもの、
・既存の園で働く保育士の方が
 疑問を持って始めたもの、
・保育とは全く違うバックグラウンドを持った
 個人が始めたもの、
・企業の事業として始めたもの、
様々なタイプがあるということが
わかりました。

「森のようちえん」という一つ母体があって、
そこから派生したものが
各地へ散らばったのではなく、
それぞれが独自性を持って独立した園であり、
目指すものも理念もそれぞれ。

でも、
「森のようちえん」の考え方や
主軸は共通しており、
アプローチの仕方や場所や手法や形式などが、
それぞれに違う。

「ようちえん」と言っても
その要素の捉え方は様々である
ということがわかりました。


ただ、保育の知識、保育士の免許は
幼児を預かる以上、
必要な要素であると私は思います。

でなければ、
安心して預けられるかという面で
不安が残ります。

私個人としては、
既存の園が行く行く
森のようちえんの発想を主軸とした
保育方針へ全体的に転換していくことが
必要であると感じています。

それは、特異なものへの偏りではなく、
今の形自体が偏っていると
強く感じているからです。


実際どんな園があるのか

園としての活動は、
・週4-5日預かる通常型、
・土日に行うイベント型、
・またはその中間に当たるものがあり、
団体としても、
認可園、NPO法人、任意団体と様々。

研修会に参加されていた方々が運営する園には
・英語を取り入れたもの、
・里山地域と密着した活動を盛り込んだもの、
・心理の知識を活かしたアプローチのあるもの
と、多様。


それぞれが
各々のバックボーンを活かした
園のカラーがあります。
各々が考え掲げる子どもの姿
(理念に当たるもの)も、
運営する人の方針によって変化はあるものの、
共通する主軸は
まず第一に子どもたちの主体性を尊重する
ということです。


小学校へ上がった時、戸惑いはないのか

よくある質問として
「自由が当たり前だった
森のようちえんの生活から
小学校へ上がった時、
集団生活や学校生活に
子どもが馴染めるのか」
という問いがあるそうですが、
森のようちえんに通う子どもたちを見れば
答えがわかります。

彼らは
今はどんな時で、自分はどう行動すべきか
ということがわかっています。


前述した決まった時間
(朝の会・お昼・帰りの会)、
例えば朝の「おはようの会」は
輪になって集まり
保育者から注意や連絡の話を聞くのですが、
その際も集中して聞いており、
違うことをしたり、
関係のないことを話すことはありません。

それまで自由に駆け回っていても、
その時にはさっと来て話を聞いたり
必要な発言をします。

それは見ていて見事で、感心しました。
ぜひ実際に見ていただきたいです。

大人が大声で注意をしたり、
強いるような行為はありません。

自分で判断して、行動するのです。
その姿が、毎日の積み重ねで
養われていきます。


参加してどうだったのか

私が感じていた疑問は解消されました。

正確に言えば、
解消するために必要なことがわかった
ということかもしれません。


私が研修会で得たかったことは、

・森のようちえんとは何なのか
・理念や思いは本でもわかる、
 でも、実際どうすればいいのか
 具体的なことを知りたい
・自然遊びとどこが違うのか
(ただ外で遊ばせることと何が違うのか)
・リスクマネージメントはどうしているのか
(具体的な知識はあるのか、
 あれば内容を知りたい)
・子どもにどんなことを教えるのか、
 どう接するのか

私は運営ではなく、
娘のために一個人で何ができるのか、
日々の生活の中に
森のようちえん的なことを
どう取り込んでいけるのか
ということを知りたかった。

具体的な実践編が知りたかったわけですが、
結局はテキスト的なもの
(例えば危険植物の一覧とか判断の仕方とか、
場所の選定方法の具体的な方法を書いたもの)
を得られるわけではありませんでした。

ハウツーではなくそれより前の考え方、
という感覚。


動植物の危険リストに関しては
一部いただきましたが、
さっぱりしたもので
実用的な図鑑に使える程ではない

ただ、場所によってリスクも変わるし
その知識は他でも得ようとすれば
得られるものなので、
そこに関してはあまり気にはしていません。

私にとって良かったのは、
今回初めて試みがあった
「プレゼンテーション」という、
参加者のプレゼンテーションと、見学。

プレゼンテーションは
実際に運営されている方の話から
実情を知ることができ、
その園によって様々である
ということが知れたことも大きかった。

直接お話ししたり質問ができたので、
聞きたいことを
その都度明確にすることができ
得るものが多かった。


何より見学は
実際の子どもたちの様子と、
保育者がどう関わって接しているのかを
見ることができ、
質問も随時できたので、
百聞は一見にしかず

子どもたちの様子からも
場として体感できたことが大きい。


見学をしながら
「では自分の場合に当てはめると、
これから何ができるのか」
ということを考えながら、
おおよその方向性を立てることができました。


これから
森のようちえんを
検討している人へ

これを読んでいる人は
「森のようちえん」に興味のある方や、
お子さんの通園を検討している方が
多いと思います。

実際に研修会に参加した身として言えることは、
実際に見て判断してほしいということです。

前述した通り
「森のようちえん」というのは総称で、
園によってそれぞれのカラーがあり
均一化はされていません。

基準が園でそれぞれなので
「森のようちえんだから」ではなく、
その園自体を見なければわかりません


ぜひその園に出向いて、
子どもたちと大人の様子を見てください


個人の価値観や考え方に合った選択が
叶うといいなと思います

で、どうするのか

「森のようちえんとはどういうものなのか」
がわかった。

では、私はどうするのか

私のように
「通わせたいと思っていても、
現実問題それができな人はどうしたらいいのか」
という疑問に対して
私ができることは、

私が実際の生活の中に取り入れて、
それをシェアする
ということです。

それが今、
私が私と娘にできることだから

森のようちえんに通わせることで
得られることは、
通わせないと
必ずしも得られないことなのかというと、
そうでもないということが、
研修会を通してわかりました

森のようちえんに通わせられる方は、
通わせたらいい。

できるならそうしたほうがいい。

でも、それができない人は何もできないのか?
救いはないのか?
ということに対して、
私は私のできることをしたいし、
それを今は見えないけれど、
確実にたくさん存在する
お母さんや子どもたちにも届けたい

限られた数をすくい上げる
トップダウンではなく、
誰でも取り入れられる
ボトムアップの方法が今はまだないので、
それをつくって発信していきたいと
思っています。

それは、
今森のようちえんに通わせている
保護者の方にも共通することだと思うし、
森のようちえんに興味のない人でも、
子どもの子育ての知識として
役立てることのできることだから、
私としては囲われた一握りの人たちではなく
もっと広く、誰でも取り入れて
活かすことのできる活動の場を
つくっていきたい


研修会で気づいたこと

研修会を通して今まで家庭でやっていたことが
森のようちえん的な接し方であったと、
思い返して気づくことがいくつかありました。


山暮らしの時はほぼ毎日お散歩をしていたので、
自然とそれができていた面があります。

ただ一人だけなので、
どうしても年の近い子どもたちとの関わりで
得られる効果という点で薄いのは事実です


できていたことって、どんなこと?


森のようちえんでは、
まず「自然に触れる」
そこから自分との関係性を見出す
というプロセスがあります。

何かに興味を惹かれ、
それを掴んだり遊んだりして
「自分」が発信源とした行動を、
大人が介入することなく
納得(満足)するまで自由な時間を過ごす。


私が「あれはそうだったかな」と思うのは、
例えば庭の花でおままごとをしていた時のこと。

庭にテッポウユリが咲いて、
お花があるねとは話していたけれど、
それを使って何かしようと
私から働きかけをした記憶はなく、
気づいたらユリをさばいて
切り株のテーブルに広げて遊んでいました。

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庭で栽培したトマトを採って
食べたり、ジャムにしたり、
野いちごを積んだり、
桑の実を取るのは時期になると日課で、
桑についてはお茶にしたり染めをしたり、
一緒に何かしらしていました

▽集めた野苺とシロップやジャム

画像3

画像4

▽桑でそめた草木染の布

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山の中だからできていたことも多いけれど、
山暮らしでなくてもできることは
たくさんあるはずで、
何よりはまず子どもへの接し方
そこをしっかり理解して
意識できていれば、
それは日々の暮らしそのものであると思います。
家庭の中でも少し意識するだけで、
できること・変わることはたくさんあって、
それは「何かをする」というよりは
「心がけ」の部分が大きい。
その部分も、これから発信していきたい


実はこれも大事なのではないか


研修会で、参加者の方と話したりしながら、
私の中で「実はこれも大事なんじゃないか」と
思うことがあった

それは、研修会自体の内容として
触れられたことではないのですが
子どもたちの自己肯定感を上げるのは、
同時にその保育者(保護者や大人)の
自己肯定感を上げることも
大事なのではないか
ということです。


いくら
「子どもたちの自己肯定感を上げよう」
としても、
当の本人が低ければ
それは少し無理のあることなのではないか、
私たち大人は
従来の教育の中で
自己肯定感を低くさせる作用を
強く受けてきたと思います。

もちろん高ければ素晴らしい
私たち自身も一旦自分のことを見て、
自分の自己肯定感の高さを一度再認識した後、
もし今の状態は低いなと感じるなら、
一緒に高める必要があると感じました。

それは、
「子どもたちにとってゆったりと
安心した時間と空間をつくる」のに、
「自分がゆったりとした気持ちで
安心できる空間である」
という前提が必要なのではないか

と感じたからです

「ゆったり」というのは
「ゆるい」ではなく、
心に余裕があるという意味で、
緊張感があっても適度であって
過度ではない、無でもない。


自分がリスクの心配ばかりする場に
子どもを連れても
ハラハラするばかりなら、
それは子どもたちにも伝わることなので、
まず自分。

自分がここならと思える時間と空間である
ということが前提だと感じました

そこで、
私も自己肯定感を上げることを
意識しようと思います

・お散歩の場所は、私も安心してゆったりとした気持ちでいられる場所を選ぶ
・お散歩の時はドリンクを持って
 リラックスタイムを兼ねる
・娘にとっても私にとっても
 気持ちのいい時間を過ごせるように考える
・日々の暮らしの中で自分を大切にする
・振り返るの時間を定期的に持つ

この5つをルールにすることにしました

これからの活動を通して、
どうなるかはわからないし
有意義な情報を届けることができるかも
何もわかりませんが、
何かしらの見える形で
シェアしていこうと思っているので、
どうぞよろしくお願いします

===

近々本当に動き出すためのクラウドファンディングを計画しています。

私個人の資金では実現できなかったことと、
多くの人を巻き込んだ方がその方々にとってもプラスに得られるものがあると思ったから、
今までは怖くて手を出さずにいたけれど、
踏み出してみようと思います

動きはnoteで随時お知らせしますので、
フォローや情報を受け取れる状態にしてもらえると嬉しいです☺️
もしこの記事に関心を持っていただけたら、
ぜひ「おすすめ」いただき、
多くの方に読んでもらえる場所に押し上げていただけると幸いです

新しい学びを、一緒にシェアできたら最高!!

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Tsuritako

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都会・田舎・秘境の限界集落(山暮らし)の経験から、
都会と田舎、両方の視点から田舎暮らしを翻訳しています。
「楽しく暮らす」をモットーに情報発信中

youtube:
https://www.youtube.com/channel/UCaZ4wYKA44n1TLVU2EqGa2Q?view_as=subscriber

blog:放ったらかしブログ
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習慣にしていること

子どもに教えられたこと

じゅんぐり回していきます☺️ 忘れた頃に、大きく育ってあなたのもとにも還りますように🙌🏼