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お菓子を買う時のルール、「好きなもの何でも1つ」をやめました

5歳の娘とスーパーへ買い物に行く時、おやつを買う時「おやつは1つね」と言っていた、最近それをやめた話

我が家は5歳ですが、歳によって変わることと共通することがあると思うので、参考になれば嬉しいです

スーパーでの名言

先日われながら名言だな、と思ったことがあったのでシェアします。

それは娘とスーパーで買い物をしていたところ、確か、それはお菓子だったと思う

娘:これほしいほしい!!買いたい

私:あなた、無駄に欲しがるんじゃぁないよ


名言(と勝手に断定)、
無駄に欲しがるんじゃぁないよ

※ちびまる子ちゃん風に言うのがコツ

目先の刺激にほんろうされて、あれほしい!これほしい!にはキリがなく、買ったとしてもまた次の「ほしい」がやってくる

新しいものは次々出るし、すでにたくさん存在している。大人になるほどそこに“限定”とか“今だけ”とか、そんなものも出てくる(お菓子に限らない話ですね)

おいおいおい、

衝動に駆られて本当に必要なものを買う資金が減っては意味がないだろう

お菓子であれぼ食べたら終わり。糖分だって取りすぎは良くない。大衆向けのものはうまくできたもので、中毒性があるものもある

何でも1つをやめた理由

我が家では買い物に行った時、「おやつは1つまで」とルールを設けていますが、最近それをやめました

理由は「1つ買う」は「1つを選ぶ」ことでもあるけれど、「毎回1つ買う」でもある。

つまり、「買わないと損」な心理も働くと思ったのです。ほしいものがなければ買わなくてもいい。そもそも、毎回買わなくてもいい(母としては、あわよくば、買わずにすむならそれがいい)

買い物をしながら思った

(心の声)そんな毎回毎回買わなくてもいいじゃない... はっ!これ、実は

実は。そう、「1つだけ」ルールは実は、「1つ買わなきゃいけない」ルールにもなりえる

と思ったのです

「1つ買う」が習慣になるにはいい面とそうでない面もある。選びとるトレーニングになる反面、どれでも良いわけではなく、価格や原材料を見て親目線から口を挟んでしまう時もあり、制約もあるなぁと思いました

・買わなくてもいい
・デフォルトは“買わない“にしたい
・本当にほしい物をほしい時に買うようにしたい

そこで、我が家は「おやつは1つまで」から「『みんなで一緒に食べるおやつ』を娘が選ぶ」に変えました

きっかけは、娘が「みんなで食べるおやつこれにする〜!」と、おやつを選んだことから

もちろん時には自分にとって「何か1つほしいものを選ぶ」時もある。しかし何回か新ルール方式にするうちに、「なんかいいな」と思ったので、続けています

自分の幸せと周りの人の幸せをセットで考えられる、それも素敵なトレーニングだと思ったのです

「自分が満たされる(好きなおやつを選べる)もの」から、「自分と私たち家族がみんなで楽しめるものを選ぶ」へと変えた時、選ぶ時に考える幅が広がった。共通する好みとか、量とか、大袋がいいのか小分けがいいのか、何回楽しめるのかとか、多くのことを考えて選びとるトレーニングにもなっているなぁ、と

そうして後で帰ったら、娘がおやつを「はい、どうぞ」と配り歩くのもまた微笑ましい

その時、いい時間だなぁ、と思いました


1つだけルールの矛盾

「1つだけ」ルールはまた、こんな矛盾もある

例えば、夫がスナック菓子をポンポンと2つかごに入れたのを見て私は思った

娘(こども)は1つなのに、夫(大人)は2つ入れるのか。え、それ、ズルくない?
大人はいいの?たまにだったらいいの?いつもは入れなかったらそれはいいの?それは、なんだか子どもから見たら不公平感がない??

そう、こどもは小さいからダメとか、それは大人になってからとか、お菓子でなくてもある矛盾

大人が作ったルールは、
大人に都合のいいものなのか?

みんなにとっていい形であるとか、無駄がないとか、合理的とか、そんな理由から作ったルールではないのか。ルールを作る側だからといって、好きなように、都合のいいように傾けるなら、それは健全ではない。それを「聞きなさい」とはよぅ言わん(よく言えない)なぁ...

そう思ったのです

その根底には、私自身がこどもだった時、大人に感じた矛盾や、やりきれなさ、どこか納得できないモヤモヤ、そんな思いがある

私の中のこどもの私が言う、「ずるいぞ、大人だからって、都合のいいように言ってずるい」

そうだ。一理あります
ごめんなさい。


こどものおやつが1つなら、一緒に買い物する大人もおやつも「1つ」なはず

こどもは我慢して、大人は我慢しないの?


大人は他で我慢してるからおやつはいいの?ならこどもは他で我慢はしてないの?そんなこともないよね。こどもの世界にもいろいろある


「こうあってほしい姿」を目指す

こどもが将来

どんな大人になってほしいか、
何を大切にしてほしいか、
どんな風に考えていってほしいか、

「そうあってほしい」を、今大人の私たちが「そうである」姿として見せることが一番の「生きる見本」だと思った。言葉で言うだけでなく、体現している。それが一番だな、と。

完璧な人間になれと言っているのではありません(くれぐれも!)

こどもに求めることに、求める大人側は関係ないわけじゃない、ということです

完璧な人なんて無理無理。
それなら私、全然達成できていません。笑

でも、そこに対して負い目も何もありません。
そもそも完璧を求める必要を感じていないから

大人だって人間なんだから、できることとできないことがある。上がりも下がりもする。いつも笑顔でいられない時もある。感情的になる時もある

それは仕方がない。でも、だからといって何もしないわけにはいかない

あ、やっちゃったな とおもったら、

ごめん、今のはよくなかった。
と謝って、そしてどうしてそうなったのか、その理由を言って、協力をお願いする。

小さい子であっても、一人の個人として、尊重して、丁寧にお付き合いしていきたい

正直できない時もあるけれど(全部できてるって嘘つきません)、トライアンドエラーを繰り返しながらより良い方向へ、一緒に進んでいけると嬉しいです

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