「最強平成ソング」の背景を、音楽教科書データの分析から探ってみる
関ジャム「最強平成ソング」はなぜ9割が選者の小学校時代以前の発売曲に集中していたのか?戦後の音楽教科書の楽曲データを可視化して探ってみると、色々びっくりな変化が見えてきました。
小学校時代以前の発売曲に集中「最強平成ソング」
3ヶ月前に関ジャムに触発されて「若手が選ぶ最強平成ソング」に関する分析記事を書きました。すると平均年齢25.8歳の48人の選者が選出した30曲中のうち、実に9割にあたる27曲が、平均して選者の「小学校時代以前の発売曲」に集中している様子が浮かび上がってきました。
中学生とか高校生とか思春期ではないのです。小学校時代以前なのです。
非常に興味深い!と思いました。
小学校で歌った記憶
そんなある日、偶然このランキングの選者アーティスト平均年齢25.8歳と同じ年齢の友人と話していたところ、いくつかの曲について「すごく思い出がある」と語ってくれたのです。
11位 23位 スピッツ「ロビンソン」「空も飛べるはず」
小学校で毎朝あった「朝の歌」の会で歌ってた!
12位 松平健「マツケンサンバ」
小学校のとき盆踊りで踊ってた!
13位 ゆず「栄光の架橋」
小学校のとき音楽の授業で歌った!
18位 MONGOL 800「小さな恋の歌」
小学校のとき合唱コンクールの課題曲だった!
25位 大塚愛「さくらんぼ」
小学生のときなんか知らんけど最初に買ったCD!
何かが私の意識を打ちました。
「平成最強ソング」のような傾向は、当時のリスナーがお金を出して「消費」した結果としてのヒットチャートというよりも、ポピュラーミュージックが次々と「教育」の中に取り込まれ、早い段階から(消費するのではなく)歌ったり演奏したりするようになった歴史的変化を反映しているのではないか?
であれば、一部で指摘されていた「あのランキングは当時のヒット曲とかけ離れている」というようなことも、ある意味で当然であるように思えてきます。
友人の小学校時代にあった「朝の歌」では、歌う曲の楽譜はその都度一枚のプリントとして配られていたそうで、地域や学校や担任の先生によって様々でしょうが、各地域のそういった類の冊子や資料が残っていれば、採集してデータ化することで、他にも教育に取り込まれていった曲が見えてくるかもしれません。
そこまで採集することができなくても、副読本やプリントではなく「音楽の教科書」の楽曲データを分析すれば、ある程度そのような傾向が見えてくるのではないか…
音楽教科書をデータ化して分析
今回は、「小学校音楽教科書におけるポピュラー音楽の受容」をデータから可視化してみることにしました。
まずは音楽の教科書を出版されている教育出版株式会社さんが公開している、1952年以降に発行された小学校音楽教科書に採録されている楽曲の膨大なリストに、「その楽曲の作曲者の生まれ年」のデータを追加してみました。
手順としてはリストの中にある作曲者の名前データを、「作曲家 滝廉太郎」のような検索ワードでGoogle検索し、その結果画面の右端に表示される「ナレッジパネル」から生年月日情報を取得するコードをPythonで組みました。
この「検索&生年データ取得」を、Pythonでループを回して1952年以降教科書に登場する全作曲家について自動取得しました。
対象楽曲は 6,875曲。それらは重複を除いた798人(組)の作曲家によって書かれていました。
中には民謡のように作曲者不明の記載のあるものや、記載があっても「ニュージーランド マオリ族」のように生年を特定することあ不可能なものもありますが、検索で生年が自動取得できた作曲者は798人(組)中、253人(組)でした。
取得率は32%です。これは国内外の民謡が非常に多いのと、戦前の作曲家などはGoogle検索のナレッジパネルの対象になっていなかったり、そもそも不明というものもあるためです。
とにもかくにも、生年データが確認できた「253人(組)分が作った全875曲のデータ」を、「教科書の出版年 × 作曲者の生まれ年」散布図として視覚化してみました。
83年までの教科書は「戦前生まれの作家の曲」
一見してデータの分布は左下から右上に向かって推移しており、特に1980年代後半から右肩上がりになっていますね。
(ちなみに先程ご説明しましたように、Google先生といえど古い教科書の昔の作曲家ほど生年データが欠損している傾向があるので「実際はこの散布図はもっと左下方向に点が多い≒もっと右肩上がり傾向になる可能性がある」という前提でご覧ください。)
今回データ化できた楽曲の分布からわかるのは、
1980年代前半までは、音楽の教科書に載っている楽曲は、和洋問わず、すべて「戦前生まれの作家の曲」だった
ということです。
1986年になるまでは、作曲者の生まれ年は一度も1945年のラインを超えていません。例えば1983年時点で考えると、1946年生まれの作曲家がいたら、37歳なので、教科書に採録されるような楽曲を作っていても不思議ではありません。
にもかかわらず、まるで1945年という見えない天井があるかのように採録楽曲は横ばい気味に推移します。
86年から急速に同時代化
その状況が一転するのは1986年の教科書からです。急速に作り手が「同時代化」していく様子が見て取れます。そして89年から「平成」が始まるのです。
箱ヒゲ図にも表れているように、以前はどちらかとえいば地下茎のように過去方向に伸びていた作曲者の生まれ年が、86年以降ではジャックと豆の木のように、むしろ同時代へ同時代へと伸びてきている。
92年ザ・ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」教科書に
例えば1992年の教科書に採録された、ザ・ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」。
作曲者の真島昌利さんは1962年生まれなので、当時30歳ということになります。83年以前と比べて状況が一変していますね…!
また2011年版には、1978年生まれの作家、池田綾子さんの楽曲が採録されています。当時33歳での採録です。
この池田綾子さん作曲「笑顔でいよう」は、今では卒業式の定番の一つになっているようで、ネット上にはボカロに歌わせてみたバージョンも存在します。今風です!
2000年以降の教科書にはアニメーション『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』などのサウンドトラック作曲で知られる川井憲次さんの「まつりうた」が採録されていますね。
こちらの歌唱は声優の林原めぐみさんです。和の情緒を感じる素晴らしい曲ですね。
教科書に複数曲採録され続ける久石譲さん
また1950年生まれの久石譲さんによる「さんぽ」は、当時46歳で1996年の教科書に採録され、その後も「君をのせて」「もののけ姫」「ハトと少年」と、ジブリ作品への提供楽曲を中心に採録され続けています。
突然現れる古い曲、パッヘルベル「カノン」
ここで右上ではなく右下に目を移してみましょう。
2002年から突然のように、パッヘルベル(1653年生まれ)作曲の「カノン」が採録され始めています。
これは山下達郎さんの「クリスマスイブ」(1983年リリース、1988年からJR東海CMソングに)の間奏に取り入れられて非常に知られるようになった結果、「あのクリスマスソングの曲ね」という形で日本の音楽教科書に達郎さんを経由して「逆輸入」されたケースではないでしょうか。
ちなみに1962年から採録されていた曲に、グルーバー(1787年生まれ)の「きよしこの夜」があります。
この曲は1986年まで採録され続けた後、忽然と姿を消します。
一方、達郎さんの「クリスマス・イブ」発売は1983年。達郎さん経由と思われる「カノン」が採録され始めるのは2002年です。
その間にも、「クリスマス・イブ」は1992年、渡邊孝好監督、斉藤由貴さん、山田邦子さん、加藤昌也さん、大江千里さん主演映画『君は僕をスキになる』のエンディングテーマに起用されます。
クリスマスソングが教科書内で世代交代
この経緯を時間軸に沿ってまとめるとこうなります。
1962年 グルーバー「きよしこの夜」教科書に登場
1983年 山下達郎さん「クリスマス・イブ」発売
1988年 深津絵里さん主演JR東海CMで「クリスマス・イブ」認知拡大、
1989年 「きよしこの夜」教科書から姿を消す
1989年 牧瀬里穂さん主演同CMで「クリスマス・イブ」再起用
1992年 吉本多香美さん主演同CMで「クリスマス・イブ」再々起用
1992年 渡邊孝好監督『君は僕をスキになる』で「クリスマス・イブ」主題歌に起用
2002年 パッペルベル「カノン」教科書に採録開始
どうでしょう。達郎さんが取り入れた「カノン」がTVCMというマスメディアを通じてクリスマスイメージと結びつき、教科書の中でクリスマスソングの世代交代が起きていく…
しかも、
グルーバー(1787年生まれ) → パッヘルベル(1653年生まれ)
と、時間軸を134年分も逆行する方向に。
お…おもしろーい!!!
教科書と社会の相互作用
ここまで見てきましたように、教科書掲載曲の同時代化は86年を機に始まり、そして89年から「平成」が始まります。平成元年以降のデータにハイライトしてみるとこうなります。
この期間は、関ジャム「若手が選ぶ最強平成ソング」の選者平均年齢25.8歳の小学生期間である、1996年から2002年ごろまでと重なります。
追い風となった検定制度の改定
86年から進んだ同時代化から遅れること数年、1987年=昭和62年には教科書検定に関する臨時教育審議会答申が行われ、「個性豊かで多様な教科書の発行」に向けた制度改革が提言されます。
これを受けた検定制度の大幅改正は1989年=平成元年4月に行われ、その告示に基づいて制作された教科書から本格的に適用され、小学校の教科書では1990年=平成2年度のものから適用開始となったようです。
そうした制度改正も追い風となった音楽教育環境の変化の中で、パンクロックという元々は反体制的、アナーキーなジャンルにルーツをもつザ・ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」のようなポップミュージックが、公教育の体制の中に受容されていったと捉えることができます。
平均年齢25.8歳の「最強平成ソング」選者は、この空気を吸って育っている。
別の言い方をすれば、たとえば2022年現在で50歳前後=1973年前後生まれの方は、Mr.Childrenさんの「名もなき詩」が大ヒットした1996年(平成8年)のとき23歳。若手社会人として自分のお金でCDを買ったりカラオケに行ったりして音楽を消費していたと思われますが、上記のような変化が始まる前の1985年くらいにはすでに小学校を卒業してしまっています。
生い立ちの中でのポップミュージックとの関係が同じではない。
いずれにしましても音楽教科書といっても、決して閉じたものではなく、メディア環境の変化や生活者によるポピュラー音楽の聴取傾向と、相互作用を行っている。
そうしたプロセスの積み重ねの結果、以前は教科書で学ぶ音楽といえば「昔の人が作った過去の曲」だったのが、今では、バロックのパッヘルベルや古典派のモーツァルトと、見えない銃を打ちまくるパンクロックが同居するような時代になっている。
昭和歌謡やシティポップのブームに見られるような、ネットやサブスクリプションによって生じたコンテンツ時間軸のある種のフラット化は、実は、教科書という最も固定的と思われるメディアの中で、先行して起きていたのかもしれません。
こうした傾向が今後どう進行するのか興味深いところです。令和版のデータや、中学と高校のデータ化も進めていますので、またnoteにまとめたいと思います。
パーソナル化時代の音楽共有体験
さて、長くなってしまいましたが、今回の記事の最初の問いは、「平成最強ソング」のような傾向は、当時の消費=ヒットチャートというよりも、ポピュラーミュージックが次々と教育の中に取り込まれ、早い段階から歌ったり演奏したりするのうになった歴史的変化を反映しているのではないか?というものでした。
そして背景には、追い風としての教科書検定制度の改革があった。
今回分析対象にできたのは出版社さん一社の「小学校の音楽教科書」だけでしたが、その問いの解のしっぽいくらいは見えたかもしれません。
今後、副読本や配布プリントなどのデータが採集できれば、よりクリアになると思います。
詳しい方にアドバイスいただきたい…
そして今回の分析で感じたのは、教科書というのは、ヒットチャートのように「消費」行動を表しているものではないけど、意外と重要な役割を担っているかもしれない、ということですね。
現代ではONKYOさんの破産にも象徴されるように、私的な生活空間の中からスピーカーが消えてゆき、音楽は、スマートフォンとノイズキャンセリングイヤホンという個人に閉じたオーディオデバイスと、ユーザーごとにカスタマイズされたアルゴリズムを通じて聴取されるようになりました。
そのぶん、世代として共有できる音楽は、思春期に個人的に消費した音楽というよりも、小学校時代にみんなで歌ったり踊ったりした曲に集中するのかもしれません。
私の場合は、「アラレちゃん音頭」くらいでしょうか。
夏になると、蚊取り線香の匂いの混じった風に乗って、太鼓の音と、アラレちゃん音頭が聴こえてきたものです。
今更ですが...どういう意味...!!??
以上、徒然研究室でした。
*トップ画像はお絵かき人工知能Midjournyで生成した絵を当研究室で加工し、グラフを合成してたものです。