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祖父の葬儀

2/22に亡くなった祖父とお別れしてきた。
91歳、大往生だったと思う。

第二次世界大戦中、予科訓練生になり、本来は飛行機に乗って、戦地に行くはずだった祖父。
けれども、肝心の飛行機がなく、結局一度も飛行機に乗ることなく終戦を迎え、その後は自衛隊の前身である警察予備隊に入り、自衛隊の礎を築くのに貢献した。
棺に入れてあげるものを探していたら、戦時中、寄せ書きされた布が出てきた。
「頑張れ」「負けるな」「日本男子」等と書かれていた。
恐らくだけど、貴重な品だと思う。
祖父は思い入れがあったのか、その布をコピーした紙も出てきて、その紙の方を棺に入れた。
あとは数学が好きで、毎日難問を解くのを日課にしていたから、数学の本と、いつも使っていた筆記用具と短くなった赤青鉛筆、問題を解くのに使ってた広告の裏紙、市から表彰された時にもらったトロフィーの箱を入れた。
甘い物好きだったのに、糖尿病で全然食べられなかったから、お菓子とか飴もたくさん。
天国で好きなもの食べられるといいな。

私の家は機能不全家庭で両親不仲な上に、母と叔母も超絶不仲、叔母が毒親で従姉妹とは絶縁状態(それでも祖父のために、5歳の娘がいるシングルマザーなのに、新幹線使って駆けつけてくれた)、従兄弟は名前出せば誰もがすごいって言うような所で働くめちゃくちゃ優秀な人だけど、マザコンで叔母とべったり、何の気まぐれか祖父と1番疎遠だったのに参列すると言った弟は、度を越した非常識で短気で癇癪持ち、唯一助けになってくれそうな兄は母と叔母一家を毛嫌いしていて不参加、そんな中私は受付と弔辞を任されていて、あちこちに気を回さないといけなくて、とにかく精神的な負担がすごかった。
母と父、母と叔母が喧嘩しないよう気を配り、母を小馬鹿にしすぐキレる弟が癇癪を起こさないようなだめ、葬儀の流れを母と一緒に確認し、受付をこなし、お通夜の後は弔辞を読む練習をし、従姉妹と叔母が距離を取れるよう立ち回り、従姉妹の子を子守りし、弔辞を読み…とにかくやることが多かった。

父はさすがに空気を読んで、母のサポートに回ってくれたから助かったけど、叔母は父にやたらキャピキャピするし、何故か私に媚びを売りまくり(都会で働いてるから洗練されてて美人、細くてスタイルがいい、髪の毛が綺麗、まつ毛が長い、メイクが上手い、弔辞とってもよかった、感動したから原本をコピーさせてほしい、読み返して感動を思い出したい等)、ちょっとっていうか大分気味悪かった。

母と叔母はずっと不仲だったから、子供の頃からほとんど交流はなかったけど、私は中学生の頃、実家を出た従姉妹の服をあげると言われ、祖父母と一緒に叔母の家に行ったことがある。
叔母は何故か祖父母を先に帰らせ、私1人をカフェに誘い、ひたすら自分の母(私の祖母)や姉(私の母)の悪口や悪行を延々と聞かされた。
私の母も、叔母よりかなりマシだけど毒親で、私も当時母を好いてはいなかったけれど、それでも実の親を延々と悪く言われていい気分はしなかったし、あまりに苦痛な時間だった。
何のためにそんなことをするのか、全く理解出来なかった。

外堀を埋め、根回しし、自分の味方を増やし、自分の敵を孤立させる。
あの人はそういうやり方をするって、従姉妹から聞いて、あの時叔母は、多感な時期の中学生の姪である私すら、母を孤立させるために利用しようとしたんだと知って、背筋が凍る思いだった。

そんな叔母に長年虐待を受けてきた従姉妹は、宗教にハマってしまったり、長年消息不明だったり、結婚相手がモラハラDV男で離婚したりと、かなり苦労したようだけど、子供ができたことですごく強く逞しくなっていて、7年前に祖母の葬儀で会った時より綺麗になっていた。
母は強しとはよく言ったものだなと思った。
5歳の娘さんはとても可愛らしくて、私にすごくよく懐いてくれて、父の妹(私の叔母)が「いつの間に娘出来たの?!」って、私の子供と勘違いするほどだった。
葬儀の間も私の膝の上に座ってたし、ずっと私と手を繋いだり抱っこしたりおんぶしてたから、今腕が筋肉痛で、子育ての大変さを知るいい機会にもなった(笑)

従姉妹はなるべく叔母と距離を取り、一緒にいる時間を少なくするために、参列したのは葬儀までで、火葬の前に帰ったけど、後で私にラインが来て「うちの娘は私のせいで家族の絆が薄いから、親戚のお姉さんに可愛がってもらったっていう思い出を作ってあげられて本当によかった」って言われて、何だか切ない気持ちになった。

どうしてこう、うちの一族は父側も母側もおかしいんだろう。

今でこそ、母は昔より大分穏やかになったし、私自身も母の苦労も分かるようになって、母とは和解して、よく連絡を取るようになったけど、それでも私が子供を持たないと決めているのは、妊娠出産で自分のキャリアが止まるのが嫌っていうのもあるけど、1番は母にされたこと言われたことを、どんなに気を付けていても、知らぬ間に自分の子にもしてしまうのではないかという恐怖があるから。
自分の子を100%愛せる自信がない。

何か、いろんなことを考えさせられたお通夜とお葬式だった。
祖父とのお別れのために、もっと時間を割きたかった。

大好きだったおじいちゃん。
いつも私の味方でいてくれたおじいちゃん。
私の夢のためなら、惜しみなく支援をしてくれたおじいちゃん。
スキルアップのために行こうと思ってるんだと言ったら、私は自分で払うつもりでいたのに、全額負担してくれたヘアセットスクールの受講代、それがおじいちゃんが遺してくれた最後の支援。
忙しくてなかなか行けてないけど、あと4回あるから、ちゃんとやり切って、墓前に修了証を見せに行きたい。

でも、適応障害再発してるのに、気を張り過ぎてかなりメンタル疲れたのか、顔を出して消えてくれない希死念慮。

生きなきゃと思う気持ちと、未来への不安から死んで楽になりたいという気持ちが同居してる。

今日は疲れて全く動けなかった。
明日こそ、ちゃんとやるべきことをやらなきゃ。

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