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愛されたい

愛されたかった。
ずっと、子供の頃から愛されたかった。
生まれてきてくれてありがとうって言われたかった。
生きていていい理由がほしかった。
いつも、生きる意味を考えてる。
私が生きてる価値って、必要性ってなんだろうって。
だから、仕事が何より大切。
必要とされていると感じられるから。
でも、普通の家庭に生まれて生きてきた人は、生きる意味とか生きる価値とか、そんな理由付けなんて、そもそも考える必要ない。
だって、生まれてきて生きているだけで愛されているから。

「産まなきゃよかった」「お前がいると金ばかりかかる」
事あるごとに言われた言葉。
手を繋ごうとすると払い除けられ、抱きしめられたくても拒否されることが怖くて、手を伸ばすことも出来なかった。
無条件に抱きしめられて愛されて育った人では、価値観が違って当然だと思う。

機能不全家庭という環境で、毒親に育てられた私は、とにかく愛に飢えていた。
そして多分、今も飢えてる。

私は、恋人に、恋人としての愛情だけじゃなく、親としての愛情も、兄弟としての愛情も、足りなかった家族愛を全てその人1人に求めてしまう。
それに疲れてしまった人、理解出来ないと吐き捨てた人、理解していてくれたのに忘れてしまった人…みんな私の前から消えた。
さらに性被害に遭った影響でPTSDも患っていて、男性不信も重なって、なかなか男性を信じられない。

でも、常に愛されていないと不安で、だから、厄介な恋愛的価値観や性愛的価値観を抱くようになってしまった。

「私は愛されない人間なのだから、汚れた身体なのだから、抱かれるだけでも十分身に余るほどの幸せなんだ」

だから、相手の性癖には大体付き合うし、逆に自分がこうしたいとかこうしてほしいとは言えない。
淡白でつまらなくても、求められるだけマシと思うと、何も言えなくなる。

本当は誰よりも大切に抱かれたくて、愛されてるって実感したくて、生まれてきてくれてありがとうって言ってほしくて、愛してほしくて、苦しい。

生まれてきてくれてありがとうって言ってくれた唯一の人は、両親でもなければ、元彼でもなければ、元夫でもない。
長い人生で考えたらちょっとすれ違ったくらいの、知人。
でも、その言葉をくれたその日が、たくさんの人が私の誕生日をお祝いしてくれた人生で初めての日で、誕生日にトラウマがある私には何より嬉しくて、間違いなく一生忘れられない人であり、誕生日であり言葉になった。

もうその人とは会うこともないんだけれど。

今も寂しさに苦しんでる。
愛されてるって実感したいから抱かれたい。
私の身体は汚くないって思いたい。
でも、誰でもいいわけじゃない。
私を愛してる人に抱かれたい。

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