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イケてる年寄りになるために、若いうちから準備しておきたいこと

若い頃は、自分が年寄りになるなんて、思ってもいませんでした。

でもある時、鏡を見て、思ったよりも頭髪の量が少なくなっていることに気が付いたり、顔のしわが目立つようになったり、物覚えが悪くなったりで、年を取ったことに気が付いたんです。

周囲の人たちは、もっと前から気が付いていたかもしれませんけど…。

でも、私は天邪鬼ですから、それを悲観してはいません。生き続けていれば、誰でも例外なく年を取りますから、今の子どもたちよりも50~60年ほど?早めに年寄りになっただけのことです(負け惜しみ)。

今日は、若いうちから年寄りについて勉強したり、準備したりしておいたら、結構いい老後が過ごせるようになるかも、というお話をお届けします。


いつまでも若いと思うなよ 橋本 治(著)

まずは、橋本治さんの「いつまでも若いと思うなよ」という本を引用しつつ、年寄りについて考えてみます。

若さにしがみつき、老いはいつも他人事。どうして日本人は年を取るのが下手になったのだろうか―。バブル時の借金にあえぎ、過労で倒れて入院、数万人に一人の難病患者となった作家が、自らの「貧・病・老」を赤裸々に綴りながら、「老い」に馴れるためのヒントを伝授する。(中略)読めば肩の力が抜ける、老若男女のための年寄り入門。

著者について
1948(昭和23)年東京生まれ。作家。東京大学文学部国文科卒。小説・評論・エッセイ・古典の現代語訳など、多彩な執筆活動を行う。


老若男女のための年寄り入門」というのは、今までにあまり聞いたことのない発想で、とても新鮮です。

老後のための貯蓄や年金など経済的な面については、比較的若いうちから勉強したり準備したりする人もいるでしょうが、一方で、年を取ってからの生き方のようなものは、若い内から考えている人は少ないような気がします。

そう言う私も「定年退職したら、のんびりするかな」ぐらいにしか考えていませんでしたから…。

たぶん、良い老後を過ごすためには、経済的な面だけでなく、生き方みたいなものも準備・訓練していった方が、たぶんいいと思うんですね。

そこで、まずは「いつまでも若いと思うなよ」を頼りに、年寄りについての現状分析みたいなものから始めてみます。

・・・

残念なことに、近年は、明らかに年寄りが敬われなくなってきています。敬われないだけなら、まだいいんですが、なんだか邪魔者扱いみたいな感じだったりもします。

むしろ、若い人にとってみたら「以前、年寄りが尊敬されていた」ことの方が不思議に思えるかもしれません。

儒教の基本理念は「長幼の序」で、年寄りはえらい。しかも鎖国の江戸時代は、新しいものを外から仕入れずに経験主義だから、年功を積んだ経験者の方がえらい。
ところが明治になると、海の向こうの知識を若いうちに学校で学ばなければならなくなる。ついでにその時期に人生も学んでしまう。

昔は、年寄りが知識とか知恵の伝道者としての役割を担っていたため、尊敬されやすい状態でした。しかし、現在は、ネットでの情報が爆発的に増えたこともあって、年寄りよりも若者の方が圧倒的にいろいろなことを知っています。もう、年寄りであることのアドバンテージがなくなってきているんですね。

その結果、「若い」ということが、ことのほか重要視される世の中になってきたように感じます。

人間はその初めに「若い自分」という人格を作り上げて、その後は預金を少しずつ切り崩すように、自分から「若さ」を手放して行く―― あるいは「若い」が少しずつ消えて行く。そういうものだから、人間は自分の人生時間の進み具合を「若さの残量」で計るようになる。

「若さの残量」が減れば減るほど価値がなくなっていき、「ライフ」が0になったら、おしまいっていう感じでしょうか。

ゲームじゃあるまいし、そんな考え方は、なんだか悲しいです。だって、みんな年を取るんですから。 年寄りになっても明るい気持ちでいられるような考え方をするべきじゃないかと思うんですね。

YouTube、TwitterなどのSNS、あるいはテレビなども、若者が好む方向にどんどんシフトしていっていて、年寄りは、もうおいてけぼりです。

外務省だって、「ポップカルチャー外交」と称し、日本の若者文化を外交のツールとして押し出していますし。

外務省「ポップカルチャー外交」

外務省では,我が国に対するより一層の理解や信頼を図るため,従来から取り上げている伝統文化・芸術に加え,近年世界的に若者の間で人気の高いアニメ・マンガ等のいわゆるポップカルチャーも文化外交の主要なツールとして活用しています。

その一環として,「日本国際漫画賞」を,外務大臣を委員長とした実行委員会を組織して実施しています。(中略)

コスプレが近年世界的な人気を見せていることを受けて,毎年国内で実施されている「世界コスプレサミット」において,平成19年から優勝者に外務大臣賞を付与するなどの支援を行っています。

アニメやコスプレを「文化外交の主要なツール」とするのは、まあ別にいいんですけど、「我が国に対するより一層の理解や信頼を図るため」という目的に関しては、なんだかなあと思ってしまうのは、私がジジイだからですね。たぶん。

日本の「オタク文化」と言われるものを、経済産業省は「クールジャパン」として世界に売り出そうとしている――というか、もう売り出している。ある程度以上は売れるでしょうね。それは「大人にならなくていい」という、世界に類例のない文化だから。

「大人になりたくないな」という声は、それ以前からひそかにある。でもそれが「文化」として一つのまとまった形を取ってしまったのは、クールジャパンが最初でしょう。

確かに「若いって素晴らしい」のだけれども、もう少し「年寄りって素晴らしい」も戦略的にコマーシャルしていかないと、超高齢化社会が大変なことになってしまいそうです。

高度成長を達成しちゃった後の日本は、人の基本単位を「若い」に変えちゃったから、この先は自分の「若さ」を捨てられなくて、「老人だ」を認められない人が激増するような気もします。

「老人というのはどうやって生きるものか?」を考えながら手探りで進むしかなくて、誰もが「自分の老い」に関してはアマチュアだというのは、そういうことなんだろうと思います。

年寄りになった私は、こう思うんですよ。

むしろ、自分は「老人だ」と潔く認めて、「どうやって生きるものか?」を考えながら進む方が、幸せになれるんじゃないかって!

・・・

さて、「いつまでも若いと思うなよ」を読んで強く感じたことを、ざっくりとまとめてみます。

1、人生時間の進み具合を「若さの残量」で計っちゃダメだと思う。

2、「老人というのはどうやって生きるものか?」を考えながら手探りで進むしかない。


フランス人は「老い」を愛する 賀来弓月(著)

ここからは、賀来弓月さんの著書を参考に考えてみます。

なぜフランス人は老後を楽しみにし、日本人は老後に不安を覚えるのか。
10年にわたってフランスのカトリック修道会で介護ボランティアをした元外交官の著者が教えてくれます。

著者について
1939年愛知県に生まれる。1960年外交官上級試験合格、1961年名古屋大学法学部卒、外務省入省、英オックスフォード大学大学院留学(外務省在外上級研修員)。(中略)海外は、英国、スイス、ブラジル(2回)、米国(2回)、デンマーク、タンザニア、イタリア、カナダ、インド(2回)などに勤務。

賀来弓月さんは、外交官時代の週末にインドの老人ホームで約2年間、また、退職後もフランスの老人ホームで10年間にわたって毎年2ヶ月以上のボランティアをされ、多くの高齢者の臨終にも立ち会ってこられました。

ところが、76歳の時にがんと診断され、「死ぬ前にフランスでの経験を書き遺しておきたい」という思いで、この本を書かれたそうです。

フランスには老いを「人生の実りと収穫の秋」と考える文化があるからでしょう。フランスでは年を重ねても(あるいは年を重ねたからこそ)生き生きと毎日を過ごしている多くの高齢者たちに出会いました。一般的に、フランス人は定年退職や引退を楽しみにして生きています。そして、30代、40代という若い時代、あるいは遅くても50代の初めから、その準備にとりかかります。そのことについても日本との違いを感じました。

「定年退職や引退を楽しみにして生きています」という部分は、私にも、ちょっと理解できます。だって、もう仕事しなくていいんですから。

・・・でも、そんな考え方は間違っているんですよね。引退した後、やることがなくて、家に閉じこもってテレビばかりを見ていたり、コミュニケーションもとらずにゴロゴロしていたりしたら、絶対に良くないです。

では、フランスの人たちは、どんなことを楽しみにしているのでしょうか。

日本で一般的にイメージされている通り、フランス人には、おしゃれや美食や性愛を、生きるときの大きな喜びと考える国民性があります。そうした楽しみをフランス人は80歳になっても90歳になっても断念しようとはしません。フランスの高齢者たちは人生の最後まで生きることを楽しもうとします。

「おしゃれ」で、ちょっと思い出したのですが・・・

最近、妻は、私が会社に行くとき、なるべくオシャレをするように勧めてくれます。それだけでも、気分が上向くからと。 それで、今までよりもオシャレな服を着るように心がけてみると、本当にテンションが上がるんですね。

ちょっとしたことでも、年寄りは変わることができる。そんな予感がします。

では具体的に、若いうちからいったいどんな準備をしたらいいのかについては、こんな感じのことが書いてありました。

① 貯蓄:楽しみを削るのではなく、無駄な出費を省く。

② 健康:現役時代から心身を鍛えるように意識的な努力をする。

③ 趣味・活動:現役時代から、できるだけ多くの趣味を持ち、多くの活動に参加する。高齢になったら、その中から適切なものをチョイスする。

④ 家族・友人:家族や日常生活の社交活動で得た友人たちを大事にする。

⑤ 感受性 :日常生活の「当たり前のことがら」「小さなこと」の中に生きる喜びを見いだせる感受性を養う。

コロナ禍で、出かけるのを我慢する日々が続いていましたが、先日、久しぶりに家族で本屋や雑貨屋に行ってきました。以前だったら、全然特別ではなかったことが、すごく楽しかったんです。

『日常生活の「当たり前のことがら」「小さなこと」の中に生きる喜びを見いだせる感受性を養う』って、とても大切だし、実現可能なことでもあると思いました。

フランス人の考え方が間違っていないことは、次の言葉が証明しているような気がします。

実際に10 年にわたってフランスの老人ホームで働いている間に、私は、「もう死にたい」とつぶやく高齢者に出会ったことは一度もありませんでした。


「あとがき」みたいなやつ

日本よりもフランスの方がすべて良いなどと言うつもりは、さらさらありませんが、年寄りになっても生きることを楽しもうとする姿勢には、見習うべきものがあります。

さらには、こんなことも書いてありました。

フランス人は「老い」を愛する 賀来弓月(著)

笑いは、人間同士が楽しくつながる最大の武器。フランスの高齢者たちは、そのことをよく心得ていて、心から笑えるジョークを交換し合います。特にフランスの高齢者は誰もが心から笑える無邪気なジョークは仲間への最大のもてなしだと考えているのです。

ユーモアやジョークは、本当に大切です。

フランス人は「老い」を愛する 賀来弓月(著)

ある年、日本に帰る当日に、私は毎日世話をしていたがんを患った84歳の男性のところに挨拶にいき、「これから日本に帰ります。どうぞお元気で」と伝えました。すると、彼は「来年いらっしゃる時には、私はもうこの世にはいないでしょう。感謝の抱擁をさせてください」と穏やかにいいました。そして、抱擁の後、彼は目を潤ませながらも、親指を上に向けたり下に向けたりしながら「では、上(天国の意)でお会いしましょう。あるいは、下(地獄の意)になるかもしれませんが」と冗談をいうのを忘れませんでした。(中略)

「人生は美しい」( La vie est belle)。心の持ち方次第で、人は誰もがその美しさを最期まで紡ぎだすことができる。そのことを私に教えたのはフランスの高齢者たちでした。

悲しいけど、ステキな話です。

私も、死ぬ間際には、親指を上に向けたり下に向けたりしながら「実は我が家の床下には、武田信玄の埋蔵金が隠してある。 あれ、天井裏だったかな? 決して無駄遣いしないように」などと、家族にジョークを飛ばしてから旅立ちたいと思います。

「人生は美しい」

「心の持ち方次第で、人は誰もがその美しさを最期まで紡ぎだすことができる」

そう思えるように生きていきたいものです。

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