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綱川哲郎|瞑想と対話
2022年3月23日 08:55
マタイの福音書の山上の教説では、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と教えられる。これは、一般的な直感に反するように感じるかもしれないが、良心に従うということだ。この意味について考えてみたい。まずその部分を引用する。「目には目を、歯には歯を」とは、ハンムラビ法典の刑法の原則だ。この意味からまず考えていこう。これは、近代刑法でも有効な原則である。これが示す
2022年3月22日 09:04
信仰とはなにか?信じることだろうか?世間の人々はそのように言うかもしれない。イエスの生きた時代、ユダヤ人はユダヤ教徒であった。アブラハムの神を信じ、戒律もある程度は守っていたことだろう。しかし、彼らに対して、イエスは信仰がないと言う。また律法学者などに対しては、偽善者とまで言う。つまり、イエスの言う信仰は、信じることではないのだ。ところで、この信仰という翻訳は誤解を生むと、宗教学者
2022年3月20日 09:01
「不殺生(アヒンサー)の誓い」と、「最強を求める戦士」は一見相反しているように見えるが、同じ原理が働いている。その原理とはなにか?僧侶は、不殺生(アヒンサー)の誓いを立てる。「生き物を殺さない。他の生命を傷つけない」と。これは戒めとして、ただ守るべきルールではない。その本質はなにか?それは、虫一匹殺すことができないほど、「無力になりきる」ということだと考えられる。僧侶(出家者)