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ぞうきんのにおいの友人 〜とけいさん その2〜 #006

以前の職場で隣の席だった時、同僚のとけいさん(精神保健福祉士)は、机に両肘をつき、両手を口元に当てながら、深刻な顔をして何やら考え込んでいた。時刻は夕方で、そろそろ退勤の時間だから帰ろう、と声をかけた私の方を向いて、彼女は言った。

「わたし、…手から、ぞうきんのにおいがする」

とけいさんは真剣な表情で手のにおいを嗅いでいたのだった。手を差し出されたので、嫌々確認してみると、たしかに雑巾のような、濡れた床のような、灰色な感じのにおいがした。近くの流し台にあったぞうきんのにおいと比べてみたが、とけいさんの手の方が「ぞうきんっぽさ」が上ですらあった。特に日中ぞうきんに触れたりはしていないらしい。とんでもないことになっている。

「ってことは、このにおいは私の中からだ!」

なぜか嬉しそうに、とけいさんは言ったのだった。

ところで、とけいさんの机はいつもすごい状態だ。書類を積み重ねた大きな山が三つあってスペースはほぼ無い。書類の奥にあるパソコンのディスプレイの縁にはライオンのたてがみのように、カラフルな大きめの付箋メモがたくさん貼ってあり、それどころかディスプレイ自体にまで浸食しているため、画面の中央しか見えなくなっている。帰ろう、と再び声をかけた私に、とけいさんは言った。

「わたし、何したらいいんだろう?あと何が残っているかわからない!」

帰っていいのかな?と書類の山を見ながら、とけいさんは呟いた。手のにおいを嗅いでる場合ではないのではないか。と思いつつも、残っている仕事を整理しようと、画面に貼ったメモを一緒に見ていくと、「〇〇に電話した!」という、終わったことを元気に宣言している謎のメモ(電話した後に、わざわざ書いて貼ったということだ)や、「タナカ 14 あせも」というまったくなんだかわからないメモなどがあった。「これ、どういう意味だろう?」ととけいさんは眉間にしわを寄せている。私が知りたい。

結局整理しきれずに諦めて帰路についたのだが、なぜか歩きながらカップラーメンを食べることになり、熱いスープを手にこぼしつつも食べたのはよい思い出だ。

(追記)
「わかります。私もぞうきんのにおいがしたことがあります」とエッセイを読んだある知人が言った。こんなにも手がぞうきんのにおいがしたことのある人がいるのか、と少しくらくらする。

(追記2)
これを読んだとけいさんは「書類の山、懐かしい!机が汚すぎて、上司にイエローカード貼られてた!三枚貯まったら焼肉をおごる約束だった」と言っていたが、約束をおごったという話は聞いていない。イエローカード(「片付けましょうね!」と書いてある黄色い付箋)も、メモの山に紛れてどこかに行ってしまったのだろう。

2023年9月24日執筆、2023年10月4日投稿


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