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学校で培ってきた〈上に向かって頑張る〉で何度も躓いていた自分の人生と皆に伝えたいこと🍀


皆さん、こんにちは。こんばんは。
本日も記事をお読みになってくれている方も
初めましての方も心より感謝申し上げます。

さて、本日は…
私の個人的なお話になってしまいますが
近況報告を交えながら
「学校では教えてくれなかったコト」
「学校で教わってきたコト」
それが社会に出てから影響してきたこと

についてお話したいと思います。

現在、私は気分変調の病気を治療しながら
皆の拠り所になれば良いと思い
NOTEを更新しています。

そんな私ですが、
現在は絶賛うつ期に入り
どうしても孤独の時間が辛くて
そんな時はノートでもう1人の自分と対話する
ことで気を紛らわしています。 
自分で自分をカウンセリングする的な
そんな感じに近いです。

さて、本題に入りますが
どこから話しましょうか。

では、最近のことから。
友達が次々と結婚報告をしてくれまして💍
(本当におめでとう㊗︎)

25歳ですから、適齢期ですよ。
もちろん、心から祝福しております。
本当にめでたいことで、微笑ましいです。
いつまでも幸せでいてほしいと思います。

自分も幼少期からずっと
こんな人間ではありませんでした。

自分も幼少期の頃は
今くらいの年齢になったら
結婚して、1人暮らしをして、子供もいて
と、そんな可愛い夢も見ていたんです。

こんな大人になってごめんね
と最近は心のどこかで謝っています。

私だって、
頑張って必死で生きているのに
何故だか、いつも上手くいかない。
負のループにハマっているようだ。

友達は先を行っていて、
弟でさえも先を進んでいる
ように見えるのですよ。

(うつ期だからかもしれません)

高校生の頃までは
「努力」が出来る子でした。
成績を上げる為に。100点を目指す。
良い学校に行くために。
勉強を頑張ってきました。

数値で結果も現れるので
自分自身も努力が続けられました。
それだけが自分の自信でした。

私は、いつからか
「頑張る」
ことって
「上を目指す」
ことだと思っていたんです。
そう学校で教わったから。

だから、社会人やバイトもそうですね。

初めてのバイトは塾講師でしたので
「生徒の成績を上げる」
のが仕事でした
から、2年半勤められました。

自分の頑張り方と仕事が
偶然にも適していたのだと思います。

ただ、少しずつ狂い始めていき
頑張っているのに、気持ちはあるのに
長続きしないことが増えました。

そして、ミスや失敗を極端に恐れるんです。
(現在進行形です)

私はそんな不安を抱えたまま
「社会人」になってしまいました。

私は重大なことに
けれど、とてもシンプルなことに
気が付けていませんでした。

人生は上に登り続けるのではなく
前に進み続けることなんだ。

テストや成績を上げるのとは違うんだ。
ということに気がつくまでに
25歳の今までかかってしまいました。

こんなこと学校じゃ
教えてくれませんもんね。

ですので、同じく苦しんでいる方にも
そうでない方にも是非届いて欲しいです。

まずは、結論から示しますね。
自分の描いたメモの1部を貼っておきます。
お絵描きしたら気付いたんですよ⛰

私のノートの一部

私は人生をどこか
「山」と捉えていました。

私は登山していたんです。
頂上を目指して。

ある高さを越えた時に
躁状態といものがやってくるんですね。

眺めもいいし、気分も良くなりますから。
それと同時に失敗も許されなくなります。
だから異常に頑張ったりします。
そういう自覚はないんですが(笑)

同期にも先輩にも
「いつもデスクに座って仕事してるね」
と真面目だとか何とか褒められたりして
働くってそういうもんじゃないの?
と思ったりしていました。

そして、ずっと120%で
頑張り続けられる訳もなく
足場の悪い山ですから
何かをきっかけに転落してしまうんです。

「折角、登ったのにまた1からかよぉ…」
とうつ期に入るんです。


なんとなく分かってきました。
分かっているのに辛い…
分かっているからこそ辛い…
という謎の現象はありますが。

仕事という山。
恋愛という山。
人間関係という山。
人生には色んな山がある。
という認識でした。

学校という山は
制覇してきたわけですが
どうも会社?という山を
一度も満足して制覇出来ませんでした。

仕事や人間関係の山には
明確な果てはなく登り続けるしかない。
なのに私は登ってたんですよね。
(あんた頑張ってたんやな~)

そんなの疲れますよね。
誰だって疲れますよ。
私と同じ人いますか?
皆、お疲れ様🍵


だから…でしょうね。
自ら恋愛は諦めたんですよ。
人間関係も親友だけで良いので
新たな山に登るのは辞めたんです。

でも仕事という山だけは
登らなければいけなくて

もちろん、生活出来ませんから。
仕事という山に登らないことは
生きるという人生の山からの離脱

意味してしまいます。

生きるために登るか
諦めて死ぬのか
究極の選択だと思いました。

私は疑問でした。
なんで勝手に生まれてきて
仕事というものを
ずっと頑張らなくてはいけないのか

と生まれてきたことを
切実に悔やんだりしました。

生きていたいけど
なんでこんなにしんどいんだ~
とヤケクソになっていました。

そこで冷静な自分でいれる間に
上記のメモを描きながら
「ハッ」と気付いたんです。

一旦、先の友達の結婚報告まで
遡りましょうか。
私は、友達が先に進んでいる
という表現をしました。
ですが、決して友達は
山の上にいるのではなくて
前にいるんですよ。

不思議ですね…
友達は前にいて、私はまだここにいる。
同じ年月過ごしてきているのに
なんかすっごい差が開いている。

だって友達は山登りなんか
してないんだもの🙂⛰

私自身、
ここでようやく気付きました。
理系出身なのに、
なぜ気が付かなかったのか。

点と点を最短で結ぶには
曲線ではなくて
直線なんですよね。

うつの時期が酷過ぎるから
なぜって、転落するからです。
だから考えて考えたんです。
これはもう山を低めに設定するしか…

ん?平坦にした方が疲れなくない?
そもそも平らにしたら、落ちなくない?
これは盲点だった!
と納得出来ました。

平坦な道でも転ぶことはあっても
擦り傷とか、酷くても骨折くらいかな。

平坦なので、登山よりも
断然体力も余裕があるでしょう。

一旦、立ち止まることも出来ます。
分かれ道で迷う時はね
ゆっくり考えれば良いんです。

それが今まで出来ていなかったから
こんなに波瀾万丈なんです、私。
初めて知りました(笑)

でも私や同じように
認知の歪みがあって苦しんでいる人
同じ病気で苦しんでいる人
の場合だとこんな感じです。

頑張って頑張って登山するんです。
そして、人より体力使ってるんです。
なんなら不器用に人より頑張ったんです。


でも、人生に
テストみたいに評価や成績審査が
定期的にあるわけでもないので
モチベーションが急に無くなったり
逆にがむしゃらに上を目指します。

この山の怖いところは
立ち止まれないこと
なんです。
立ち止まると急降下するので
一旦、休憩なんて出来なくて
だから、不器用に頑張っているんです。

そして、転落したら全治3ヶ月とか
結構なダメージをくらって

「もう登山したくない」
となっても尚、また頑張ろう
と登山するわけですね。

思えば社会人の人生
その繰り返しでした。
25歳で気付けて良かったのか
もっと早く気付くべきだったのか。
今となっては分かりませんが😌

過去の自分に言ってやりたいです。
上じゃなく、前に進めば良いと。


いや、親や先生は言ってくれていました。
「60点ぐらいで生きていいんだよ」と。

でも、なかなか腑に落ちなくて
ゴールが60点の山登りかぁ…
60点なんて目指したことないよ…
それって優等生じゃないじゃん。
とか思ってたんですけど。

登山じゃなくて
ウォーキングにしてみたら?
ということだったんですね。


今の自分は
それに気付けているけども
25年間もその方法で頑張ってきたので
果たして、平坦な道を急に歩き続けられるか
と思うと自信はありません。
きっと登山したくなるんだと思います。

私は元教育関係で勤めていたので
「自分で気付く」ことが大事で
それが「問題解決」に繋がることと
「出来た!」という感覚になり
自信になることを知っています。


だから、親や先生が言った言葉の意味が
今ようやく理解できるようになりました。
そして、納得できたからこそ
行動に少しづつ、動け出せそうです。

ここで少し
子育てで悩んでいるママさんに
エールを送るとすれば

「答えを教えるような躾」
「〜しなさい」
なぜなら、これが正しいから
これがあなたの為だから
(母の愛に乾杯)
でもこれでは、
分かったフリをして
全然分かっていなくて

同じことで、また怒っている…
となると思うんですよね。

私もそうでしたから。
とりあえず、
怒らせてしまったから謝る。
その場を凌ぐ。
親の言うのが正解で
それ以外は間違いなんだ。
と思っていました。

でも、ちゃんと分かってないから
怒られてはまた謝る。
の繰り返しですね(笑)
25歳の今も尚。

大切なのは
これをしたら怒られる
これは悪いことなんだ
と認識させるのではなくて。

またこの子がこんなことをした。
叱るのも疲れるのに…
なんで分からないんだろう
という認識するのではなくて。


これをしたら相手がどう思う?
なんでそう思うんだろうか?
相手はなんでそうするんだろう?
相手の立場に立って考えさせてみる。

そこで互いの「普通」に
認識のずれがあった時は
正そうとするのではなく受け止める。

でも、こう感じる人もいるんだよ
ということが互いに分かれば良い。

というのが持論です。

これはお互いにですから
ママさんも子供の立場に立って
考えなければなりません。


なんでこんなことをするのか
考えてみるんです。

親子だけれど
大人も子供も同じく人間ですから
対等に接しなければなりませんよ。


それが、本当の人間関係の構築
の教育だと思っています。

少しのエールのつもりが長々と。
でも、ここの釈で伝えたかったのは
「自分で気付くこと」の重要性と
「対等な親子関係の構築」は
生涯生きていく上でその子の財産になる。
同じく障害にもなるということです。

それくらい大切だということです。

母親に相談出来ない娘の辛さは
私が一番感じています。

もし相談出来る関係値であれば、
孤独を感じずに済むのに。
「死」なんて恐怖に怯えていても
抱きしめてくれる温もりがあれば
少し心が穏やかになるのに。

すぐ近くにいるのに
怒られそうでまた平気を装う
なんて悲しいでしょ?

なんて暗い話はここまでにして
私のようにはなってほしくないので
お話ししました!(笑)

だからこそ、私は出来れば
私みたいな大人は増やしたくないし
もし私と同じような人がいれば
そんな人たちの拠り所になりたい❤️‍🩹

1人じゃないよって
孤独を1人で抱えないで
って言ってあげたいし
そんなぬくもりある場所を
作りたいんです。

ちゃんと諦めてないから
待っていて下さいね😌

私も生きるから
皆も生きるんだよ。
歩いて歩いて、たまに休んで
そんな感じで良いんだよ🚶🏻‍♀️


▶︎簡潔プロフィール
親族コミュニティ運営担当  芙優(ふゆう)
「おとなの保健室」保健委員長
1998年4月16日生 / A型 / 神奈川県在住

【活動団体の理念】
人と人の繋がりで生まれる
幸せと幸せを与える幸せを築いていく💞

◎親族コミュニティ活性化事業
親族との縁や繋がりを大切にしながら、それぞれが日常的に、助け合いや支え合いが出来るコミュニティへの活性化を促す。
⭐️期待される効果⭐️
→高齢者の孤立化や緊急時の対処の簡易化
→家族の枠組みを超えた繋がりによって、相談できる人を身近に作ることが期待される。

◎おとなの保健室を作ろうプロジェクト
トイレで体の要らないものを排泄物として出して、スッキリするように、「保健室」で心の毒を出してスッキリしよう。大人でいることを休める場所。人のぬくもりに守られる居場所作り。
⭐️期待される効果⭐️
→社会人として働ける心身の健康を守り続けることで、企業としても個人としても生産性を維持する。または上げていく。
→金銭を気にして病院に行けない、行けなくなったなどの理由で孤立したり自死する人の防止。
→「〜しなきゃいけない」「〜してはいけない」公的な場では抑えている欲などを抱え込ませずにケアすることで性犯罪などの防止に繋げる。

代表の連絡先💌
tsunagu.4you@gmail.com

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