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第2章最終話:偏見と差別と親権譲渡の真実

離婚と私。ときどきタロジロ

愛息子タロジロの「なんで?」回答ラブレターです。 
 
素直な心で人と接すれば、タロジロの人生はきっと温かい空気に包まれるよ。
 
親に会えない子どもや子どもに会えない親は、親の愛は深く、子はたくましいと忘れないで。

たとえ人生を否定されても大丈夫。諦めさえしなければ、何度でもやり直せるんだから。

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恒例のじゃんけんと高速バイバイをするハメコミマド。 

家族の帰りをキッチンから眺めたいお母ちゃんが、玄関角の足元にどーしても付けたかったんだ。

2021年4月27日。
ハメコミマドからお母ちゃんの車に気づくカギッコジロウ。 
 
この4年ですっかり逆転しちゃったな。 
 
大慌てで玄関を飛び出したジロウは、そのままお母ちゃんにダイブする。

「会えなくなってごめんやで」
34kgをなんとか受け止め、頬を摺り寄せ緊張するお母ちゃん。
 
「今日火曜日やったっけ?」
両腕をお母ちゃんの首に絡ませトボケル8歳ジロウ。 
 
テラテラお日様がふたりを包み込む夕刻。お母ちゃんの視界がにじんでなんだかキラキラする。 
 
こぼれ落ちそうな涙のせいじゃない。
ジロウの優しい心がキラキラ眩しいんだ。
 
親権は子どもたちを支配できる権利じゃない。  
 
あえて時代錯誤の表現をしてやる。
命を懸けてタロジロを産んだのは私だ。 
だけどタロジロは大人の所有物ではない

尊いひとりの「人」なんだ。

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2020年家庭裁判所。
「まどかさんはどうしたいのですか?」

審判と調停を経て、裁判にまで発展した離婚話の法廷で、裁判官が期日のたびに私に尋ねる。 
 
どれだけ確認とられようが私の意見は1ミリも変わらない。
 
「タロジロの自由が希望です。他に何もいりません」 
 
裁判官もお父ちゃんの代理人弁護士も困り果てる。 
 
「請求できるものはきちんと請求した方がいいですよ」
 
ミカネタ裁判官が私に忠告するほどだ。 
 
しかし。
私は裁判官の声になどピクリともなびかない。
 
当たり前だ。
裁判官がこぼした言葉に私は絶望したんだから。
 
「一緒に暮らさない親は子どもと月の半分も会えませんよ。裁判所は親子がそんなにたくさん会えるようにしません」
 
週替わりなどで月に半々くらいの交代監護を、私が具体例に挙げた際の裁判官の回答だ。 
 
言い換えれば驚愕する。
『離婚した家庭の子は月の半分も親と会えるはずがない。裁判所が会えないと認めている』だ。 
 
口にしたのは最終裁判期日で私に語り掛けたアノ裁判官だ。  

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論点を絞り切った私に裁判官は肩入れを始めた。
相手方の弁護士までもだ。
 
当然だ。その方が早く仕事を片付けられる。 
子どもの幸せなんて二の次ならイイホウだ。
 
社会では大人の都合が常に優先なんだから。
 
私は苛立ちを抑え込み、粛々とタロジロの生きる自由を大人たちに訴え続けた。 
 
思い返せば、離婚裁判の裁判官だけではない。 
 
弁護士にも、
警察にも、
市役所にも、
学校や園の先生にも、
知人友人にも、
タロジロの家族にも、
私の家族にも伝えた。 
 
だけど。その多くが切ない家族観と正義をまとっていたんだ。 
 
幼いころから私が社会に溶け込めず、結婚生活もうまくいかない理由がようやく理解できた。 
 
私の心に映る偏見と差別に満ち溢れた社会は「普通」の世界だった。 
 
おかしいのは私の方だったんだ。
 
気づくのが遅すぎた。ヘラヘラと取り繕って生きてきた返報だろう。神様がまた私に罰を与えたんだ。 
 
おかしな差異を他者と埋める時間は私にはもうなかった。 

タロジロの成長は待ってくれないんだ。

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婚姻費用や慰謝料や財産分与などなど。
金まわりを欠かせないのも離婚話だろう。
 
離婚するなら金銭財産ガッツリせしめたい。そして抱えた我が子は私のモノ。嫌いな奴に愛する我が子を会わせるもんか。 
 
私をそんな親と一緒にするな。 
一般的なモノサシで個人を計るな。 
 
私がタロジロに会いたいのはどうでもいいんだ。私がタロジロと一緒に暮らしたいのは関係ない。 
 
つまらんことを尋ねてくるな。
ミクビルナヨ。 

どれほどセルフィッシュな親ばかりが、裁判所に足を運ぶのか容易に想像できた。 
 
だから毎日400人もの子どもたちが親と生き別れてしまうんだ。
 
私の望みはタロジロの生きる自由だ。 
 
偏見と差別が渦巻く世界で、勘違いされそうな要因をすべて私は放棄した。 

婚姻費用も、
慰謝料も、
財産分与も、
今後のあらゆる金銭的請求も、 
 
そして親権も。 
 
世のシングルマザーの真逆だろう。
だから私は頭がおかしいんだ。 
でもこれしか思いつかなかった。
 
愛するタロジロをなんとしてでも守りたい。十月十日お腹に宿したみたいに守ってやれないんだ。 
 
ナリフリ カマッテナンカ イラレルカ。

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裁判官の離婚裁判最終期日の言葉がけは予想がついた。ああでも言わないと被告の私に収まりがつかない。 
 
だって、書面には「タロジロを被告(私)と自由に会わせる」なんて書いてくれないんだから。 
 
好き勝手な解釈に使える、抽象的な「子の福祉」をテイヨク文言に掲げるのみだ。 
 
つまり、「(親権者が非親権者に)会わせるのが不安で子どもに支障をきたすから会わせたくない」も子の福祉として機能するんだ。 
 
訳すと「親の自分が嫌だから会わせたくない」だ。
 
実際、離婚調停では調停委員から、私は注意されている。「お母さんから、(自由に)会えないことをお子さんに諭してあげてください」 
 
ネグレクトだ。

もちろん逆に注意して、全期日を使い調停委員に親子と夫婦の関係性の違いを理解させた。

結果、調停委員の女性が私に提案する。「お母さんの考えの方がお子さんが幸せだと思います。親権を求める申立てをされたらどうですか?」

私は親子のあり方を話してて、親権の話はしていない。

調停委員は何のためにいる?裁判所は何のためにある?夫婦間の調整を『子どもの最善の利益』のためになんでしない? 

これ以上タロジロのような子どもが増えるのはイヤダ。

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離婚すると日本の子どもたちは100%片親を失う。親子のかかわりは子を抱える単独親権者に委ねられる。
 
裁判所に通い4年目になる離婚裁判では、裁判所にはもう期待なんてしていなかった。 
 
お父ちゃんに伝えてほしかった真理を裁判官が言葉にしただけで、私は充分でモウイイやと白旗を振ったんだ。 
 
親権のない母親は大きな欠陥品扱いされる。一方でひとりで子育てする父親は称えられる。 
 
「家事育児=女性」と社会はまだまだ認識しているからだ。

普通の人から欠陥品扱いされようが私は振った白旗を誇れる。 
 
血眼になって私がタロジロを陰で支える表面で、社会から父親が称えられようとかまわない。 
 
私はタロジロが幸せなら心がポカポカするんだ。 
 
真似できるならしてみろ。 

ん?
キチガイの真似なんか誰もしたくないか。 
 
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「タローー!!」
下校中のタロウの友人の声がのどかな田園風景に響き渡る。 
 
カタカタと言霊を打つ指を止め、猛瞬発力で2階の窓から外を覗くお母ちゃん。 
 
下り坂をピューッと通り過ぎるタロウの背中。 
リュックが自転車に乗ってるようでイトオシイ。 
 
今日もお互い生きてたね。
ジロウも生きて元気かな。 
 
会えない日が続いても心を強くもて。 
理解に苦しむ言動に屈するな。
そこにいるなら自分で自分の身を守れ。 
 
お母ちゃんは毎日タロジロを想っています。
2017年12月8日から今までずっとです。 
 
お母ちゃんには一切嘘をつくな。
優しい嘘もいらん。
 
タロジロ大丈夫やで。
ミクビルナヨ。
 
すべてを愛してあげるから。 
 
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ーー第3章につづくーーはず
Facebook編2021.04.29記
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タロジロ
生まれてきてくれて
ありがとう
今回もたくさんの方にご来聴いただき
興味関心の深さを想像しています


「つむぎまどか」はこんな人


親子の愛が廻る未来を子どもたちに贈りたい
「単独親権制から共同親権制へ」


タロジロ誕生から離れ離れになるまで
約10年間の子育てエッセイ


タロジロがいつか読んでくれるといいな。


きっと大丈夫。
あなたもがんばって。

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