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旅のできない世界で固い桃をかじる

山梨の固い桃

「美味しい桃」と聞くと、皆さんはどんなイメージが浮かぶだろう。
おそらく、甘さたっぷりの柔らかくみずみずしい桃を想像するんじゃないだろうか。じゅうぶんに熟したとろける桃には、あらがいがたい魔力がある。

桃はふんわりと甘い香りが漂いはじめると食べどきで、2時間ほど冷蔵庫で冷やせばそれはもう絶品。歯に力をいれずとも、もろく崩れる柔らかな果肉からは、あふれんばかりの果汁と優しい甘みが口いっぱいにひろがる。ほどよく品のある味わいは、暑い夏の火照った体にじっくりと染み入り、深く、長く、涼やかな余韻を残す。ひと切れずつお皿に切り分けてじっくり味わうもよし、流し台の上で心おきなくかじりつくもよし。1玉の桃さえあれば、夏の暑さをひと時忘れて、とろける時間を満喫することができる。  

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そんな柔らかい桃の美味しさは周知の通りだと思うが、こんな話を聞いたことがある人はどれくらいいるだろうか。

「山梨県民は固い桃を好んで食べる」

地方のめずらしい習性として、最近はテレビ番組やSNSなどで話題になったこともあるらしい。実際に山梨で暮らしていると、かなりの確率で固い桃と顔をあわせる。農家さんのお宅に伺った時にふるまわれる大皿の桃も、行きつけの定食屋で夏の間でてくるデザートの桃も、しっかりした食感のある固い桃がほとんどだ。もちろん食の好みなので個人差はあるだろうが、他の地域と比べると、山梨では固い桃を食べる傾向にあるのは間違いない。

いろんな人になぜ固い桃を食べるのか尋ねてみたら、出荷されなかった未熟な桃が出回っていたり、枝で完熟させたもぎたての新鮮な桃を食べられるという産地ならではの理由があるらしい。ただ、それ以上に「好きだから食べる」という答えが圧倒的に多いのがおもしろい。

そもそも、桃は品種によって完熟した時の固さが違う。いわゆる「柔らかい桃」は追熟の過程で柔らかくなるのに対して、固い桃は完熟してもほぼ固いままだ。山梨では、7月のあいだは柔らかめの桃が、8月から9月の上旬にかけては固めの桃が市場に出回ることになる。多くの人が好んで食べている柔らかい桃は、比較的はやい時期に収穫される桃なのだ。

先日農家さんのお宅に伺った時にだしていただいたのは、やっぱり固い桃。

「桃は固いのがうめぇんだよ。おれたち(の世代)だけじゃなくて、うちの孫もやわらかい桃はいっさい食べねえんだよなぁ。」

山梨の生まれではない僕を諭すように、農家さんは自慢げにそういった。
柔らかい桃には見向きもしないとはなんと贅沢なことか。しかも、まだ幼い子供の段階で。。当たり前に食べている桃が固いと、彼は大人になってからも柔らかい桃にはあまり手をつけないのだろうか。しかし、ひとたび県外に出ると、柔らかい桃派が大多数を占める世界が広がっている。それは焼き鳥のタレ派/塩派のような勢力が拮抗している対立ではない。おそらく今後多くの場面で、彼はマイノリティの立場から固い桃の魅力を何度も力説することになるのだろう。(そこまでのこだわりがあるかどうかは、知らんけど)
それほどまでに、柔らかい桃と固い桃は異なる食べ物のようだ。山梨に息づく小さな文化の一端を垣間みた気がした。

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食べることと記憶すること

よそ者にとって、文化の異なる世界を行き来するのは楽しい。日常から一歩外に出ることで、私たちは自分や他者をとりまく文化の有り様を捉えなおすことができる。そのための重要な役割を担っていたのが旅だった。見たことのない景色を眺め、味わったことのない土地の食べものを楽しむ。旅の中で経験する偶然の出会いによって、自分の世界がほんのちょっとだけ広がるのが旅の醍醐味だ。
しかし、最近は新型コロナウイルスの影響で移動には細心の注意が求められるようになり、行ってみたい町や帰りたい故郷と私たちの心理的距離はこれまでより大きくひらいてしまっている。柔らかい桃好きが、「固い桃」というイレギュラーとぶつかる機会が大幅に減ってしまっているのだ。

それでも山梨の日常には、固い桃が当たり前の味わいとしてずっと存在している。固い桃を食べて育つ子供たちは、いつか大人になってからも、その歯応えを通して山梨で過ごした景色を思い出すのだろう。
これまでを生きてきたおじいちゃんおばあちゃんと、これからを生きていく若者とでは常識も価値観もまるっきり違う。けれど、みな同じように固い桃を食べることで、その土地で暮らした時間を頭と身体に刻み込んでいくのだ。食べることと記憶は密接につながっている。

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実をいうと、僕はとろとろした柔らかい果物よりも、しっかり歯応えのある果物の方が好きな人間である。どろっとしたマンゴーよりも、シャキシャキとした歯応えのあるリンゴの方がいい。
そんなわけで、とろけるような柔らかい桃も美味しいのだけれど、叶うならば歯をつかって固い桃をしっかり味わいたいと思っている。そちらの方がなんというか、妙に体が楽しいのだ。遅い時期に収穫される品種の桃はどんどんと固くなっていくので、夏の終わりはシャキシャキと口内から響くリズムをずっと楽しむことができる。

僕は固い桃のおかげで、これまで以上に桃を好きになった。そして、そんな出会いのきっかけをくれた山梨という町をとても気に入っている。これからはいつどこにいても、固い桃をひと口かじれば、山梨のことを考えてしまうだろう。そんな風に、この土地を記憶する人を1人でも増やしていくような仕事ができればいいなと思っている。旅が困難な世界でも、人と土地の新しい関係をとり結ぶ方法はきっとあるはずだ。

たとえばそれは、やわらかい桃好きに固い桃をかじらせるように。
僕たちが山梨でやりたいのは、そういう仕事だ。

お盆が明けて、桃の出荷もいよいよ終盤にさしかかる。
夏の終わりまで固い桃を楽しみたい。

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