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『遅いインターネット』 宇野常寛

 


 過去、宇野常寛は、サブカルチャーを通じて社会を語ってきた。彼の代表作『ゼロ年代の想像力』や『リトル・ピープルの時代』はもちろん、全ての作品がそうである。
 しかし、今回は違う。編集の箕輪厚介がサブカルチャーで社会を語ることを禁止したのだ。

 さて、宇野はどのようにして新しい言葉で語るのか。著者を追い続けている僕にとっては非常に興味深い一冊である。

 
 宇野常寛が語る、「セカイ」ではない「世界」。世界に対する距離感と侵入角度を手に入れるために。


 かなり情報量の多い要約なので、本書を未読の方は、『2.解説』から読んで頂いた方が良いかもしれません。


1.要約



 冷戦以後、グローバルな経済が浸透していき、国境をを超えたグローバルな市場で活躍する、つまり「境界のない世界」で生きる人が生まれた。
 一方で、グローバルな経済の変化に対応できずに、「境界のある世界」に取り残された人も多くいる。
「境界のない世界」生きる人々を「Anywhere」な人々、「境界のある世界」に生きる人々を「Somewhere」な人々と名付ける。
 イギリスのジャーナリストであるデイヴィッド・グッドハートを引用しつつ、世界の現状をこう語る。
「Anywhere」な人々は政治的な意見は持ちつつも場所に縛られて生きることがない。また、仕事で多くの可能性に満ちており、自己実現ができる。グローバルな市場に素手で触れ、情報技術を用いて『世界を変えていける』という感覚の物語を得られる。民主主義に頼らなくても様々な満足が得られる。
 一方「Somewhere」な人々は未だに国民国家というローカルな世界に生きている。グローバルな市場から弾き出され、『世界を変えていける』という物語を得られない。それゆえ、『世界を変えていける』という物語を手に入れるためには、民主主義に頼らざるを得ないという。
 それゆえ、民主主義の意思決定はもはや「Somewhere」な人々のものとなっている。
「Somewhere 」な人々にとって、ヘイトスピーチやフェイクニュースの真偽は関係ない。信じたいものを信じるのである、境界を守るため、安定した世界観を強化するために。そうして彼らは「壁を作れ」という、トランプ大統領や「線を引き直せ」というスローガンでイギリスのEU離脱のようなポピュリズムを支持した。

 そのような「Somewhere」な人をどのように変えていくか、暴走を抑えるか、ということが主題となっていく。

 そこで3つの提案がされる。
 一つ目が民主主義と立憲主義のパワーバランスを、後者にあずけること。司法の独立と強化及び国際連合をはじめとする超国家的な枠組みの権限を強化し、内部と外部からローカルな国民国家の民主主義の決定権を抑制する。
 二つ目は、情報技術を用いて新しい政治参加の回路を構築すること。


 『情報技術を用いる対象は「市民」でも「大衆」でもなく…人間本来の姿のまま政治参加を促す回路だ』
Kindle版702頁


 個人と国家の中間に、家族でも地域でもましてや戦後企業のムラ社会でもない、現代的な連帯モデルを実現する。具体的には、サブスクリプション、オンライサロン等である。
 また、上記により生まれた新しい日本人たちの団体によるロビイングや陳情を中心とした政治活動を行えるようにする。クラウドローである。インターネットによって市民が法律や条例などの公的ルールを設定に参加するサービス群。具体例として台湾の「vTaiwan」がある。

 三つ目は、肥大化された自己意識(自己幻想)からの自立。そのため、メディアによる介入で人間と情報との関係を変えていく。「よいメディア」を作る。その実践として遅いインターネット計画を行うことである。
 肥大された自己意識(自己幻想)からの自立とはなんなのか?
 それを明らかにするために、著者は今の我々が置かれた状況、『自己/他人の物語』の分析に入っていく。

 価値の中心が「モノ」から「コト」へ、具体的には物品から体験へ人々の考える価値の中心が移行としている、と著者は述べる。
 テキスト、音声、映像といった「他人の物語」を記録したモノ(本、CD)には値段がつかなくなり、フェスや握手会といった「自分の物語」の体験が、つまりコトが値上がりしている。
 具体例としては、現代の他人の物語として「アベンジャーズシリーズの一連の作品群」、自分の物語として、「ポケモンGO(ゲーミフィケーション)」挙げている。ポケモンGOの魅力は、ピカチュウやゼニガメを捕まえることでなく、歩いてポケモンを捕まえることで人間の地理と歴史への感度、世界を見る目を鍛える行為である。


 『21世紀の今日、僕たちは情報技術を「ここではない、どこか」つまり仮想現実を作り上げるためではなく「ここ」を豊かにするために、つまり拡張現実的に使用している』Kindle版1,119頁


 著者は仮想現実から拡張現実への変化だと述べている。このような分析を経て、手に入れた他人/自己の物語という軸(視座)。さらに、ここに、日常/非日常というを軸(視座)追加しようとする。



 『現代におけるテロとは敵国のメディアをハックすることを目的とした破壊行為だ。…市民の日常の生活の現場に近ければ近いほど、その破壊は大きくマスメディアに取り上げられる。…ソーシャルメディアでシェアしてしまう』1,402頁
『テロが日常性の破壊による敵国のメディアのハックだとするならばこれに対抗する手段はひとつしかない。それはテロに屈することなくいつも通り日常を過ごすことだ…非日常ではなく、日常のレベルで僕たちは強く、豊かにならないといけないのだ』1,402頁


 横軸を日常/非日常とし、縦軸を他人の物語/自己の物語とする。これを文化の第四章象限と呼ぶ。

第一象限 映画
第二象限 テレビ
第三象限 『ここが空白』
第四象限 フェス、握手会

 すると、第三象限が空白となる。ここは、日常✕自己の物語である。そこで筆者はIngress、ポケモンGOといった位置情報/拡張現実ゲームのノウハウをこの最後に残された第三象限に情報技術を用いて応用しようとする。


『スマートフォンの中のピカチュウに意識が集中するこのは、目の前の景色を遠ざけてしまう。いま必要なのは、媒介なく個人と世界とを直接つなぎ、それに素手で触れているという実感を、自分の物語を、日常の領域で成立させることなのだ』1,436頁


 さらに、この日常✕自己の物語の第三象限について昔から考えていた思想家として吉本隆明の名を挙げる。そして、情報社会論として、吉本隆明のテクストを読み直しを行う。キーワードは「自立」。共同幻想からの自立。
 吉本隆明が『共同幻想論』にて提示している概念として、自己幻想、対幻想、共同幻想がある。
 自己幻想は、自分自身に対する像であり、SNSで言えばプロフィールに該当する。
 対幻想は1対1の関係で、僕とあなたの関係を信じる幻想であり、SNS言えばメッセンジャーに該当する。。
 共同幻想は、集団が共有する見えない幻想である。マルクス主義や国民主義などイデオロギーのようなものである。SNSではタイムラインに該当する。
 吉本の時代は学生運動が、行われ、マルクス主義に傾倒した学生が多かった。吉本はこれを共同幻想と批判した。その際にイデオロギーからの自立のために対幻想を足がかりとした。


『夫婦親子的な、つまり性愛的な対幻想は、それ自体で閉じた世界に完結する性質をもつ。たとえ世界にとっては意味がないことだったとしても、私はあなたの行為や存在を承認するのだという二者関係に閉じる。この機能を用いて、共同幻想から自立するのが当時の吉本隆明が示した指針だった』Kindle版1,557頁


 しかし、結果として、「自立」はできなかった。なぜか。「自立」とは、性差別的に女性を所有することで家庭内における擬似的な「自立」ごっこに過ぎなかったこと。彼らはその家庭での「自立」ごっこを建前に社会(職場)での本音としてこれまで以上に強く共同幻想に埋没してしまった。(妻子を守るために免罪符にして会社組織における思考停止の正当化)
 つまり、丸山眞男的に言えば「無責任の体系」。日本社会特有の空気、同調圧力に支配されてしまった。トップダウンのイデオロギーからの自立がボトムアップの共同体への埋没を生んでしまったのである。
 吉本は、次は自己幻想を用いた「自立」を考える。それは消費社会である。モノの消費により、個人主義的な自由を謳歌するというものだった。
 しかし、この自立も長くはない。人々は消費に慣れてしまい、「自立」させる力をとはならなかった。
 吉本隆明の考えを受け継いだのがコピーライターの糸井重里である。彼は「ほぼ日刊イトイ新聞(インターネット通販サイト)」にて、自己幻想の強化による「自立」の実践を行っているのである。


『今日の情報社会下において「ほぼ日」は…「モノ」(消費社会)に回帰することで「コト」(情報社会)に対する「気持ちのいい侵入角度とほどよい距離感」を提示するメディアになっている』Kindle版1,816頁


 しかし、著者は、糸井のアプローチは射程が短く、閉鎖的と断ずる。「ほぼ日刊イトイ新聞」は中上流階級向けのものとなってお、「Somwhere」な人々では実践が難しいとなっている。

 宇野は現在の情報環境においては、三幻想を可視化し、操縦可能にすること(SNSで可視化され、操縦可能となっている)で、相互に接続されている。自己幻想(消費社会)/対幻想(夫婦)を足場にすることで「自立」はできない。なぜならばこの三幻想の独立性自体が既に崩壊している、としている。
 三幻想のうち自己幻想が他の二幻想を吸収するかたちで肥大している。「Somewhere」な人々は自分の物語を語れないため、他人の一部を借りて自分の物語を語ろうとする。


 『今日において、情報社会下のコミュニケーションとはこのプロフィール(自己幻想)を単位とする1対1のコミュニケーション(対幻想)と1対Nの情報発信(共同幻想)によって成り立っている。…肥大した自己幻想に他のニ幻想に従属するかたちで発生してるのだ。たとえば自己幻想=プロフィールが主体のFacebooで十分に自己幻想を記述することができない、自身のない人々がメッセンジャーでの特定の個人のやり取りや「いいね」やタグ付け(対幻想)に執着し、Twitter=タイムライン(対幻想)の潮目を読んでた匿名アカウントを用いて自分自身を安全圏に逃しながら世間に「物申す」ことで自分を慰めている』Kindle版2,031頁


 自己幻想を強化のために共同幻想を用いる者ををいかに抑制するのか。言い換えると、どうやって人々を自己幻想から自立させるか、というのが課題となってくる。

 そこで著者は遅いインターネット計画の提案を行う。


 『「遅いインターネット」とは一見、「ただのウェブマガジン」の形式を取る。…読者をコミュニティ化し、僕たちが試行錯誤して身につけた発信のノウハウを情報を吟味し、解釈し、再発信するノウハウを共有化する運動を立ち上げる。』Kindle版2,153頁


 遅いインターネットのコミュニティで「よく読むこと」、「よく書くこと」のトレーニングを行う。そうすることにより新しく問いを設定することができ、世界を見え方を変えることができる。単なる「共感」を超えたところに触れたときに、価値転倒が行われる。


 『誰かが批評を書くとき、書かなくとも批評に触れて世界への接し方が変わるとき、それは紛れもなく自分が発信する自分の物語になる。しかしそれはあくまで自分についての言葉でではない。自分の物語でありながら自己幻想には直接結びつくことはない。何かについて書くこと(批評)は、自己幻想と自己の外側にある何か(世界)の関係性について言葉にすることだ。それは不可避に自己幻想の肥大するこの時代に、より必要とされる言葉なのだ』Kindle版2,321頁


 これらの冷静な批評行為の継続が自己幻想のマネジメントに繋がる、というわけである。


2.解説



 著者の言うとおり、インターネットってつまらなくなったよなあ。
 昔だったら検索エンジン叩くと内容の濃いテキストサイトやブログが表れて、延々と情報を摂取することできたけど、今だと、SEO対策に駆逐され、薄い情報のNAVERやまとめサイトばかり。
 そんな中、唯一のまともな情報サイトがウィキペディアですか笑。
 ウィキペディアって信頼性の置けない情報サイトって昔は言われてたけど、今じゃ一番まともかもしれません。
 昔を思い出せば、アニメにおける聖地巡礼が流行りだした時とか、聖地巡礼専門のテキストサイトがあったりして、画像や住所等、何から何まで情報が蓄積されてたわけです。
 他にも村上春樹のファンサイトでは、村上春樹の昔住んでた家を平気でHPで公開したりとかむちゃくちゃしてたわけです。
 僕が覚えている印象的なサイトは奈須きのこの『空の境界』を笠井潔を使って批判しまくるってのがありました。批判の是非はさておき、自分できちんと調べて、ちゃんと批判する姿勢については評価に値するものでした。
 昔のテキストサイトは、とにかく熱量がすごいわけですよ。ひたすらに調べる。否定をするんだったら、根拠を大量に入れる。本を読み込んでるのがわかるわけですね。
 今のインスタントな、金太郎飴みたいなテンプレコピー否定とはまた違う。熱量もオリジナル性もあったわけです。

 インターネットは情報の集積地だったんだけど、今は感情の叫び場になってる。
 
 昔の2ch(現5ch)だと、スレ立てられてから10スレ以内に必ず『ソースどこ?』っていう、情報元を問い直す質問があったんだよね。
 これってインターネットを利用しつつも、インターネットに対する不信感があったから、この質問はあったわけです。
 でも、今じゃ一部の専門板を除いて『ソースどこ?』文化は死滅してて、また、実況系chなんかだとアフィブログの工作員がいて、とにかく炎上しそうなネタを投下しまくるから、こういうソース元の吟味みたいなのが益々なくなったわけです。前提を疑う質問が生まれない。好きか嫌いかで語られる。
 もちろん昔の2chはデマだらけだったことは否定しないけど、ここでいうのはマインドの問題なんです。
 僕が思うに、昔のインターネット使用者は常にインターネットに、不信感があったからこそ成立してたとこがあったわけです。インターネットを使ってるのはオタクの陰気なキモいやつって、イメージがあってインターネット使用者もインターネット使用者を信頼してなかったわけですね。
 つまり、今みたいにインターネットに対して全権的に信頼されてる状況が良くないのかな、
 だから必要なのはインターネットへの不信感をまた生み出すことなんです。
 距離を置く必要がある。
 けど、難しい。わけですね。気持ちよいタイムラインの大喜利大会。リツイートされて嬉しい、みたいな、本書的に言うと、自己幻想の肥大に絡め取られているわけですね。


 今だと、Google、Amazon、Twitter、Facebook、TikTok、Instagramだいたいこのあたりのプラットフォームだけで現在のインターネットの状況も説明できる。
 量的な意味では拡大してるけど、情報及び多様性の質って面では劣化しているのが否めない感はあるよね。だからそんな情報が溢れていた、昔のインターネットのような側面がある総論としての遅いインターネット計画には僕も賛成である。シンプルにそっちのほうが面白いわけです。懐古主義チックで親父臭い物言いだけど笑
 さて、本書では遅いインターネット計画段階であったため、どんな記事があるのか分からなかった。どんなものがあるのだろうか。

 ○特集「食べること」をもう一度考えてみる?
 ○〈遊び人〉をアップデートせよ!
 ○円環する制作の対話
 ○”kakkoii”の誕生

 どの記事も情報量が多く、すぐには読めない作りとなっている。しっかり読もうとすれば30分ぐらいかかる。これだけで宇野常寛の本気が伝わってくる。
 僕は遅いインターネットに登場する名前は猪子寿之くらいしか知らない。他は誰も分からない。
取り扱っているトピックだって全てが僕の興味の範疇というわけじゃない。けれども、それは幸福なことなのだ。この本を読んだあとならば、強くそう思う。
 


3.評価



 気になった点を2つほど以下に述べたい。
 
 ○吉本隆明ってそんなに影響力ある?


 『吉本の「自立」の思想は、学生たちを、イデオロギーを通じて世界を把握する思考から解放する役割を果たした』Kindle版1,542頁


 学生運動の詳細は小熊英二の『1968』に書いてるんですが、学生運動でやってる人全員が頭良いエリート層ってわけじゃないから、吉本隆明なんか難しくて読めなかったわけです。それこそサブカル、漫画とかを多く読んでた。封鎖された大学に突入したら立てこもった部屋には漫画が、散乱してたって言われてますし。学生運動やってたほとんどのやつは、それこそ丸山眞男的な周りの「空気」に左右されてなんとなくやってたやつのほうが多いわけです。

 
 ○なんかハーバーマスっぽい


『…「熟議を重視するべきだ」といった類の事実上無内容な精神論ではない、暴走リスクを減らすために新しい知恵が必要なのだ』Kindle版623頁


 以上のように、熟議を、ハーバーマスを、否定してるわけですが、遅いインターネット計画は、結局ハーバーマスの広義の熟議に含まれるんじゃないか、と思います。
 熟議民主主義というのは、参加者がみな平等で、オープンで、しかもシステムに対して自律的な「討議空間」こそが、民主主義である。
 宇野はこんなの夢物語で成立するはずがない、と。
 ただ、ハーバーマスも当然最初から簡単にうまいくとは思ってないわけですね。だからコミュニケーション理論を考えたわけです。
 コミュニケーション的行為とは、コミュニケーションを通じて共通理解を得ることや、行為者間の自由な承認を求める行為のことをいいます。
 コミュニケーション的行為が行われるとき、発言の真理性や正当性が討論の中で吟味され、あるいは訂正されます。人間はコミュニケーション行為によって社会的な相互関係を構築するようになり、より民主的で公共的な交流が可能になるとハーバーマスは主張しました。
 『熟議なんて理想』という言葉で済ませるには、相手が強大すぎるかな、と。ハーバーマスも馬鹿じゃないんだから。

 遅いインターネット運動がこれから広がっていって、他に似たようなメディアがポコポコできてきたら、『これってやっぱハーバーマス的熟議じゃん!』という流れになりかねない。
 今後の仕事として、遅いインターネットの活動に勤しんでいるならいいんだけど、今回みたいな、自己言及的な理論本をまた出すのなら、遅いインターネットとハーバーマス的な熟議との差異を示して、ハーバーマス的な熟議を倒した方が親切なんじゃないかなあ、と思う。まあ、これはあくま極私的な僕の願いに過ぎないけど。


 あ、極私的な僕の願いをもう一つ。文庫版が出た時は箕輪厚介が宇野常寛にサブカルを封印させた意図みたいなのを是非書いてくれると嬉しいですね。すごい気になってるので。そしたら文庫版も買います笑!

参考
https://biz.trans-suite.jp/21192『「ハーバーマス」の思想「コミュニケーション論」や著書を紹介!』

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