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プロとアマの違いは何か?フォトグラファーと写真家の目指すもの

僕は写真を撮ることを生業としている。
名刺に書いてある肩書は「フォトグラファー」だ。

なぜ「写真家」ではなく、「フォトグラファー」なのか。

それは、あるフォトグラファーの言葉の受け売りだが、
確かこんなことを言っていたと思う。

フォトグラファーは、写真を使って顧客のニーズを満たす職業。
写真家は、写真そのものを魅せる職業。

随分昔に聞いた言葉だから、おそらく正確ではないし、そもそもそんなことを言っていたのかも怪しい記憶だが、僕の中ではなかなかに腑に落ちているので、僕が写真を撮る上で一つの信条になっている。

先ほどの言葉をもう少し掘り下げてみる。
これを読んでくれている人は、二つの違いがお分かりになるだろうか。

あくまで、僕の個人的な解釈だから、そんなことはないと思われた方は反論していただいて構わないし、むしろ他の意見も聞いてみたい。

僕が思う「写真家」というのは、写真を撮り、写真を売る人だと考えている。
例えば、とても綺麗な風景の写真を撮り、その写真に価値を感じた人がそれを買う、という仕組み。

一方、「フォトグラファー」は、顧客のニーズに対して、写真によって課題解決するものだと思う。
例えば、雑誌に掲載される記事に対して、それに合わせた写真を撮影する。
つまり、写真そのものというより、写真の先に価値が生じている。

極端な言葉に言い換えると、写真家は「アーティスト」であり、フォトグラファーは「ビジネスマン」とも言える気がする。

別に、どちらが優れているとか、そういう話ではない。
どちらも、「良い写真」を撮ることを目的としているし、重なる部分も多いと思う。

僕がフォトグラファーと名乗っているのは、写真の価値が、写真を必要とする人に委ねられているからだ。
写真家は、撮った写真に価値を付けることができるが、フォトグラファーにとってその価値は顧客が決めるべきだと考えている。

僕はそれほど自己顕示欲があるわけではないし、アーティスト気質でもないから、自分の写真を「ほら、これ良い写真でしょ?」なんて大層なことは言えない。
その代わり、僕に依頼してくれた人のことを考え、ニーズを聞き、提案することは割と得意だと思っている。
お客さんが喜んでくれればそれでいいし、もっと言うとそれは写真じゃなくてもいい。写真が喜ばれることは、この上ない僕の喜びではあるけれど。
そういう点でやはり僕は、ビジネスマン寄りの考え方を持っているのだろう。

昔、僕が映像カメラマンとして入った現場で、あるスチールのカメラマンと出会った。
その人と名刺交換をすると、肩書には「アマチュアカメラマン」とあった。
「アマチュアとはどういうことですか?ボランティアですか?」と聞くと、報酬は貰っていると答えた。

どうやら話を聞くと、彼は副業としてカメラマンをしており、その界隈ではクチコミでそこそこ知られている人のようだった。
しかし、報酬をもらっている時点でそれはプロではないか。
謙遜で言っているのではなく、仕事を受けているというプライドも感じられず、むしろアマチュアを言い訳にして、本質から逃げているような気がした。(彼が写真を楽しんでいることは間違いなかったことは補足しておく)

もしかしたら、彼には彼なりの美学や信念があるのかもしれないので、これ以上は控えるが、少なくとも僕には、彼がどんなに良い写真を撮ったとしても、残念で歯がゆい思いだった。

誰でも素敵な写真を撮れる時代になった。
僕はとてもいいことだと思う。

だからこそ、プロと呼ばれる人が果たす役割は大きい。
それに伴って、責任も増すだろう。
みんながみんな、良い写真をSNSやら何やらで発表しているから、見る人の目も肥えてくる。

取引先に「こんなものしか撮れないのか」と叱られたことがある。
その時は言葉にならない悔しさと、己の未熟さに腹が立ち、時代を恨んだこともあるが、それでも僕はプロとしてのプライドを持っていたい。

ニーズを越える写真を撮ることが僕のプロとしてのプライドだ。

自分のための写真ではなく、必要としてくれる人のために写真を撮っていきたい。
もしかしたらそれは、「自分」というものを持たない、あやふやで恰好悪いことかもしれないけれど、それが僕の「自分」らしい一つの答えでもある。


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