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傍にいるのが自分じゃなくてもなんとかなる【寄り添い疲れから身を守る方法】

「私、看護師だし」「私がついてあげなきゃ」
夫が病気になり入院したとき、私の肩にはものすごく力が入っていました。言い換えると、張り切っていたともいうのか。この人を支えるのが私の使命であり、看護師になったのも運命だったんだと、この状況をドラマティックに描いていたときもあります。

仕事の日も、休みの日も、面会が許される時間まで傍にいました。今考えるとよくやってたなと思います。当時は未入籍でしたので「あなたがそこまでしなくてもいいんじゃない?」とまわりからはよく言われたものです。でも、一緒にいたいのは、私が不安だったから。目の前にいることを確認しないと、居てもたってもいられなかったからなのです。

しかし、そんな生活も長くは続きませんでした。入院から2ヶ月、あっけなく高熱を出して、私がダウン。仕事も休むことになり、もちろん面会にも行くことができません。自分の体が辛いときって、人の心配ができないものなんですね。気にかけたくても思考が回らない。それも、なんだか不思議な気づきでした。

3日くらい面会には行けなかったのですが、夫は元気でして。元気、というか私が常に傍にいなくても、いつもと変わらなかったんですね。同室の患者さんと友達になったとか、あの看護師さんが良くしてくれたとか、他愛のない話で盛り上がったとか、色々と楽しそうに教えてくれました。夫の両親も2日に1回は面会に来てくれていて、身の回りのことは手伝っていってくれたそうです。

私がいることで支えになっているのは間違いないけど、私ひとりで全力で頑張らなくてもいいんだと思いました。夫のまわりの人に対して嫉妬は抱くこともなく、心から感謝の気持ちでいっぱいでした。

ある日、夫に言われたことがあります。「付き添ってくれるのはうれしいけど、ひとりでいたいときもある。それに、付き添いが必要なほど、俺って悪いのかなとも思ったんだ」と。私は夫のために無我夢中で寄り添っていたけれど、それが100%夫のためではなかったということを知りました。そりゃそうですよね。私は、自分が心配で心配でたまらなかっただけだから。

かといって、すぐに行動が変えられたかというとそうではありません。それからも毎日面会には行ってました(笑)でも、気持ちの面で、ドーンと構えられるようになったかもしれません。その後インフルエンザ流行時期に入って、1ヶ月面会禁止になったことがありました。そのときは、「私がいなくても、なんとかやれている」と思えるようになっていました。

会えない間もメッセージはたくさん来ていまして。「頭が痛い。なんでだろう」「腰が痛い。どうしたんだろう」などなど。それはもう、自分で主治医に聞くしかないんですよね。毎日回診があるので、「そのまま伝えてごらん」と返信していました。主治医に聞けば、ある程度の不安は取り除かれているようでした。

あとは「口の中が痛くてご飯が食べられない」と言えば「看護師さんに聞いてごらん。そういう患者さんはたくさん見ているから、相談にのってくれるはずだよ」と伝えていました。私が看護師だから、身の回りのことをしなくちゃ、だけではなくて、会えなくても主治医や病棟看護師、患者である夫の架け橋になれる。そういう役割が私にはできるのだと、思えるようになりました。

10年経って、あのときは献身的にサポートしていたなと思い出してみたり。でも、全身全霊すぎるでしょ、と苦笑いしてみたり。よく、「介護は7割の力で」という言葉を聞きます。私には、あまりピンと来ません。だって、そのとき何割で支えているのかなんて、数値にはできない。けれども、支えてくれる人は自分だけじゃないということを、まずは知ることが大切だと思うのです。家族、友人、病院のスタッフ。力になってくれます。残り3割が自分以外でも、患者さんご本人は笑顔でいてくれるのですよ。


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