見出し画像

さりげなく、人の心に残るもの。

 これは私が中学生だった時の物語。登場人物は仮名とさせていただく。

 突然だが、私は音痴である。もっというと、歌うことが大好きで大好きな音痴である。音楽の先生にも、「声は大きいんだけど……」と言われ、年に1回開催される音楽祭の録画がクラスのテレビに流されると、私の声だけ浮いて聞こえた。他35名の同級生の声を差し置いて、元気に響き渡る自分の声には、さすがに赤面し、自分の音痴さを客観的に突き付けられた。

 カラオケにも、「こいつがいれば、点数が最下位にはならんだろう」という安全パイとして誘われた。よく、誘われた。そんな気持ちが言外に伝わってくるから、見返してやろうと、躍起になって練習をする。しかし、たたき出す点数は68点とか73点とか。85点以上取れる曲などほとんどなく、流行の歌がコロコロ変わるなか、いつまでもそんな数曲にしがみついているわけにもいかない。それでも、歌うことは好きだから、流行の歌詞を誰より先にマスターし、結果、カラオケボックスでトレンド曲(と私が言い張るもはや別の曲)を誰よりも早くお届けしていた。

 私が歌の練習をしていたのは登下校の時間で、中学校までは徒歩で片道15分程度。家を出発して、小さな公園を通過する。住宅街の終わりに差し掛かると、朝早くからガレージで働いている、自動車の塗装が生業の坂田のおじさんに「おはようございます!」と元気に挨拶する。そして畑道に移る。田舎だから人気も少なく、少しシャイな私でも「よし!いっちょ歌うか!」という気分になってくる。そのうちに精神科・内科の大きな病院の前を横切るが、この頃にはすっかり人目は気にならなくなっている。こうして、歌を口ずさみながら、気がつけば中学校に到着している。

 下校時は通学路が途中まで一緒の友人と歩き、1人になってから歌い始める。それは大体例の大きな病院に差し掛かるあたり。人気も少なくなってくる。朝のように、歌いながらそこを横切る。付属している薬局を過ぎると、その長く広い敷地も終わる。しかし、いつもここで一瞬だけ視線が薬局の方へと向かう。正確にはそのとなりの木陰になっているベンチに。私が下校する時間帯、いつも1人のおじいさんがそこで通りの方――つまり、私の方を――眺めていた。挨拶するには距離があるから、私は視界に確認しつつも歌い続けていた。

 中学校を卒業するまでの3年間、おおむねそのようにして学校に向かい、学校から帰った。

 高校に入学すると、私立だったこともあり、バス通学になった。家から学校の距離は遠くなったが、登校で歩く時間はほとんどなくなった。でも、その変化は通学手段が変わっただけで、私には大したことではなかった。

 そんな、中学時代の登下校のことなど忘れ始めていた、高1のときの地域の体育祭。私の地域には9月の終わり、地元の子どもから大人までが参加する運動会があった。そこで、坂田のおばさんに会った。そのおばさんにはほとんど面識はなかった。しかし、私のとなりへにこやかに近づいてきて、挨拶を交わした。そして、「夫が『いまどき気持ちのいい挨拶をする子がいる。どこの子だろう?』っていつも褒めてたんだよ!きっと、小林さんのお宅の子だって教えてあげたんだけど……。小林君だったんでしょ?」そう言われた。もちろん、心当たりはあったから「はい!」と頷いた。私はおじさんの顔を思い出し、その日は都合が悪くて参加していないことを急に残念に感じた。

 こうして、たかが挨拶でもしっかりと人の心に残るものなんだ、と驚かされた。

 また、ある時、高1の冬休みだったと記憶しているが、母のかつての同僚が我が家を訪れた。母は看護師をしていて、以前はあの通学路の病院に勤務していた。そのお客さんは、今もその病院で働く看護師だった。

 なんとなくリビングでくつろいでいた私は、流れでその女性と同席することになった。必然、2人の雑談に巻き込まれることになる。そしてその中で、自分が病院前を通学路にしていたことに話が及び、思わぬ方向へ進展した。「そういえば、私が担当してる患者さんで、佐伯さんっていう人がいるんだ。外に出るのも億劫な人で。でもいつからか、ちょっとだけ外出するようになったの、ちょうど下校時間くらい、その通学路が見える場所で。『歌を聞きに行くんだ』って」その話を聞いて、おじいさんは今でもそうしている、ということを知った。おそらく、いや、間違いなくきっかけは私だろう。でも、その場では自分が原因だと言い出せなかった。

 私はちょっぴり、罪悪感のようなものを感じた。でも、その一方で、自分の稚拙な歌声でも、人に届くことがあるのかと、震えた。

 コロナの予防接種会場がその病院だった。10年ぶりくらいに、そこに足を向けた。暦上では夏も過ぎ、辛うじてツクツクボウシが鳴いている。あの薬局も変わらずそこに佇んでいた。今は無人のやつれたベンチを眺め、そんな当時のことを思い出した。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?