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物事の本質と向き合う力

こんばんは。このnoteを書いた後の楽しみは、コムドットを見ること。
今日は、41分の動画ですが、全部飛ばさずに見る予定で、楽しみ。
いつも、面白い日常と夢を届けてくれてありがとう。


今日のブログは、ここ3日間で考えていたことについて書く。
前回のnoteで勝手に人生の転換期とか前のブログで書いたんだけど、
そうであるように見えて、そうではないかもしれない。
noteを書く中でこれからやることを明確にしていきたい。



僕なりに悩みの定義を変更してみた


「悩み」というものは、必ず誰しもが持ってるものなんだけど
今の僕の「悩み」は、果たして今解決するべき悩みなのか、今後解決すればいい悩みなのか、それが自分でも明確にわからない。

だから、今の「悩み」は耐えない。と思う。
だから僕は、「悩み」と捉えるのではなく、この状態を
「将来の自分のために考えるべき事」と捉えることにした。
物事は捉え方次第だと思ってて、「悩み」と捉えてしまうと、何かとマイナス方面だと思えてしまうけど、後者のように捉えると、それは必要なことで、人生前向きに生きていこうと捉え直すことができる。

今、「将来の自分のために考えるべき事」として考えていることは、
自分の将来像について。

将来の自分のなりたい姿になるには、
何が必要で、何を今やるべきなのか、難しいようで答えはあると思う。

現状の脳内で、「将来の自分のために考えるべき事」は、頭の中に入っているようで具体まで理解できていないのかもしれない。

そんな時こそ、プロジェクトペーパーを使って脳内整理して行こうじゃないかという事。これは、全人類にガチお勧めします。
理由は、文字を書ける範囲が普通のノートより圧倒的に広いから。なんでもかける、自由に。大きい方が自分の可能性をより広げて想像できるよ。

先月買ったんだけど、めちゃくちゃ愛用してます。
大きいけど、リュック背負う時は持ち運んでます。ちなみにね。



将来の自分のために考えるべき事の話は今はしない


今日書きたいことは、このnoteのタイトルにあるように
「物事の本質に向き合う力」

これが僕の弱み。
僕の弱みは、「物事の本質と向き合う力」

自分の弱いところはそれ明確なのに、
そこに対して目を背けてた。本当に情けない。

土日で1つ年下の2人のデザイナーの人と話した。
その2人は圧倒的に、「物事の本質に向き合う力」が半端ない。
幼い頃からの環境や過ごし方が、その力が現状あるか・ないかに関わってくるとは思っている。
僕は直感タイプだから、突き詰めて考えて解を導くってよりも、
雰囲気で「なんとなくこれだろ!」で物事を選んだり決める自分がいた。

この2人も僕の直属の上司の人も、その能力が半端ない。
だから、話してて居心地が悪く感じることがある。
でも、それを本気で身に付けたい。
そうしないと、僕が目標としてる人にはなれない。


物事の本質に向き合う力とは


僕の考えは、
一つの物事の目的や構造を客観的且つ主観的にも納得いくまで突き詰められる力

だと考える。

これは本当に大変だ。面倒くさい部分や嫌な部分に向き合って考えないといけない。

しかも自分なりの考えだけでなくて、周りがそれを聞いたり見て納得するレベルまで。
僕は結構、自分なりの考えを少しずつは持てるようになってきたけど、
外の情報と自分の考えを組み合わせながら突き詰めて考えていくことがまだ苦手だ。

これを修正していくためにやることを下記にまとめる。

①自分のやっていることの目的を明確にする
②まずは自分の頭で考える
③分からなければ、何故わからないのかどこが分からないのか明確にする
④分からないなりに仮説を持って質問する
ex) 自分はこう思っているんですけど、〜さんはどう思いますか?

これを実践して、より、自分という人間にも向き合っていきたい。

アーティストの捉え方

前回のnoteで、僕はアーティストになりたいと書いた。
アーティストには、人を救う力があると思ったから。

これは、僕なりの持論だったんだけど、友達のK君に

アーティストには、殺傷能力もあるよ

と怖いことを言われた。
一瞬で何を伝えたいか分かった。
確かにそうだと思った。
アーティストには、ファンがつく。
もしそのアーティストに何かあったりしたら、あるファンは、、

そういうこと。

この考え方は、僕にあるようでなかったから面白かった。
これで、アーティストについても両面(メリット・デメリット)で捉えることができるようになった。

僕だけの考えだけだと、本質に向き合っている感じがしているだけで、
人のいろんな話を聞くことで、本当にその物事の本質に向き合えている。
自分をアップデートすることができる。
ありがとう。K君。


アーティストに本当になりたいの?

ここでうまれてくるのは、お前は本当にアーティストになりたいのかっていう問題。

前回のブログで僕はアーティストとは、生きているみんなかもしれない
と書いたと思う。

これは間違っていないと思う。
自己表現をしている人がアーティストと僕は定義しているから、人間全員アーティストだ。

その中でアーティストになりたいといった僕は、何を意味して言ったのだろうか。

人間みんなとか言ってるのに
僕は、何らかの技術に秀でた人がアーティストだと捉えがちだ。

たくさんの言語を話せる人
歌が上手い人
デザインがかける人
コードがかける人

目に見える技術として何かに秀でている人に憧れを持ってしまう。
その関連で僕が憧れを持っている人は、結局「物事の本質」と向き合っている。

結局、そこに尽きる。

僕は僕のやり方で、僕が考えるアーティストになる。
何かは明日も明後日も考える。ずっとね。




やばい、書いてたら止まらなくなった。

すっきりした。わりと。
何か思ったこととか感想あればコメントください。



とりあえず
もう寝ます!おやすみぐんないっ!