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ショートショート。のようなもの#13『天然物のカンコウバス』

 観光バス会社に就職した僕は、何故か、魚市場に連れて来られていた。

「へい!らっしゃい!どれいこ!?活きのええ“カンコウバス”入っとるよ!どの“カンコウバス”いこ!?」

 いかにも海の男という感じの威勢のいいおじさんが、氷の上に横たわる“謎の魚”を隔てて、僕に声をかけてきた。
 しかし、僕は理解が追いつかなかった。
 何故なら、僕は、今日から観光バス会社のドライバーとしてスタートを切ったところなのだ。
 そして、朝の挨拶を済ませると指導係の先輩に連れられて、ここへ来たのだ。

 なぜか、この魚市場に。

 確か、先輩は僕を連れ出すときに『自分の“観光バス”を買いにいこか?』と言っていたはずだ。
 だから、僕はてっきり、車屋さんかどこかへ自分が乗るための専用の“観光バス”を買いにつれて行ってもらえるのだと思い、胸を躍らせていた。
 なのに、今、目の前にあるのは、氷の上に横たわる大量の“謎の魚”。そして、魚市場独特の生臭さと男臭さと活気のみである─。

「おい、新人くん。何をボーッとしてんねんな?」
 先輩が僕の顔を覗き込んできた。
「…え、いや~、その~、これはどういうことでしょうか?僕はてっきり、自分の観光バスを用意してもらえるのかと…」
「おう、せやで。せやから、買いにきたやん。選びぃな。どれにする?」
 先輩は、目の前の“謎の魚”を指さしながら言った。
 僕は、益々、意味がわからなくなった。
「いや、ですから、これは“観光バス”ではなく、ただの魚でしょ?あっ、ひょっとして、先輩。バスはバスでも、ブラックバスとお間違えなのでは…」
 そんなわけがないと思いながらも、頭がこんがらがっているので、思いついたことを吐き出すしかなかった。すると、意外な答えが返ってきた。

「そうや、ブラックバスや。これ」
「はい!?ブラックバスなんですか?じゃあ、なんでブラックバスを僕が選ぶ…」
「あっ、そうか、自分、まだ新人くんやから知らんねんな?悪い悪い!俺が教えなあかんねんな、ハッハッハッ。いや、ちゃうねん。君が、思ってる“観光バス”っちゅうのは、実は、このブラックバスの腹の中にあんねん」
「…はい?」
「いや、せやから、このブラックバスの腹の中に“観光バス”があってやな~。この、ブラックバスを捌いて、腹を切ったところから小っちゃい“赤ちゃん観光バス”を取り出して、育てていくねん。育てて育てて、大きな立派な街を走ってる観光バスになりよったら、自分の愛用車として定年まで乗り続けるの。わかるか?せやから、この並んでるブラックバスの中から、どれかピンとくるやつを選んだりぃ」

 ほぼ、意味がわからなかったが、先輩の真っ直ぐなキラキラした目を見てると、とても冗談を言ってるようには思えなかった。
 さらに、ブラックバスという名前の由来は、お腹の中の観光バスを守っているからバスをブロックする“ブロックバス”が訛って“ブラックバス”になったと教えてくれた。
 これに関しては、眉唾ものではあったが、とにかく、僕は自分専用の観光バスが欲しくて堪らなかったので、言われるがままに直感で、すぐ目の前にいた一際大きな、丸々と太ったブラックバス、いや、“カンコウバス”を選んで会社へ帰った。

 会社に着いたらすぐに、先輩の指示に従って、発泡スチロールの箱から“ブラックバス”を取り出してまな板の上に置いた。
 それから、包丁を握りしめ、慎重に慎重に、ブラックバスのエラの少し下辺りにスッと刃先を入れてみた。
 やはり、カンコウバスを守っているだけあって、表面の皮は硬かったが、サクッと刃が入った。

「危ないぞ。車体を傷つけるなよ」

 先輩の注意通りに、さらに慎重に浅めに刃を入れ、尾っぽのほうにスーッと、真っ直ぐにスライドさせていく。
 これを2.3度繰り返し、少しづつ、深いところまで裂いていく。

 すると、4度目に刃を入れたときに、小さく「カチッ」と音がした。
 僕は“カンコウバス”に触れたんだとわかった。
 いよいよ、自分が乗るカンコウバスに会えるんだと思うと、心臓がバクバクしてきて、包丁を握る手も汗でべちょべちょになっていく。
 一度、刃をカンコウバスから離して、包丁をまな板の横に置いた。
 両手をぶらーんとさせて、首をグルッと回して、軽くジャンプをして大きく深呼吸をした。
 先輩も静かにこっちを見ているのが、わかった。
 先輩と目が合い、お互いに軽く頷いた。
 手のひらの汗を拭き取ってから、再び包丁を握り、スッと魚の身に刃を入れた。

 呼吸を止めながら、集中して。
 ゆっくりと…ゆっくりと…身を裂いていく。

 尾っぽまで刃が到達したときには、魚の身の中から“カンコウバス”の側面が顔を出していた。
 ここから、僕は、手際よく、でも慎重に丁寧に車体にへばり付いた身を取り除きながら、天井部分…フロント部分…車体の裏側…と順々にカンコウバスを取り出していった。

「よっしゃ、もういけるやろ。抱き上げたれ」

 先輩の声で、僕はふと我に帰り時間を忘れて作業に没頭していたことに気がついた。
 改めて、まな板に目を落とすと、そこには捌かれて身がズタズタになった魚の上に、外から降りそそぐ太陽の光を反射しながら温かく煌めく、小さなふっくらとした“カンコウバス”の姿があった。
 そっと手を伸ばし、僕は“赤ちゃんカンコウバス”を両手でやさしく包み込むように抱き上げた。
 嬉しさで、僕は胸が熱くなった。 
 まだ、独身の僕は、将来、自分の子どもが産まれたときは、これ以上の感動があるのだろうか?
 ひょっとしたら、これ以上に感動することはないかもしれないと思って少し不安になった。

「元気そうやな。一生懸命育てたれよ。お前が、一生付き合っていく“カンコウバス”やさかいな」
「はい!もちろんです!僕もこいつに負けないような立派なドライバーになってみせます!」
 僕は、目に涙を滲ませながら力強く答えた─。

 それから、僕は、毎日毎日、カンコウバスのお世話をした。
 哺乳瓶でガソリンを飲ませてあげたり、体をワックスで拭いてあげたりした。
 喜んだときはワイパーをビュンビュンと動かして感情表現をしてきた。
 又、自分では、まだ排気ガスを出せないので苦しそうにしているときは、マフラーに口をつけてチュウチュウと排気ガスを吸ってあげたりもした。
 たまに、夜中に「プーーーー!プーーーー!」とクラクションを鳴らして夜泣きすることもあった。
 そりゃあ、まだ小さいから、母カンコウバスが恋しいんだろうな。と思った。

 本当に、カンコウバスが生きているということがわかったのは、そんな生活を続けていたある日のことだ。
 僕がいつものように、カンコウバスのお世話と事務作業を終えて帰ろうとしたときに、駐車場に沢山停めてある大人のカンコウバスの中の2台が“ドーン!…ドーン!…ドーン!”と何度も追突をしているのだ。
 僕は故障かなにかで暴走し始めて事故を起こしてると思い、大急ぎで、事務所にいる先輩に報告をした。
 すると先輩から返ってきた答えに僕は、驚いた。

「…追突?あー、あれかいな、あんまり見たったらあかんで。交尾しとんねんから」
「…交尾?」
 …まぁ、そういうことらしい。
  そのときに、僕は、このカンコウバスというモノが乗り物という概念から、生き物という概念へと変わった。

─あっという間に一年が経ち、ついにそのときがきた。
 待ちに待った初乗車の日だ。
 お客様は、小学生の遠足の団体。行き先は、ここから、2時間程のところにある観光地として有名な小さな離島。
 
 僕は、カンコウバスの運転席に乗り込み、子どもたちを出迎えた。
 子どもたちは、はしゃぎながら、笑顔をキラキラとさせて乗車してきた。
 その姿を見てると、この遠足を、どれくらい楽しみにしていたかが、容易に想像ができる。
 僕も、小学生の頃、はしゃぎすぎて先生によく叱られたなぁと、少しだけ回想にふけったりした。
 そして、その遠足のときに初めて見た“カンコウバス”がかっこよくて、今、こうして、ドライバーになっていることも同時に思い出した。
 そうこうしてるうちに、子どもたちがみんな席についた。

「よし、いこう。カンコウバス。リラックスしてな。楽しく走ればいいから。がんばろう。じゃあ、エンジンかけるよ」

 “ブルンッ。ブルンッ、ブルンッ!…ブブブッ~ブブブッ~”

 元気よくエンジンがかかり、カンコウバスは走り出した。
 僕には、子供はいないが、産まれた子が初めて歩いたときは、こんな気持ちなのかな?と思った。

 安全運転を心掛けながら、気持ちよくカンコウバスは疾走した。
 都会の街並みを抜け、徐々に海が見えてきた。
 少し窓を開けると、やわらかな潮風が鼻腔をついた。燦々と降りそそぐ太陽を浴びながら、カンコウバスは順調に走ってくれていた。 
 後部座席では、子どもたちがキャッキャッと笑い合いながら、おやつを取り合ったりしている。

 と、初乗車で、そんなに何もかもが上手くいくはずはなかった。
 僕の読みが甘く、それが原因で渋滞に巻き込まれてしまったのだ。
 しかも、よりによって、本州と離島とを繋ぐ橋の上でだ。この橋は4キロ近くある長く大きな橋だ。ここで、ルートを変えるわけにもいかなかった。
 焦る僕を急かすかのように、後部座席では、さっきまで楽しそうだった子どもたちが、駄々をこね始めている。
 先生が必死に注意をして、収めようとしてくれているが、どうにも手を焼いている。
  子どもたちの何人かが、シートの上に土足で立ち上がり暴れ始めた。
 僕は自分の顔が引きつっていくのがわかったが、僕がここで感情的になってはいけない。
 元はというと、僕がルートを読み間違えたのが原因なのだから。
 でも、シートを踏まれているカンコウバスが可哀想でならなかった。

「…カンコウバス。大丈夫か?ごめんよ。僕のせいで…」

 すると、しばらくは、大人しくしていたカンコウバスがついに、怒りだしたのか?車体を上下に揺らして小刻みにジャンプをし始めたのだ。

“ビョーン…ビョーン…ビョーン…”

「おい、落ち着いてくれ。カンコウバス。ダメだ、怒っちゃダメだ」

“ビョーン…ビョーン…ビョーン…。ビョーーーーーーン!”

「な、何してるんだよ!!」

 カンコウバスが大きくジャンプしたかと思うと、刹那。
 あろう事か、僕たちを乗せたカンコウバスは、橋の上から海に向かって自らの身を投げた。

“サバーーーーーーーーン!!!”

 僕は、頭の中が真っ白になった。
 完全にパニックだ。死んでしまう!子どもたちの命も!…どうして…カンコウバス…何してんだよ!
 そんなことも冷静に考える余裕すらない。
 子どもたちや先生の悲鳴が車内に響き渡る…。
 僕もその中で、声を枯らしながらひたすらに“カンコウバスー!カンコウバスー!”と叫び続けた。
 この一年の“カンコウバス”との想い出がスライドショーのように脳内に再生されていく。

 “ブクブクブク……”

 その時間は永遠のように感じた─。

 次に気がついた瞬間に、さらに、何が起こっているのか理解するのに時間がかかった。

 奇跡だ。

 なんと、カンコウバスがスイスイと海中を泳いでいたのだ。

 “ブクブクブク~、スイスイ~スイスイ~”

 子どもたちの悲鳴が徐々に治まり、今度は少しづつ歓声のようなものに変わっていっていた。
 “うわー。すげー!このバス、海の中を泳いでるぜー!かっこいいー!”

 “先生~、窓の外を見てくたさい。すごくキレイです!お魚がいっぱいついてきてます!一緒に海の中で泳いでるみた~い”

 “まぁ~、キレイね~、ほら、みんな見て!向こうには、大きなウミガメのいるわよ~”

 遠くのほうで聞こえていたようなみんなの声が徐々に僕の耳にはっきりと届いてきて、ようやく僕は、現状を理解した。
“カンコウバス”は、元々、海の生物だから、泳ぐこともできるんだ。
 やけになって橋の上から投身したわけではなかった。
 子どもたちを少しでも早く目的地へ運んであげたいという気持ちで、自らの判断で海を泳ぐことを選んだんだ。

「えらいな。カンコウバス!よくやったぞ、カンコウバス!ありがとう、カンコウバス」

 “スイスイ~、スイスイ~、スイスイ~”

 これで、無事に目的地へ到着するかと安心していたが、やはり、初走行ということで、まだ体力不足だったのだろうか?
 徐々に徐々に速度が落ちてきて、再び、海の底へ沈み始めたのだ。子どもたちも再び騒ぎ出す。僕も、パニックだ。今度こそ、どうしようもない、天に身を委ねよう…、絶体絶命…。

 “ブクブクブク…ブクブクブク…”

 諦めかけたそのとき、遠くのほうから、何かとてつもなく大きな影がこっちへ向かって泳いでくるではないか。
 朦朧とする意識の中で、僕は、その影を凝視した。

 なんと、それは大きな大きな“母カンコウバス”だった。
 そして、その母カンコウバスは、僕らを乗せたカンコウバスにそっと近づくと、大きくて柔らかい二つの膨らみを押し当ててきた。
 カンコウバスは、ちゅーちゅーちゅーちゅーと母カンコウバスの母乳をおいしそうに吸っているではないか。
 僕は、なぜか妙に恥ずかしくなり下を向いていたが、母カンコウバスのお陰で、カンコウバスは元気を取り戻し、再びスイスイと泳ぎ出した。

─その後、無事に目的地について、半日後には、遊び疲れてすやすやと眠る子どもたちを乗せたカンコウバスは、夕陽を背に、学校まで送り届けて、壮絶な初乗車を終えた。
 僕とカンコウバスが会社に帰ってきたときには、街にはもう、街灯が灯り始めていた。
 駐車場で僕は、今日一日のことを思い返して、カンコウバスに声をかけた。
「きょうは、おつかれさま。一時はどうなることかと思ったけど、本当に助かったよ。とても、いい経験ができた。なにより、君を運転するのは、めちゃくちゃ楽しかったよ。子どもたちも最後は笑顔で帰っていったしね。ありがとう!君のこと、大好きだよ!生まれ変わったら、君と結婚したいくらいだ!愛してるよ!まぁ君はどう思ってるかわからないけど」
 それを聞いたカンコウバスは、何を思ったか“ブルンッ…ブルンッブルンッ!…ブーーーーン”と、突然、僕のほうへ向かって走ってきた。

「…おい、危ない!危ない!何するんだよ!止まってくれ!…危ないよー!壊れちゃったのかよー!?」
…僕は、身の危険を感じて咄嗟にうずくまった。

 しかし、ガタガタと震える僕の目の前でカンコウバスは、急にスピードを緩めたかと思うと

 “ポンッ…ポンッ…ポンッ…”

 と、やさしく何度も何度も僕に“追突”をしてきたのだ。
 僕は、その〝愛情〟を全身で受け止めた。


                ~Fin~





 

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