見出し画像

小春日和のセーラムドライブ 3

 翌朝早くにアパートを出た省吾は、在来線の特急と京王線を乗り継いで、東京競馬場に向かった。今日の天皇賞は、学生時代の友人の辰野と近況報告を兼ねながら現場で観ようと、数日前に電話で決めていた。
 先に到着して指定席を2人分購入しておいてくれた辰野と競馬場の正門前
で落ち合い、入場門を通った。

 東京競馬場のスタンド3階の指定席エリアは、さすがにGIレース当日だけあって混雑していた。この指定席エリアの高さからだと広大な競馬場のコース全景がよく見渡せる。
 正面には多摩丘陵、その手前には著名な歌の歌詞に出てくるビール工場と中央高速道路が見え、秋晴れの今日は3,4コーナー中間の遠く向こうに、新宿の高層ビル群を見ることができた。

 西側にはいつも富士山の大きな姿を仰ぎ見ることができる。冬の開催時の真っ白い雄姿と違って、まだ冠雪は見られなかったが、今、省吾が研修で配属されている支店のある街は、その方角の遥か遠くにある。

「どうだ? 初めての街で、初めての一人暮らしは?」
辰野が手にした競馬新聞に赤色のペンで何か書き込みながら、省吾に尋ねた。
「なかなか楽しいよ。配属先もいい人ばかりだし」
「仕事以外の時間は何してるんだ? 昔みたいにパチンコか?」
「いや、彼女ができた」
それまでずっと視線を出馬表に落としていた辰野は初めて顔を上げた。
「向こうで?」
「そう」
「どこで知り合った?」
「同じ職場の人」
「そうか。でも、省吾、研修は年末までだろう?」
「そうなんだよな…」

 研修期間の3分の2が過ぎようとしている最近になって、省吾は自身でも気にし始めていることを辰野に指摘され、改めて意識せざるをえなくなった。
 梅雨のさなかに仮配属された山あいの地方都市で、盆地独特の暑い夏を迎えた頃に、省吾にとって美里は単なる同僚ではなくなった。当時はやがて訪れる冬のことなど全く想像できずに、新しい環境での新しい出会いに心躍らせる毎日だった。

 やがて、天皇賞のパドックの時間となり、出走馬が周回を始めた。美里は自宅では両親に「競馬なんて観て」と咎められるかもしれないから、合鍵を渡してある省吾のアパートでレースを観ると言っていた。
 本馬場入場から返し馬を見て、省吾は予定どおり9番タマモクロスの単勝を買おうとしたが、とにかく二強に票が集中していて配当がつかない。
 しかし、もともと社会人になったばかりの省吾の給料では、せいぜい1レースで3千円程度の購入額であるし、特にこのレースについては馬券での儲けを期待しているわけではなかった。
 窓口で「9番の単勝を3千円」と声に出し、続けて「それとは馬券を別にして、1番の単勝を3千円」と伝えた。

 省吾は席に戻り、逆光に霞む2千メートルの発走地点を目を細めながら観ていた。少し遅れて隣に座った辰野は、昔から穴狙いだったが、「ボールドノースマンを買ってきたよ。政人に期待だな」と笑った。

(続く)

#小説 #恋愛小説 #80年代 #競馬 #オグリキャップ #セーラムドライブ #東京競馬場 #タマモクロス #スカイチェイス #天皇賞 #富士ステークス