それぞれの夕暮れ 10
一応は何のことかを聞いてはいますが内容はわかっています、とでも言いたげな笑みを含んだ美里の顔であった。
省吾は、ほぼ間違っていないという確信はあったが、後藤嬢が彼氏がいるにもかかわらず、自分に気があるみたいだと言い出すことは、万が一違っていたらとんでもない自惚れで恥ずかしいし、どのように口火を切るべきか考えていた。
と同時にそれよりも、今日初めて二人だけで逢ってみても、先日の電話のように会話を弾ませることができるかどうかを心配していたのが嘘のように楽しい時間の中で、そして、このレストランにいる他のカップルから見れば、彼等と同じように省吾達が恋人同士だと思っても全く不思議はない程違和感のない二人の空間の中で、あえて気の重くなる話題を口にする必要性をあまり感じなくなっていた。
「うん、別に大したことじゃないんだけど‥‥」
省吾はそう言った後で、電話ではなく直接会って話したいと自分で言って呼び出しておきながら、大したことじゃない、と言うのも失礼だと思い、美里が気を悪くしないかと不安になって、目の前に座っている美里の顔をそっと見た。しかし、以前省吾が美しいと思った美里の瞳は優しく、話し始めるのを促すような視線で省吾を見ている。
「いや、後藤さんのことなんだけどね‥‥」
その視線に一種の安心感に似たものを覚えた省吾は、後藤嬢のことを切り出してみた。
「手紙にも書いたけど何か悩んでいるみたいだから、武内さん、この前一緒に清里に泊まったときに、それについて何か聞いてないかと思って‥‥」
「電話でも言ったけど、私は別に。それよりも、心配なら山口さんが相談に乗ってあげたらいいんじゃない?」
そう言った美里の声には別に非難じみたところはなく、相変わらず優しい視線のままであった。
「それはそうなんだけど、異性が聞くより同性の方が後藤さんも話しやすいんじゃないかな」
「でも、私は普段は離れているし、同じ職場の山口さんが相談に乗ってあげる方が、きっと後藤さんも喜ぶと思うな」
省吾は、美里がどうしても省吾を後藤嬢の相談相手にしたいようだと感じた。そして、やはり美里が後藤嬢から今の彼氏と省吾の間で気持ちが揺れ動いている、ということを聞いているのは間違いないにしても、先程からの美里の態度には、省吾と後藤嬢がうまくいくのを望んでいるような感じが見受けられた。
考えてみれば、美里が後藤嬢からどのような相談を受けているかをなんとかこの場で明らかにできたとしても、それからその答えによって省吾自身はどういう方向に進むべきであるか、気持ちの上では後藤嬢に自分のことは諦めてもらいたいのははっきりしているが、どう円満に事を解決すべきであるか、また、美里にはただ漠然とこの問題の力になってもらいたいとは思っているが、それはどのように説得したらよいか、という数々の重要な事柄を具体的には考えつかないまま会話が先走りしてしまうのは、かえって問題の整理がつかなくなる恐れがある、と省吾は結論づけ、今日のところはこの辺で話を収拾しようと考えた。
「だいぶ思い詰めているみたいだったけど‥‥。でも、武内さんが聞いてないんじゃ、こっちの取り越し苦労かもしれないね。まあ、この話しはもういいか」
コーヒーが出てきたところで省吾はそう言ったが、その話のために呼び出したのだから、自らそれを終わりにしてしまえば、食事も終わり、二人の時間ももう意味を持たないものとなってしまう気がした。
省吾は先程までは会話に夢中で気づかなかったが、食後のコーヒーも飲み終って煙草を吸っていると、どうも胃のあたりが鈍くではあったが痛くなってくるのを感じた。緊張すると胃や腸の具合が悪くなる癖のある省吾は胃薬を持ち歩いている。
「ちょっと薬飲んでいいかな」
セカンドバッグから取り出した薬をテーブルの上のグラスの水で飲んだ省吾に、美里が心配そうな顔で聞いた。
「どこか具合が悪いんですか?」
「いや、武内さんと向かい合って食事していたら、緊張して胃が痛くなって」
「なんで緊張するの?」
省吾が半分照れながら説明すると、美里はおかしそうに笑った。