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モヤモヤ美容師が海外に挑戦した3つの理由 #2

プロフィールにあるように表参道のサロンで8年働き2011年からNYに住んでます。

日本の美容師は地域やサロンによりますがざっくり言うと20歳で入社し3〜5年アシスタントとして技術を学び25歳ぐらいでデビューし30歳ぐらいで可愛い子と結婚し35歳ぐらいで独立し40歳ぐらいでハゲを隠し始めるという感じです。多くの苦労をだいぶざっくり言いましたが諦めずに頑張り続けるとこんな感じです。

でも僕は29歳で退社し海外に出ました、なぜなら

心の奥にずっと引っかかるモヤモヤした感情があったから。

東京で苦戦しながらも順調にキャリアを積みそんな美容師ライフを歩むのかなと考えながらも心の奥で「本当にこの流れでいいのか?」とモヤモヤしていた。

今回はそのモヤモヤについての話。


モヤ1、海外への憧れ


誰でも一度は思った事があると思いますが単純にこれ。数年間だけでも海外に住んで違う言語を話せるようになってオーマイガーを自然に言ってみたい、これは何かきっかけがあった訳ではなく映画を観たり旅行に行ってみて自然にわき出た感情でした。


モヤ2、「可愛い〜」に対する違和感


日本は「可愛い〜」が絶対的存在です。可愛いがもう神みたいなポジションにいる。女性にはいろんなタイプの人がいますが大体の人は可愛いと言われて嬉しいはずです、だからみんななんでもかんでも可愛いと叫び続けます。

美容師の使命はお客様を可愛くしてあげ喜んでいただく事、ですよね。でも僕は可愛いスタイルを作る事にあまり興奮しなかった、それよりカッコイイを作りたかった。

今思えば自分がそれを強く思い表現し続ければできたかもしれないけど安月給の僕にはそんな余裕がなかった。

もっと売上げる為にはその神である「可愛い」を上手く作る事が1番評価される、そして稼げる、独立できる。
でも当然好きじゃないスタイルを作ってるんだからテンションも結果もついてこなかった。

今思えば美容師として未熟だっただけだが当時は日本のせいにした。


モヤ3、海外の雑誌やファッションショーの存在


なぜ可愛いじゃなくカッコイイを作りたいと思ったかというとVOGUEパリコレの写真を見るのが好きでその中ではサロンで見る可愛いスタイルではなくプロのモデルがハイブランドの服を着てカッコイイヘアーメイクで登場する。

毎日一生懸命仕事して腕を磨いても雑誌でみるようなスタイルを作る機会もないしどうやって作るのかさえ理解できない。凄く魅力的に感じました、凄く。

同じヘアーを志しているんだから自分だって機会があればカッコイイスタイルを作れるはずだと日々思っていました。(若者あるあるの根拠のない自信)

そんな時、サロンとしては初めての試みで社内フォトコンテストがあった。

入社1年目から店長まで全員参加でそれぞれ1つ作品を作り名前と肩書きを伏せて展示し外部の方々に審査してもらうというガチンコで僕はやっと自分らしいスタイルを表現して評価してもらえるチャンスが来た!とテンションが爆上がり自分が思う「カッコいい」を作った。
自分で言うのもなんですが僕のが1番カッコいいと思ったし当時カメラマンのアシスタントをしていた友達と仕事の後、夜な夜なコンセプトを考えたり有名なカメラマンの作品を見せてもらったり一緒にカッコイイを作りたい!を共有した時間が何より心の底から楽しかった


で、結果はソバカスにクルクルヘアーの子が風船を持ってる「ザ可愛い」作品がダントツの票数で優勝した。

つまり日本では頑張ってもカッコいいが可愛いを超える事はない、僕が好きなスタイルを作っても日本では評価してもらえないんだと確信した。これが海外に行く一番の決め手になったと思います。

今はインスタとかでlikeをもらえるのでどんなスタイルでもある程度評価されている実感があると思いますが当時は 高評価=高売上=可愛い でしたので全く楽しくなかった。


この3つのモヤモヤモヤを解消するには海外に出るしかないと確信したわけです。


次回は多くの海外の街でなぜNYを選んだのかを話したいと思います。


Tsuki






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